【愛しの女子たちへ】『北欧との出会い』 ③「通信機器が急速に発達」

女性の海外取材は前例がないと言われた私。普段の取材等では男女の別なく仕事をさせてもらえていた(そう、日曜だって取材に行くし、原稿が間に合わなければ夜の10時11時だって働いていた)。なんで海外取材はダメなのか。そういう前例は変えればいい。前例って変えるためにあるんでしょ?
編集長は「自分はいいけど会社がOKするかな」と言うので、「では局長や社長に直訴します」と私。
「まあまあ、私から話してみるよ。」と編集長は言ってくれましたが、経費については全くだめでしたね。行かせてやるだけでもありがたく思えという感じでした。

それでもその一か月後、私は初めての海外へ羽田から飛び立った(※1)のです。一か月の休職扱いで給料なしという条件でも、私は夢見心地でした。今は円高で海外の品物は何でも安く手に入ります。格安な海外旅行も多い。中学生や高校生も海外に行く時代。
若い女子のみなさんは海外へ行くのがそんなに嬉しかったなんて、想像がつかないでしょうね。最近、英国のオックスフォードでの留学費用を全額負担という募集があっても大学生は応募すらしないという記事を読んだ時は、なんともったいない、20代に戻れたら応募するのになあと思ったほどです。

今はインターネットで世界中の人と瞬時に交流ができるし、情報も得られます。いつでも海外に行ける上、行かなくても情報が入る時代です。でも、私が初めて海外に行った頃はインターネットも携帯もFAXもなかったんです。海外のペンパルとの交流は船便やエアメール。エアメールでも欧米との交信に一週間くらいかかる。私は到着早々、原稿を書きましたが、せっせとエアメールで送っていたのです。
科学技術の発達はほんとうにすごいですね、ただ、軍事技術の発達がその下地にあってその恩恵を受けているということですから、ちょっと複雑ですが。

1993年に38年ぶりに自民党が下野して細川内閣ができるのですが、この時の規制緩和でケータイが一気に人々に使われるようになり、航空運賃も安くなったんですよ。
そうそう、この年私は日本新党から参議院議員になって、議員会館の7階に事務所をもらったのですがその狭さに驚きました。この会館は2010年にとりこわされましたが、建設されたのは1965年。当時コピーもFAXもパソコンもない時代だったので、その後、こうした機器で部屋がどうしても手狭になってしまったのでした。

今回はここまで。
次回「北欧との出会い」④
「円安って損と痛感」に続きます。

<脚注>
※1 羽田から飛び立った
1978年5月20日成田国際空港が開港し、国際線はそれまでの羽田から成田に変更になった。

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