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カタチあるものが苦手なわたし

わたしは直感派な人間です。
言葉にするのが苦手だし、根拠もないのに感じるがまま心が動いてしまったり……

大学で一番苦手な授業は「ディベート」でした。
あれはしっかり理詰めで議論を進めていくものです。
だからわたしとっては「ちんぷんかんぷん」でした。

論理立てて話すひとや、じぶんの意見を発言できる人のことをいつも「すごいな〜✨」と思っていたし、じぶんとは異なる人種だなぁ〜と感じていました。

それは社会人になってからも変わることなく、そんなすごい人たちとじぶんを比べては、「どうしてみんな、あんなに凄いんだろう?」と疑問に思っていました。

対してわたしの言語化はというとぜんぜん成長しません。
言語化というか「何を言語にしたらいいのかわからない」という方が近いかもしれません。

何もないわけではない。
何かはある。

でもそれを言語化するにはすごい時間がかかるし、そもそも言語化するような存在じゃない気もする。

だからカタチあるものに出会うとソワソワしてしまうんです。

とても抽象的なはなしになってしまいましたが、これは物質的なモノでも同じです。

例えば、人混みに行くよりも目のまえの鳥の気持ちを想像している方がよっぽど楽しいし、モノを手に入れるよりも色んなことを経験することを望みます。

SNSの発信では発信内容からその方の雰囲気を感じとるのが好きだし、リアルでの会話では発せられる言葉の裏にある感情についつい目がいってしまいます。

伝わるカタチのものを受信することはもちろん大切だけれど、見えない・聞こえない部分の「何か」をそばに感じるほうがわたしは楽だし、なにより心落ち着きます。

そんなわたしだから、いつまでたっても発言することが億劫だし、文章を綴ることに苦手意識を感じてしまうのでしょう。

でも先日読んだ本から「書くことは考えること」と学びました。
あるものをただカタチにしするのではなく、「考える」という作業を通してカタチにするのは面白そうです。

書くことで、考えることができる。
たぶんいつまで経っても話上手にはなれそうもありませんが、考える作業をしながら書いていくのは挑戦していきたいなと思います。

そんなことを考えながら、今日もnoteを綴ってみました。


いつも読んでいただきありがとうございます☆