見出し画像

途上国ベンチャーで働いてみた:PCR検査ビジネス戦国時代(通算360日目)

2020年7月、人口2億人近くを擁するバングラデシュ共和国内のコロナ陽性患者は一日5000人程度に押さえられていたが、政府系検査機関が無料で提供するPCR検査は供給量に制限があり、有症状者のみに検査受診枠を絞ってもなお、検査予約から検査実施までに一週間の待ち時間があるといわれている状況であったことから、感染者数の実態は誰にも把握できない環境だった(一週間も待っている間に治るよねっていう…)

政府系検査機関が提供するPCR検査に使用する試薬や検査機器類は、中国や米国から国際援助として提供されたものであり、そこには政府間の取引という要素だけでなく、保健省内部の政治的な思惑も絡んだ複雑な事情が蠢いていた。

当初、日系商社からのオファーもあり、日本の検査薬メーカーからPCR試薬キットをバングラ政府系検査機関へ輸入販売できないかと試みたが、この機に乗じた輸出入ビジネスを考える事業者が中国・韓国から軒並み保健省および薬事局への許認可申請に列をなしており、小ロットを試用目的で輸入するための許可でさえ、正攻法では取得まで至らなかった。

そもそも、バングラをはじめ途上国の多くは海外から輸入される医薬品や医療機器の品質を自国でアセスメントするノウハウを有していない。よって、初めから米国FDAや欧州の認証規格であるCEを取得している製品であることをもって、輸入許可を出している。バングラ薬事局との交渉を重ね、米国FDAや欧州CE認証を有していなくても、日本の厚労省が「体外診断薬」と承認した証としてPMDA(医薬品医療機器総合機構)認証の書面を提出すれば過去の取引歴に免じて輸入申請を通してもらえることになったが、問題は、日本のPCR試薬は「研究用」として開発された製品が多く、米国や欧州の標準規格どころか、日本国内において「体外診断薬」としての承認が出ている製品がわずか2-3に限られていたことだった。そして、「体外診断薬」の承認を得ている製品の製造メーカーは、数か月後にやってくると囁かれていた秋冬の日本国内における需要拡大に備えて在庫を蓄えており、国外輸出には極めて消極的だった

この時期、日本国内では「研究用」のPCR試薬に「体外診断薬」認証薬と同等の効能があることを示す国立感染研の報告書に基づき、「研究用」のPCR試薬も「体外診断薬」に適用される公的医療保険の対象範囲とする旨の厚労省通達(疑義解釈)をもって、医療機関による「研究用」試薬の臨床使用が認められていた。製造メーカーにとってみれば、コロナパンデミックが起こるまで、PCR試薬に対し「体外診断薬」認証を取得する費用と工数をかけるだけのメリットは見出されていなかったため「研究用」として製造販売してきたが、想定外の臨床需要が生まれたことで、厚労省から例外対応として臨床目的の販売を行うことにお墨付きを得ていたのだ。しかし、これはあくまでも日本国内の内部事情、途上国のお役人には一切通じない。厚労省通達を英訳し背景事情をまとめて何度も説明を試みたが、とにかくPMDA認証書を出せの一点張りであり、大使館やJETROといった政府関連機関を通しても動くものではなかった(いかんせん、日本の政府関連機関は、バングラの保健省や薬事局内部に人的ネットワークをまったく有していなかった)。

結果的に、私たちが輸入を検討していた日本の製品は数ヵ月かけて正規ルートでPMDA認証を取得し、改めて薬事局に輸入受入を認めさせるべく交渉に臨んだが、その頃には中国を押しのけて韓国製品が軒並み流入し始めており、PCR試薬の市場価格を押し下げてしまっていたため、ビジネスの機は逸してしまった国際競争に勝てない(勝つ気のない)日本という閉ざされた島国の実態を感じざるを得ない出来事だった

画像1

余談だが、この薬事局との交渉の過程で垣間見えたバングラのお役所仕事は、なかなか興味深かった。とにかく、提出書類はすべて紙。輸入許可を得たい製品の情報、メーカー情報、各種証明書など、申請件数が何件あろうと何百枚になろうとすべて紙。そもそも申請に必要な書類はなにか、という情報はウェブサイトなどには掲載されず、薬事局の申請窓口の横に張り出されているだけ。窓口には申請書類が山積みになっており、3-4人の職員が書類の過不足がないかをチェックしているが、人海戦術なのに人手が足りていないので書類の過不足チェックだけで2-3日待たされる。そして、指定の日に改めて窓口に行くと、窓口横の張り紙には書かれていない書類の不備を指摘され、書類を突き返される。その場で必要書類を印刷して添付できれば早いのだが、お役所に印刷機は置いていないので、出直す羽目になる。ようやっと書類をすべてそろえて窓口チェックを通過し、担当役人の部屋まで行くと、再びあれがないこれがないとどこにも書かれていない要件が示され、出直し。再び部屋を訪れるときには、前回提出した書類は他の部屋に積まれた書類の山の中、補佐役の事務員が該当書類を探し当てるまで延々と待たされる羽目になる。

なんという非効率。。。いや、もしかして日本のお役所もこんなものか...?

そもそも思い出してほしい、バングラの首都ダッカ市内の人口過密度と10kmの移動で2-3時間かかる交通渋滞のひどさを。

役所に行って帰るだけで半日はつぶれるし、行く前の印刷物準備だけでさらに数時間つぶれている。役所のあるエリアはリキシャを使うと裏路地のでっこぼこ道を走らないといけないから腰を痛めるし、かといってCNGは入ってこれない位置にあり拾いづらいしUberは目立った目印が近くにないのでたいてい迷った挙句キャンセルしてくる。

薬事局に通い詰めたこの時期、私のイライラ度はバングラ滞在中Maxに近かったと思う。

同じ2020年7月の頭ごろ、私は薬事局だけでなく、保健省下部組織であるDirectorate General of Health Services (DGHS)という機関とも交渉を始めていた。PCR検査室の運営許可を得るためだ。

バングラ政府は当初、PCR検査の提供は政府系検査機関に限り認めるとする方針を出していた。しかし、迅速にPCR検査にアクセスできない環境への不満、そして政府系機関の検査室及びプロセスの質に不信感を持つ富裕層・中間富裕層の人びとの間で高まる需要に目を付けていた政府筋に近しい民間医療機関・検査機関5社は、政府のお墨付きを得て、1検査当たり3500BDT(≒約5000円)でのPCR検査サービス提供を始めた。保健省からは、PCR検査サービスを提供するための検査設備や人材の要件も公表されておらず、まさに全国の民間医療機関・検査機関は当該5社に先手を打たれる形となった。政府系検査機関であれば無料で検査が受けられるにもかかわらず、民間医療機関・検査機関5社の検査数はそれぞれ一日当たり400-500件を超えており、需要の底堅さを示していた。

法人向けの職場衛生環境コンサル事業や遠隔問診サービスで数ヵ月間凌いできた私たちも、コロナ騒動が始まって3ヵ月程が経ち、この騒動が当初の世界中の想定を超えて長引くものになるだろうことを感じていた。手元キャッシュが半年もつかどうかという程度にまで落ち込んでいたため、日本に留まっていた役員陣や株主は投資の決断に極めて消極的だったが、現場にいる人間としては、一刻も早くPCR検査室をつくり検査ビジネスに参入しなくては、競合の医療機関・検査機関に顧客を根こそぎもっていかれてその先の道筋までも描けなくなるという危機意識しかなかった。PCR検査に投資をした場合としなかった場合のプロコンを整理し、他に道はないことを訴え、なんとか経営陣の許可を得たときには、先手の5社に続き知名度のある中堅~大手機関が徐々に市場に参入し始めていた。

そこから、DGHSからPCR検査室のライセンス認可を受けるまでの私たちの道のりはそう易しくなかった。

(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?