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ヨロコピタンが消えた

 ヨロコピタンはまだまだ謎の存在であり、その生態は解明されない部分が多い。
 養老にある歴史深い宿、千歳楼にヨロコピタンは現れ、きっかり1週間経った日曜の午後、忽然と消えた。
 その日は、朝から天気がおかしかった。3月半ば、春のような日差しを感じたかと思えば、次の瞬間にはみぞれが降る不安定な気候だった。千歳楼のある養老山脈の麓にも雪が舞い、時には横殴りに吹雪いて落ち着かなかった。
 昼下がりの午後、ヨロコピタンもまだ2階の大広間にいて、そこにいる人たちは一様に、窓から見える雪をじっと眺めていた。今年は雪が多く、3月に入ってようやく寒さが緩んだ折の、この突然の降雪に誰もがぼやいた。
 それでも、歴史を感じさせる特別な広間の、パノラマのように広がる木枠の窓越しに、雪が横殴りに降る様子はいかにも美しかった。見上げる養老山脈をベールのように雪が覆い、それをカメラマンが写真に収める。
 ヨロコピタンが消えたのは、そのすぐ後だった。気がつけば既にいなかった。
 もっとも、これはよくあることで、彼らの常套手段ともいえる。ヨロコピタンの周りで、何かしら騒ぎが起きたり、気候がおかしくなったりする時は要注意だ。偶然なのか、意図的なのか、人の気がそちらに逸れている間に、ヨロコピタンは現れ、そしてその場を去る。
 今回も、皆が雪に目を奪われている隙に忽然と姿を消した。
 去り際があまりに鮮やかだったので、しばしば人々は迷う。これは1週間続いた幻だったのか?そもそも彼らは本当にいたのか?
 1週間という時間は、彼らにとって長いのか短いのか?もとより、時空を超えた存在の彼らに、時間の概念などない。
 ヨロコピタンにとって、1週間は千年にあたるかもしれないし、千年は彼らにとって1週間程なのかもしれない。あるいは、この千歳楼に、千年もの間、彼らは居て、たまたま人の目に現れた一週間だったのかもしれない。
 ともあれ、大切なことは、彼らとて腹が減る、飯を食べる、ということだ。ヨロコピタンが出現している間に、その周りで、食べ物がなくなるというということはよくある話。
 だから、ヨロコピタンが傍にいる間に、菓子が一つなくなった、おにぎりが消えたなどと、隣人を責めてはいけない。おそらく、コッソリ彼らが食べているのだ。
 そして、そっとしてあげてほしい。
 ヨロコピタンの分けまえと思って、どうか寛容であってほしい。
 そうこうしている間に雪が止んだ。山の中腹から望むと、遠くに見える濃尾平野にキラキラと光が射した。
すると、誰かが呟く。
「あ、虹!」
 皆がそちらに目を向ける。
 確かに、山の向こうの明るくなった平野に、虹が、ぼんやりとは見える。しかし、目を凝らしてもなかなかはっきりとは見えない。
 ましてや、その虹を、ヒョコヒョコ渡っていくヨロコピタンの姿など、誰の目にも見えなかった。

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