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私の勉強法

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 「字が汚い人ほど勉強ができる。」そういう俗説がある。アインシュタインもスティーブ・ジョブズも字が汚かった。真偽のほどは定かでないが、私には何となくわかる気がする。なぜなら、字が汚い人ほど、勉強で苦労したはずだからである。苦労した分だけ、勉強ができても不思議ではない。
 自慢ではないが、私も字が汚い。どのくらい汚いかというと、自分の字が見たくない。自分で見るのが嫌になるほど字が汚い。だから私は、学生時代も社会人になってからも、ほとんどノートを取ったことがない。取ったところで、どうせ見返したくないのだから、そんなノートに意味はない。
 ノートが取れなければどうするか。覚えるしかない。森下典子さんの『日日是好日』(新潮文庫)を読んでいたら、茶道の先生から「メモを取ってはダメ」と言われた。そう書いてあった。きっと、そうすることで覚えさせたのだと思う。メモが取れなければ、覚えるまで繰り返すしかないではないか。

池田清彦先生の「む」の書き方

 中学のときは、問題集を自分で作っていた。試験前にノートを作る人は多いが、私の場合は問題集を作る。当時はパソコンなんかなかったから、父親のお下がりのワープロ専用機で作った。当たり前だが、自分で問題を作ると、答えも解き方も忘れない。本屋で問題集を買ってくることもあったが、目的は解くことではなくて、問題作りの参考にするためだった。ノートを作れない私なりに、苦労して身につけた勉強法だった。
 私は別に、この勉強法を他人に勧めるつもりはない。なぜこの話を書いたかというと、結局勉強は自己流しかないと思うからである。巷にはありとあらゆるハウツーが溢れている。勉強法だけではない。こうすれば仕事ができるとか、こうすれば稼げるとか、そういった云々。別に、それらを否定するつもりはない。しかし、そうしたハウツーを真似して、うまく行った人がいるんですかね。
 そのハウツーが成功したとすれば、それは当人が苦労して学んだハウツーだからであろう。それを他の人が真似してみても、うまくいくとはかぎらない。「茶道のすべて」という本を読んだら、茶道のすべてがわかるのか。そんなわけはなかろう。苦労して学んだから身につくのである。森下さんの本はそこを書いている。養老先生も書いているではないか。「人生は長い。人からもらった正解で生きていけるほど、人生は甘くない。」


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