見出し画像

意識のはたらきと、変わらない自分

ジャケットは、ロンドンの自然史博物館で本を眺める養老先生。先生は昆虫の標本を調べるために、よくこの場所を訪れるという。
養老先生の講演CDは、筆者が知るかぎりで6枚存在するが、こちらは新潮社から出ていることもあって、もっとも手に入りやすい。ベストセラー『バカの壁』刊行の直後に出たもので、養老先生のエネルギッシュなトークを堪能できる。

❖ 寝ている間は人生か

養老先生の講演を聞いて誰もが口にするのは、「話が上手い」「面白い」ということだ。先生はよく「俺が話してると学生が寝る」と言う。そして、「みなさんももうじき寝ますよ。もうわかってます」と冗談で会場を沸かせる。こんなふうに、養老先生の講演では自然に笑いが起きる。
ところで、寝ている間脳は何をしているのだろう。休んでいるのだろうか。しかし酸素の消費量を測ってみると、じつは起きている間と変わらない。それなら、寝ている時間だって人生ではないか。意識なんて、人生のせいぜい3分の2でしかない。だから意識を買い被ってはならない。そうやって自然に本題に移る。まるで落語の枕だ。

❖ 同じ私

では、意識は何をしていのるか。朝目が覚めて「私は誰だ?」となる人はいない。「私は私」それが意識だ。昨日と今日では意識が途切れているにもかかわらず、自分は「同じ私」だと思っている。
でも、よく考えてみれば「同じ私」というものは存在しない。だんだん歳を取る。体を構成する物質も入れ替わる。それなら、「同じ自分」はどこにあるのか。変わり続ける自分を「同じ」だと思っている。まさにそのことこそ意識ではないのか。

❖ 言葉と意識

意識によって「同じ」が生じる。丁寧に観察すれば、世界には「違う」ものしか存在しない。このリンゴとあのリンゴは必ず違う。それならなぜ、「同じリンゴ」と言えるのか。
英語を習うとき、“an apple”は「どこのどれでもないリンゴ」と習う。これは、頭の中に思い浮かべたリンゴではないか。そして、現実の具体的なリンゴが“the apple”。実際には同じリンゴというものは存在しないが、頭の中では「同じリンゴ」にできる。それがまさに言葉ではないのか。言葉は意識のはたらきであり、意識は絶えず「同じ」と言う。

❖ 情報は変わらない

言葉は情報であり、情報は変わらない。変わらないから「同じ」と言うことができる。テレビのニュースだって、ビデオに録画しておけば、何年経ってもそのままだとわかる。「変わらない自分のまわりを、変化する情報が漂っている」と思われているが、じつは逆で、本当は変化しない情報のまわりを、変わり続ける自分が漂っている。
ところが、現代社会では自分は変わらないという「常識」ができてしまった。つまり、情報化社会とは人間が自分を情報だと思い込む社会である。ここで、冒頭の「私は私」の話につながる。すなわち、寝ている時間を人生とみなさない意識中心社会の帰結として、情報化社会が生まれた。

“養老節”がたっぷり詰まった70分

❖ 心に個性は必要ない

自分が変わらないと、いちばん困るのは教育だ。教えても変わらないのでは意味がない。個性はもともと体にあるもの。顔を見れば一人ひとり違うことは誰でもわかる。ところがいまは、心に個性があると思われている。人と違うことを言わなければならいみたいに勘違いしている。
心に個性があったら、本当は精神病院に行かなくてはいけない。精神病院には個性的な人がたくさんいる。その個性を理解する必要はない。理解できたら患者が増えてしまう。自分だけの感情や理屈には意味がない。心はなるべく共通でなければならない。

❖ 子育てが難しくなる理由

「自分は変わらない」と思っている大人が、どんどん育っていかなければならない子供を扱う。子供が変わっていけば、親も変わらなければならない。けれども、「同じ私」「変わらない私」と親が思っているから、子育てが苦労する。
現代人は、子供は親の都合で産むもの──つまり自分の意識が決めることだと思っている。しかし、生まれてくる子供からすれば、ある日気づいたらもう生まれている。それは、自分の意識とは関係ない。それくらい意識に偏っている。

❖ 努力・辛抱・根性

いまは意識の世界に入ってくるものしか評価されない。だから自然の価値がなくなってしまう。雑木林を「空き地」と呼ぶのは、そこに生えている木を無視している。子供とは、地面に生えている木や草みたいなものである。それを大人の都合で更地にしてしまう。それが現代社会。
自然と付き合うことがなくなって、意識でものを考えるようになると、努力・辛抱・根性がなくなる。あれは身につけようと思っているのではなく、自然についてくる。子育てしたお母さんにも同じようについてくる。

❖ じゃあ、どうすればいいですか?

そうすると、必ず訊かれるのが「じゃあ、どうすればいいですか?」。面倒くさいから、日本人は参勤交代すればいい。3ヶ月田舎で働き、9ヶ月都会で働く。フランス人はバカンスに行くけれど、日本人は真面目だから代わりに勤労奉仕する。そうやって体を動かすと、考えも変わる。
だいたい、毎日都会で暮らしていることが異常。都会と田舎が両方あって、はじめて社会は成り立つ。人間も社会も、「都会=心」と「田舎=身体」のバランスが大切。都会暮らしで体を使わないのもいけないし、田舎暮らしばっかりで頭を使わないのもよくない。だったら、参勤交代は悪くないと思いませんか。

以上、CDの内容を駆け足で紹介した。こうしてみると、いわゆる「養老理論」の真髄が見事に凝縮された講演ではないだろうか。本当は、これを肉声で聞いてほしい。養老節は生で聞いてこそ存分に味わうことができる。それが叶わない方は、せめてCDだけでも聞いてほしい。本しか読まないなんて、もったいない。

ここから先は

0字

まにあっくすプラン

¥500 / 月
このメンバーシップの詳細

養老先生に貢ぐので、面白いと思ったらサポートしてください!