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無風選挙

ひとりで、時間を取って、落ち着いて、深く物事を考えたり、自分の感情を整理したりする時間のないまま生きていると、なんとなく揺蕩っているような心地になる。

地に足がつかない。ふらふらする、なにも考えられないまま、ただ〆切だけは守らねばならないからどうにかする。あまりにも速いし運転も乱暴なので窓からの景色がぐにゃった線のように見える、火の車。

そういうときってひとつの物事に固執するどころか、軸を通すとか、そういうことができないように思うけど、実はそうではなく。
考える時間が無いからこそ、強い感情や意見、今まで得てきた自分の中でのステレオタイプにしがみつきがちなのでは? 

と、思ったのであります。

というわけで、日記を書きます。1日目。

深刻な語彙不足と著しい思考低下を憂いて、無理やりにでもやっちゃえ、ひとまず一週間は続けてみようぜ! と、意気込み、始めたはいいものの、早速日付を超えております。課題を優先して頑張っていた。どうにか、どうにか。

課題、と言われて、フィクションな文章を書いたり、作品を制作したりするのが、当たり前になっていることに気づく。
ワークやってきてねとか、問題集のここまでねとか言われていた時代がはるか昔。なんならレポートも遠い、書いてないわけではないけど。
なかなか特殊な大学生活をさせていただいているなぁと思う。

溺れかけてて、多少苦しい、みたいな状態をずっと更新し続けて、遠くまで泳げるようになる、というような課題の設定をしている気がする。

だからこそ、アイデアが湧かないときの、水中で足がつったみたいな恐怖。

ああいうときってなんでこう、世界が無音になるんだろう。私だけか? 焦ったときとか本当にやばいってときに耳がキンと鳴って無音になるのは。やだちょっとこう書くと強キャラっぽいな。演出みがある。

マツコの知らない世界で萩尾望都が、アイデアを出すためにお風呂に入って、「ワニみたいに目だけ出して浴槽に浸かる」と言ってたな、とか。
村上春樹は「この時間は机に向かう」と絶対決めてるんだよってハルキストの母が言ってたな、とか。
セカオワのFukaseは作曲作詞をするときに自転車で工業地帯とか夜の街を走るって言ってたな、いやでも今はもう目がイってないからもう自転車漕がないかもしれないな、とかついでに思ったり。

ボタンをぽち~と押したらアイデアがレシートみたいにスーッと出てくるような世界ではないのだけれども、まぁ出やすい、みたいなのは正直わかっておきたい。

最近、ビジュアル的ななにかを紙面で作るとき、部屋を暗くしてオレンジっぽい光で照らさないとうまくノれない、ということに気づいた。
あと夜の街、車は通るけど人はあんまり通らないような道を歩いていると、文章が浮かぶこと。

ただしくるりは聴いちゃだめ、夜1人で歩きながら聴くくるりは殺意を上手に育てすぎてしまうので、本当に文章を書きたいときじゃないと溢れてどうにもならなくなる。くるりはえぐい。

昨夜、今年出たアルバム「天才の愛」をようやく聴けたのですが、その中の一曲「益荒男さん」にドはまりしました。私はこういうくるりを好きになりがち。聴いてください。

初日だしな、の甘えですごいとりとめもない、まさに日記! という感じ。いやでも。初日だしな。まともにnote書くのすら久々。

無風選挙はとくに関係ないです。そういや都議選近いですね。

あそんでみてください ↓


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