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洋食屋エルムの掟を守っていた、あの頃の大学生たちへ

忘れられない洋食屋がある。大学時代に何度も通ったお店。

安くて、量があって、うまい。学生にはぴったりの場所。けれど、店を利用するのに特殊なルールがいくつも存在していた。

そんな不思議な空間を、ここに閉じ込めておきたい。

***

大学1年生のころ。2限が終わると、各教室から学生が解き放たれ、キャンパスに溢れる。授業という夢から目覚めた顔のまま、ぼくは教科書をバックにしまう。

「メシ行かない?」

学部の友人に声をかけられ、3人でランチに繰り出すことに。

キャンパス付近の飲食店はどこも混んでいる。お店を悩みながらぶらついていると、ある看板が目についた。

「あ、ココおいしいらしい。行ってみようよ」

これが「エルム」との出会いだった。

店の外で並んだ後に、店内へ。厨房にはおじちゃんが1人でせっせとフライパンを振るっていた。他に店員はいない。1人で切り盛りしているんだろう。

カウンターについて、メニューを眺める。オムライスやカルボナーラ、ポークカレー。お馴染みの洋食たちだ。

お水はセルフサービスなのか。いったんお水を持ってこよう。そう思い席を立つと、店主のおじちゃんがピシャリと言い放った。

「先に注文!」

え…?すごすごと腰を下ろす。す、すみません。そんなにいけないこと、しちゃった…?

慌ててぼくたちは注文を口々にした。「あ、オムライスで…」「自分はナポリタ」

「全員同じにする!」

再び電撃のようなおじちゃんの声が、ぼくたちを静かにさせる。

恐る恐るさし示しながら、ぼくたちは「ナポリタンで…」と注文を終えた。


いや理不尽すぎやろ。

メニューくらいゆっくり選ばせてくれや。各々の食べたいもの食べさせてくれや。

プンプンとした気持ちを水で飲み込んでいると、目の前の張り紙が目に入った。

「エルムの掟」
・食べ終わった食事は恐れ入りますが、カウンターの上にお願いします
・お水はセルフサービスにてお願いします
・11:30〜14:00の混雑時には出来るだけグループで同一の注文でお願いします


なんだ。グループ同一注文って書いてあったんだね。ごめんね見てなくて。有無を言わさずだから「出来るだけ」ではなかったけどね。というか「掟」って怖いんだけど。

おじちゃんに叱られてしまった手前、少し気まずい雰囲気が流れていた。しばしやりようのない時間がたったあと、カウンターにナポリタンが置かれる。

できたての匂いと溢れ出る湯気が、お腹をさらに空かせる。期待を添えてひとくち。太めでモチモチしたパスタに、昔ながらのソースがいい塩梅でからまっている。クルクルと回すフォークは、速度を上げていく。

「うまかったね。おじちゃんヤバかったけど」

そんな感想を漏らしながら、昼休みを終えた。




エルムへの出会いを果たしてから、ぼくはお店に通うようになった。おじちゃんはクセが強すぎるのだけど、やっぱり料理がうまいのだ。

そして、ぼくは行くたびに不思議な「エルムワールド」に足を踏み入れることとなった。

カルボナーラを頼んだときのこと。カウンターには、謎のパスタが置かれた。

パスタに絡まっているのは、火が通った炒り卵。あのドロドロ感は全くない。具材はピーマンとタマネギとベーコン。ナポリタンの構成員…?

恐る恐るひとくち。う、うまい…!「本来のカルボナーラってなんだっけ?」と部分的に記憶喪失に陥ったものの、目の前の謎パスタはおいしい。

常連客たちはこれを「カルボ」と呼んでいて、カルボナーラとは非なる存在として取り扱っていた。一部学生には「あれは塩やきそば」と言われていた。


他にもエルムの謎はあった。それは、おじちゃんの機嫌によるメニューの決定システム。

おじちゃんはランチタイムで店が混んでいるほど、機嫌が悪い。忙しくてしょうがないからだ。しかもメニューの中で1番手間がかかるオムライスは、さらに機嫌を損ねてしまう。なんなら却下されることがある。

オムライスはおじちゃんの機嫌がいいときしか頼めないメニューなのだ。ぼくは「今日はオムライスいけるのか…?いや無理な気がする」と気にしすぎて頼むことなく大学を卒業した。もったいな。

おじちゃんは料理の手間をとにかく気にする。ぼくがメニューを見ながら悩んでいたとき、おじちゃんに「カレーなら20秒…カレーなら20秒…」と囁かれたことがある。よそうだけで終わるからね。

そのときは、体を小さくさせながら「カルボナーラで…」と恐る恐る注文した。おじちゃんは「へっ!」と言ってフライパンを振り始めた。


そんなエルムに足繁く通ううちに、おじちゃんに顔を覚えられた(気がする)。おじちゃんの反応が明らかに変わってきたのだ。

ぼくはランチタイムをあえて外して行くようになった。14時など人がいない時間にお店に行くと、おじちゃんはすこぶる機嫌がいいのだ。

そして、段々話しかけてくれるようになった。

「おぃ!あの◯×※ったらよぉ〜、△□◯ってなぁ!ははは!」

めちゃめちゃ笑顔でしゃべっているのだけど、何を言ってるのかはわからなかった。とりあえず敵意がないことは伝わった。

「いや〜そうですよね〜!」と無味無臭の相槌をしたら喜んでくれた。これでいいのか。

とはいえ、初見のお客様への理不尽さは変わることはなかった。ぼくが店内で1人カルボを食べていたときのこと。

男子学生が1人来店した。おどおどした様子なので、きっと初めてなんだろう。その学生はメニューを見て、おずおずと注文した。

「すみません、ナポリタン1つ」

おじちゃんは無言でガタガタとフライパンをゆすっている。そう、おじちゃんは注文に対して聞こえていてもリアクションしないのだ。

不安になった学生は、声のボリュームを上げる。

「すみません、ナポリタン1つ!」

ガチャンガチャン。店内にはフライパンがコンロに当たる音しか聞こえない。学生は声を振り絞る。

「すみません!ナポリタン!!」

その瞬間、おじちゃんはフライパンを置き、目を見開いた。

「おまえはナポリタン3つもほしいのかぁ!!」


理不尽極まりない。「あいよ!」とか「ナポリタンね!」って返事してあげれば済んだでしょう。かわいそうだよ。怒らないで。

そのやりとりを見ていたぼくは、俯き小刻みに震えることしかできなかった。



頑固でクセが強いけど、おいしいカルボを作ってくれて、たまに笑顔を振りまいてくれるおじちゃんが大好きだった。

はじめておじちゃんと笑顔で話せた瞬間(意思疎通はできていないが)、「あぁ、卒業後に来る店はここなんだろうな」という安心感が胸によぎった。

またいつか理不尽な対応を受けながらも、笑ってカルボを食べたい。そんな未来が見えた。けれど、その未来は実現することはなかった。

ぼくが在学中、エルムは閉店した。おじちゃんは1人で切り盛りしながらも、無理していたんだと思う。正直、結構な歳でもあったはずだ。

今は元気かな。もうあの味には出会えないし、メニューを自由に選べないことに悩まされることなんてない。

でも学生時代に、そんな世界に足を踏み入れさせてくれたことを、とっても感謝している。

同じ体験をした人がきっとどこかにいるから、その人にも届くといいな。

あの掟を、忘れていないあなたへ。

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