最近の抽象

読まれていようと、読まれていまいと、というかそれも分からないこういった公開の場で何かを綴るとき、抽象の話をしても仕方ないと思う。
とっかかりがなく、求められるのは常に具象の、より言えば刺激的なのは固有名詞だ。何を言うかではなく、誰が言うかだし、何を言うにも誰か何かのことを指し示す方がいいだろう。
美術手帖の「言葉の力」特集でほむほむがプラットフォームだけが存在してそこに入れ替わり立ち代りコンテンツが流動していくだけの時代という話をしていて面白かった。彼はそれでも、言葉そのものの力を信じてるようだった。

代替可能性や交換可能性の話は以前しただろうか、僕はずっと代替可能性ということを思ってきたけど、飴屋さんが最近交換可能性という言葉を使っていた。

唯一性だとか偶然性だとかが介入する矛盾の中に、それでも本当に誰でも何でもいいとは思わないだろう。
すべてではなく唯一、そんな台詞がネオンデーモンで印象的だった。

人生そんなに割り切って生きれたもんじゃない
かける言葉に最適もなく、かける場所と時間をわざわざ間違えにいったりする。

葬いや儀式ばかりがあるけど、ちゃんとそれがイニシエーションになって、いつかの日のためになるといいな

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