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なぜ写真を撮るか

「なぜ写真を撮るか」について今年の思いを書く。

多分このテーマは月日とともに変わる。体験したことや影響を受けたりでまだまだ変わると思う。なので今年はどう思ったかを書く。きっとその答えはない。

今年はどんなシーンの写真が多かったか

2020年に撮影し、Macの標準アプリ「写真」に追加した写真の枚数を確認した。

自分一人で家を出て撮った写真は約1700枚だった。
家族と一緒にいる時の写真は約1万4000枚だった。

圧倒的に家族と一緒にいる時の写真が多かった。
ただ、それには子供が小さく昼間のお出かけは家族一緒であるというアレだった要因が大きい。
なので家族の映る写真が9割というほどでもなく、多分半分くらいだと思う。

それでも今年は家族で作り込みの写真や反対になるべく自然に楽しむ様子、なんでもないような近所の公園でも取り敢えずカメラ持っていって撮る等に挑戦したりした。
普段SNSにあげる写真は自分一人で夜出かけていった写真ばかりだけど、実際に数字を見てみると家族の写真ばかりだったという結論になる。

どんな成果があったか

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少なくとも僕は同じような写真を撮ることには慣れているけど、毎回毎回同じような写真で満足することはできなくて飽きっぽいので、少しでも特徴が変わる写真を撮ろうと考えて立ち回ることをしてきた。

一人のときは三脚置いて、じっくり構図を変えていって・・・と満足の一枚が撮れればいいんだけど、家族といるときは短時間で終わらせなければならなかった。
なぜかって、僕よりも飽きっぽい3歳児が一緒だからだ。なんならカメラをやってない家内も撮られるばかりではつまらないだろう。カメラを嫌われないようにささっと終わらせることやモデル代(3歳時に)をぶら下げたりもした。

そういうプロセスは経験しておいてよかったかもと思ってる。他人の家族を撮る機会もあって、そんなときはより一層ににこやかに子供の気持ちに寄り添って撮影するようにした。プロでもないしお金をもらったりするわけでもないけど、そういうことが僕の突き詰めていきたいところだったりする。

今年はちょっと面倒と思いつつも撮影される側に立った立ち回りができたり、家族写真を沢山撮ることができた。それが成果だと思う。

反省とか

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家族でちょっとした川廻しに行こうとして、前日にロケハンしてきて状況を確認したんだけど、翌日行くとヤマビルに幾度も襲われて散々な目にあったりした。(写真の場所ではありません)

細かい間隔で靴の中を確認して退けることで被害には会わずに済んだけど、何度駆除しても少し歩くとなぜか靴の中に居る。こんな体験はしたくなかった。家内にとってはトラウマだ。ここでは雨上がりの後は違うってことは学んだ。

要はコンディションやその場の様子に気を配るべきだということだった。別に動物だけに関することではなく、足元に瓦礫が転がっていたらそこは危険だとわかる。自然環境の場でも何かの跡はしっかり考慮すべきだ。

なぜ写真を撮ったか

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僕自身が写真を学ぶ為にということが理由の大半を占めている。それは数年続いている。
撮りたいと思う写真はあるけれど、まだまだ撮ってみると良かったと思うような偶然の産物ばかりだった。
作り込みの写真であれば、撮影自体を家族で楽しめるようにしたいと思った。ちょっとした探検した先に撮影場所があるならその道のりを楽しんでもらえたらと思った。お出かけするからカメラを持っていくというよりも、カメラを持っていくからお出かけしようという気持ちが強かった。

自分の為と家族の為の理由やそもそも目的ではないことが多かったけど、やっぱりカメラから出てくる絵は良かったりしてそれを見たいが為に撮っていたりもした。

すごい絵の出てくるカメラを買ってしまったのでやっぱりそのカメラで沢山写真を撮りたくなった一年だったかもしれない。