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転んで分かること

「子どもたちにいかに真の自己実現、人生の成就感を味わわせるか。立ち止まったり、戻ったりすることもある。転んで分かることもある。『精神の修養』を続け、『くじけない心』を養ってほしい」

 同じ年齢でも、成長の早い子・遅い子、様々いる。子の適性を考え、他と比較することなく、長い目で子どもの自立を支援していけたらと思う。
 「子ども叱るな、みんな来た道。年寄り笑うな、みんな行く道」こんな言葉が、県校長会の壁にあった。
 この8月、次期学習指導要領の骨子案が中教審から出された。社会に開かれた養育課程、アクティブ・ラーニング、小学校英語の教科化等々。多忙化が進行しオーバーフロー状態が心配である。
 昔、先輩に言われたことがある。「不易とは物事に固執することではない。本質を理解し、継続しようとする精神。故に、物事の狙いや目的を見極める心が肝要」「流行とは過去を否定するものではない。現状に対し柔軟に対応する姿勢。故に、今を的確に見据え、未来を予測する視点が肝要」
 人としての基礎を創る義務教育時代である。「グローバル化、ICT化が進む不透明な未来を生き抜く力の育成」等と言う旗印の下、あまりにも経済が欲している人材育成に文科省は傾聴しすぎていないか。
 温室育ちの促成栽培、一喜一憂するPISAの順位。結果重視の人間が、この国の将来をESDではないが持続可能に担えるか。大量生産、大量消費、大量廃棄。常に右肩上がりの経済指標。即戦力を求める経済界。義務教育諸学校は○○会社付属学校ではない。
 一個の人間としての子どもたちに、いかに真の自己実現、人生の成就感を味わわせるか。地下鉄の車内、ほとんどの人がスマホを見ている。異常である。情報が溢れている社会の中で、バーチャルな知識の活用能力の育成。喫緊の課題だと言う。そうかもしれない。しかし、それが本当に学校教育の使命であるのか。義務教育を修了し、上級学校等へ進学する中で自らの嗜好に従い、人生航路をゆっくりと絞っていく。自らの学びの需要に基づき、知識や技術を獲得していく。主体は自分である。「学び方を学ばせる」。このことが、人生のさまざまな場面で、課題を解決しうる力となる。立ち止まってもいい。戻ってもいい。転んでわかることがある。
 常に泰然とし、他者を思い、自己を律し、互助・互恵、さらに博愛に至るような「心」。めげない、へこたれない、打たれ強い「精神」。その修養こそが今の学校に求められている喫緊の課題ではないのかと思う。

引用文献   平成28年度 愛知県小中学校副会長 日進市立日進西中学校長 久保田 力 
教育新聞愛知県版の「提言」 2016.11.24

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