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435. ヘテロセクシズムとは?

ヘテロセクシズム(heterosexism)は、異性愛(ヘテロセクシャル)を基準(標準、正常)として、他の性的指向やアイデンティティを劣ったもの、基準以下のものや異常とみなす考えや態度を指します。

異性愛が「普通」や「正常」と見なされることで、その他の性的指向がそれから「外れるもの」として扱われるという考え方に基づいています。

しかし、「普通」とは何でしょうか?

この記事を読んでいらっしゃるあなたは「普通」ですか?「普通の人」ですか?

マジョリティ(多数派)は「普通」で、マイノリティ(少数派)は「普通ではない」という考え方は正しいのでしょうか?

そして、「普通ではない」人たちは気持ち悪いと思われたり、からかわれたり、いじめられたりしてもいいとお考えになりますか?

もし、「マイノリティはコソコソ生きていればいい」「表立って権利云々を主張するなんて持ってのほかだ!」という意見をお持ちでしたら、それは「あなたの物差し」で世の中を見ているからではありませんか?

あなたの「物差し」はいつの時代の物差しですか?

それは今の令和の時代をうまく測れる物差しになっていますか?

話がだいぶそれてしまいました。ヘテロセクシズムに話を戻しましょう。

ヘテロセクシズムの具体例は以下のようなものが考えられます:

1.LGBTQ+の人々の存在を無視すること。(例:そもそも男性が男性を好きになるとか、女性同士が結婚を考えるということが社会制度として想定されていません。ですから日本では同性婚ができないのが現状です)

2.異性愛以外の性的指向を持つ人々の経験やアイデンティティを否定すること。(例:「そんなの一時的な気の迷いだ」「異性に対して恐怖心があるからそうなったんだ」「一度異性と性交渉をすれば治る」など)

3.メディアや広告で異性愛のカップルだけが強調され、LGBTQ+のカップルの表現が少ないこと。

4.異性愛の関係を持つことが「普通」と仮定し、LGBTQ+の関係を持つことが「異常」または「特殊」と見なすこと。(例:昭和の時代には「禁断の愛」というような言葉が使われていましたね)

ヘテロセクシズムは、社会的な構造や制度の中でしばしば意識的・無意識的に浸透しています。

最近は(少しずつ)変わりつつあるようですが、一昔前のテレビドラマで同性同士の恋愛をきちんと取り上げるものはありませんでした。

そのような関係性は「あり得ないもの」であって、それをテレビドラマなどで表現すること自体が「考えられないこと」であり、そのような「異常なもの」を公共の電波を使って放送することが憚られていたのです。

つまり、そのように多数から逸脱しているものや人については「無視する」もしくは「いないように扱う」、「知らないふりをする」ことが暗黙の了解になっていたと言っていいでしょう。

このため、LGBTQ+のコミュニティの当事者は日常生活の中でさまざまな不利益や困難に直面していましたし、現在もそういう状況が見られます。

ヘテロセクシズムはホモフォビア(同性愛嫌悪)やトランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)とは異なる概念ですが、これらの概念はしばしば重なり合い、関連しています。

「マジョリティから外れているものは見て見ぬふりをする」のは、それが「気持ち悪い」ものであったり、「自分の価値基準とは異なるために受け入れられない」ものであったり、「自分の価値基準と合わないということは自分の存在やひいてはこの社会の在り方を壊す存在だ」というように考える方がいらっしゃるためです。

「同性婚を認めると日本の伝統的な社会・価値観・家族観が崩れる・破壊される」という考え方は、ヘテロセクシズムにもとづいた同性愛嫌悪(ホモフォビア)と言えるでしょう。

「マジョリティ=正しい」ではありません。

「マジョリティ=普通」でもありません。

この記事を読んでいらっしゃるあなたはどのような「物差し」で「正しい」とか「正しくない」とか「普通」だとか「普通ではない」と考えていらっしゃいますか?

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