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スタートアップを起業してから四年間の振り返り #1

こんにちは、株式会社アクシオンテクノロジーズの代表取締役の吉田拓史です。今回は、2021年9月中旬でスタートアップを開始してから4年が経過しますので、振り返りをしようと思います。

とても長いシリーズとなるので、目次から興味のあるところをつまみ食い頂けると幸いです。第1回の今回は編集者だった時期から、スタートアップを起業し、運営し始めた2017年9月前後の状況を説明しています。起業1年目は以前、このブログにまとめたこともあります。

当時のことを色々“詮索“したい人はこのブログを掘ることをおすすめします。

対象読者は、スタートアップをやってみたい人、やってみて闇に沈んだ人、それから業界に関する表では得られない知識を得たい人です。日本のベンチャー業界は一筋縄では行かなくとても大変でした。皆さん、僕の屍を越えていってください。

1. 編集者時代に購読型ニュースアプリのアイデアを発見した

有料購読ニュースアグリゲーターAxionのアイデアは、前職の編集者時代(2015〜2017)に発見した。デジタル広告の仕組みを知り、2016年の米大統領選でのトロールとフェイクの蔓延を目の当たりにした。これは2014年のインドネシア大統領選挙で僕が経験したことと酷似していた。もっと言えば、安倍政権時代にどこからともなく発生したネットナショナリズムキャンペーン/工作にも類似性がある。

僕は当時、たくさん考えてみて、インターネットメディアの2つの課題を認識した。①新しい種類の情報ヘのニーズがあり、既存のプレイヤーはそれを作れない、②誤情報やトロールは世界的な問題となり、世界はそれを解決するための戦略を探している、ことである。

DIGIDAY日本版の編集者を務めていたとき、テクノロジー、デジタルのような括りのものは網羅的に取材したが、どの業界に顔を出しても、日本は江戸時代のようだと感じていた。情報のギャップがある。

そして、前回のブログで触れたとおり、誤情報の散布と情報の低品質化というインターネットメディアの問題が日増しに大きくなっており、インターネット広告はこの危険な状況を助長するひとつの重要な要因だ、とも当時から考えていた。

このため、質の高い情報を集め、広告主ではなく利用者に寄り添い、その人の幸福の追求を最適化するサービスが従来型の「広告付き無料製品」の次のフロンティアだと考えた。

このように考える人は世界にはたくさんいた。Googleでインターネット広告部門のトップだったSridhar Ramaswamyは、サブスク型検索エンジン「Neeva」を公開している。Googleで世界最大のネット広告システムを構築した彼はいまや、広告付きの無料製品は長期的には消費者にとっても国にとっても良いものではないと考えている。「Neevaは、検索は広告主ではなく消費者のみに焦点を当てるべきであるという前提に基づいて構築されています」とRamaswamyは述べている。

Blogger、Twitter、Mediumなどを創業・経営したシリアルアントレプレナーであるエヴァン・ウィリアムズは、2016年の米大統領の直後から広告が果たした役割に懐疑的になり、最終的にはブログプラットフォームMediumのビジネスモデルを広告から購読型に転換する荒療治を行った。

サブスクリプション型のニュースアグリゲーターのアイデアはDIGIDAYに所属していた2016年末にはまとまっていた(概要についてはこちらのnoteをご覧ください)。DIGIDAYの運営からも僕のビジネスプランを支持するデータやインサイトは無数にあった。業界に居て一定の知識を身に着けた人なら、2016年〜2017年のトレンドの変化のなかで「絶対に賭けるべきアイデア」と判子を押すのは簡単だったろう。だから、まだ日本のスタートアップ業界の複雑性を知る前の僕は「あとはロケットを打ち上げるだけだ」と楽観的な未来を描いていたものだ。

僕はこのプロジェクトのための資金を簡単に集められると踏んでいた。インドネシアで八面六臂の活躍をし、DIGIDAY日本版の立ち上げの成功において獅子奮迅の働きを示し、業界で高い評判を得た自分ならわけがないと思っていた。

しかし、そう簡単は行かなかった。仕事を辞める前頃から、日系ベンチャーキャピタルのイベントを回ってみた。起業の下準備として米国のベンチャーキャピタルのコンテンツを舐めるように読み込んでいたので、日本のVCにも同じようなリテラシーを持つ人材がいると思っていた。しかしながら、実際には全く話が通じなかった。インターネットメディアは、歴史的に世界中のVCが多くのお金を稼いできたジャンルなのにもかかかわらず、なぜ話が通じないのか。ゲームはまずい展開へと分岐しそうな予感があった。

それから、僕が築いたと考えていた評判は、必ずしもスタートアップ業界には届いていなかった。しかも、彼らにはぼくのバックグラウンドを正しく調査をする技能もなく、お金もなく、「資本家階級となった」という誤った慢心だけがあった。

それでも僕は楽観的だった。優秀な仕事仲間に恵まれることが決してなかったサラリーマン時代、未成熟な同僚や上司をうまく動かしながら、基本的には個人技で他を圧倒する実績を積み重ねてきた。数十キロ重いハンデキャップを背負うレースには十分に慣れていたのだ。

しかも「どこかにしっかりとした人はいるだろう。いずれはその人に出会うことになる」と僕は考えていた。確率は裏切らないと。

なんと甘いことか。外界から遊離した集団思考に支配されたムラ世界の中では、僕は『賭博黙示録カイジ』のエスポワール号に乗り込んだカイジのようなものだったのだが、その事に気づいていなかったのだ。

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(2016年11月。渋谷のスクランブル交差点。職場が渋谷だった。この頃にサブスク型ニュースアグリゲーターのアイデアを思いついた)

2. 起業が完全に合理的な選択肢だった

2017年夏頃の「開戦前夜」当時一緒にやろうと言っていた人がいたが、その人が突然ケツを割った。最初は威勢がよかったが、その時が来る直前にいきなり態度を変貌させた。当時勤めていた会社に起業が察知され、その人が社長に飲み会に呼び出され、全部話してしまったのだ。

さらに僕も直属の上司ではないもののちょっと偉い人にVC周りをやっていると話すと、その人はあっさり約束を破り会社の人々に全部話してしまった。この人は僕の真似をしてか、独立してメディアを作ったが、ちょぼちょぼで最近は某IT企業の命を受けて何度か接触してきたが、面倒なのでほったらかしている。

会社を辞める寸前の頃は、ランチに行くと会社の命を受けた社員が尾行してきて、同じ店に入って飯を食ってこっちを伺うみたいなオペレーションの対象になった、と記憶している。

彼の軽い口はもっと深刻な面倒が引き起こした。それは大手IT会社の「乙」がその情報をいち早くキャッチしたことだった。僕はそれ以前から、インドネシアから帰国して以降、乙の監視対象だったようだが、その後4年間、激しいマークと妨害、嫌がらせを受けることになってしまった。彼らには行動監視(尾行)を継続し、大量の工作員を見つけ投下するコストを許容する莫大な資金力があった。

ただし、共同創業の相手を失っても僕の決心は変わらなかった。ある程度の自己資金もあるし、初期はエンジニアなしでも進められることはたくさんある。

しかも、そのときには会社を始めるための理由が完全に揃っていた。

ちょうど、当時いた会社から転職するのにふさわしい時期を迎えていた。その会社に務め始めて3ヶ月後くらいから、多方面で採用の興味を持たれるようになった。2年目になると、転職すれば年収が2.5倍以上がベースラインとなり、中には3〜4倍が期待できるものもあるという転職情勢を迎えていた(安く買い叩かれ過ぎていた)。

そもそもインドネシアから帰国したときも、大手メディアに就職せず、起業の橋頭堡にするため、大手メディアから年収水準が60%下がる企業に就職していた。ちなみに年収水準が50%下がる選択肢として乙があった。乙が面接に来いというから行ったのだが、度を越してオフェンシブなので、仲介人に別の会社に行く旨を伝えた(このときから乙との因縁があったわけだ)。その後入社することになる会社は最後の最後まで報酬交渉を引き伸ばし、乙を断った後に報酬交渉を後出しジャンケンしてきた。その結果、僕は買い叩かれたのだった。インドネシアから帰国し、起業が頓挫したばかりで早めに転職先を見つけたかったため、僕には交渉力がなかった。

僕は、平均的な日本人と異なり年収にこだわらず自分の好奇心を基に仕事を決めてきた。僕は日本社会で働くようになって、自分が日本社会について無知である事に驚いた。日本人は年収やステータスという概念によって階層を形成し、それにより様々なライフイベントへのアクセス可能性が左右されうるようだった。スタンドアローンな思考を避け、集団思考を好むというのはいろいろな人間の社会に見られる傾向である。大量の脳の無駄遣いだろう。

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(2013年9月、ジャカルタ。取材先での談話中の記念撮影)

とにかく、起業して不測の事態に出くわしたときの退路は確保されていた。欧米系の会社のなかには、スタートアップをやって失敗したことを肯定的なキャリアの一つに捉えてくれる会社もある。

ゲームは簡単だ。起業して最高のシナリオを歩めば、会社は世界に対し影響力を持つだろう。最悪のシナリオに迷い込んでも、年収は上がり、今の所属先よりももっと合理的なロジックで動く会社で経験を積みながら次のチャレンジに備えることができる。つまり、起業はどう転んでも合理的な選択肢だった。

2017年9月、入社直後から愛想が尽きていた会社を辞め、僕は個人プロジェクトとして有料購読型ニュースアグリゲーターである「Axion(アクシオン)」を開始した。まだビジネスが生じていない状況なので、会社は登記しなかった。

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(2017年8月、退職直前の福岡出張でのホテルの図書ルームでの1枚。出張中に色々あり、極限のレベルでムカついたので、起業時期を早めることになった)

3. 日本のテクノロジー業界の構造

さて、戦いを挑む「闘技場」の状況はどのようなものだったか?

僕は編集者の仕事を通じて得られた情報から、スタートアップ業界やメディア業界にめぼしい競争相手はいないと確信していた。他の日本の業界同様、総合職という言葉でくくられるように専門性のないビジネスサイドの人材レベルが低いことは完全に確信していた。このインターネットメディアというジャンルにおいて、僕のようにコンテンツ製作からビジネス、インターネットメディアを巡る問題の技術的背景、その他の超膨大なディティールを総ざらいにしている人は誰もいなかった。これはたぶん圧倒的な優位性だろう。

しかし、なぜこのような状況になっているのだろうか。ここでは僕の調査に基づく推論をお伝えしておこう。

おそらく重要な原点は、最初期の日本のテクノロジー業界には流入した人材構成において、本当にソフトウェア産業にフィットした人材のシェアが少なかったであろうことだ。渋谷の「ビットバレー」や六本木に集まった人たちは技術の力で市場に戦いを挑む技術者の集まりというよりは、「渋谷六本木そう思春期も早々にこれにぞっこんに」だった山師たちが、ずっとその街で遊びたいがために参加したような印象がある。トランジスタの共同発明者であるウィリアム・ショックレーの会社を去り、集積回路(IC)を発明することになる半導体新興企業「フェアチャイルドセミコンダクター」を創業した「8人の反逆者」を始祖とした、シリコンバレーとは対照的だ。

テクノロジーセクターに似つかわしくない人員構成が生まれた背景として、まず日本人のリスク回避的な傾向を指摘したい。僕が高校生の時に読んだ、大前研一の『The Invisible Continent/新・資本論』は、インターネット革命の影響を踏まえて、「見えない経済大陸」の登場を訴えていた。大前は「21世紀の経済はケインズ経済的な実体経済に加えて、ボーダレス経済、サイバー経済、マルチプル(倍率)経済の4つの経済空間で構成されている。それらが相互に作用し、渾然一体となった「見えない経済大陸」では、これまでの経済原則や企業戦略がまったく通用しない事象が次々と起こり、4つの経済空間を束ねて発想できる者のみが勝ち残る」という主張をしている。

米国ではこの経済大陸への殺到がドットコムバブルを生み、その崩壊とハイプの繰り返しの中で現在の繁栄がある。日本でも、さまざまな特徴的な登場人物が現れたものの、流入者の多数派の大半は、官公庁や財閥系企業に入りたかったけど、それが叶わなかった、あるいは叶いそうもなかった人たちだったり、前述したように渋谷六本木で遊んでいたかった人たちだったりしたのではないか。日本には官公庁や財閥系企業、上流国民が偉いという暗黙のヒエラルキーが存在し、1993年から2005年卒に当たる就職氷河期組の多くは、上位のヒエラルキーに入れなかったことに何らかの劣等感を抱いている。

この辺の傾向は現存する日本のテクノロジー企業の社風に残っている。例えば、米国のようなリスクマネーに恵まれるわけでもなかった日系テクノロジー企業は、受託案件で日銭を稼ぐ必要があったが、この受託案件を取ってくる営業が、その時の名残で一番権力を持っている会社はたくさんある。あるいは、大手出版社や新聞社に務めたかったがうまくいかず業界の多層構造の中で非搾取側となって辛酸を嘗めた人を大量に雇い入れ、その人たちが業界への復讐を行っている会社もあるだろう。あるいは、創業初期に生まれたサークル活動のムードと効率性を鑑みない長時間労働を崇拝する文化を混ぜ合わせた会社もある。

このように細やかな多様性は存在するものの、厳密には「テクノロジーセクターにふさわしくない人」が多数流入し、多数派を形成し、いまも業界を仕切っている。

これは大本の教育の課題でもあるだろう。日本は産業構造とは相反するように、工学に携わる人材が少なく、その多数派が人文科学・社会科学・ビジネスを大学で学ぶため、現代の新興企業が求める要件を満たす人材が少ない。このような多数派が真に適切な人材たちを支配するか、組織の枢要からは排除するかをしてきただろう。

就職氷河期に苦しめられたこのような人たちは生き残るためには、あらゆる手段を使う傾向があっただろう。このため自社のビジネスにおいてより重要性の高い人材の台頭をさまざまな手段で押さえつけ、ときには排除してきた、そういう事情もあるかもしれない。

このようにして生まれた好ましくない人員構成が、最終的に硬直化した。日本の労働市場は厳格な解雇規制で知られている。年功序列、終身雇用の組み合わせを導入している日系テック企業は少なくない。不幸なことに変化の激しく、類まれな一人が数十人分の成果を出すこともあるこの業界にはふさわしくない雇用体型だった。

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(Photo by Daryan Shamkhali on Unsplash)

私がインタビューや記者会見、様々な人とのコミュニケーションを通じた定性情報や、公開情報を元にした調査から推測するところによると、平均的な日系テクノロジー企業の経営陣のパフォーマンス、スキルはかなり物足りない。またその組織は、百貨店化し勢いを失った日系企業と同様、肥大化した中間管理職レイヤーと不適切な人材配置という特徴を持っている。低パフォーマンスの上司は低パフォーマンスの部下を好みやすい。これが悪循環の大元となっている

外的要因としては、日本政府があまりソフトウェア産業に関心を持たなかったため、中国や現在のインドとは異なり、米系テクノロジー企業を規制しなかったことが響いているだろう。オン・ザ・エッヂの創業者を東芝の粉飾決算と比較するとあまりにも小さな決算上の齟齬にも関わらず、事件を育て、立件し、無理矢理な刑事過程を経て最終的に実刑判決に至ったこともあった。様々な規制をすり抜けられる外資に対し、国内勢はお上の鉄槌を受けることがあり不利だった。このせいかベンチャー村のなかには、技術や製品、サービスの戦いよりも、法の網をどこまでかいくぐれるかという戦い方に注力する企業が珍しくなかった。

日本のテクノロジー企業は国際性に欠けているようだ。東南アジア等の海外市場への拡大を試みたが、海外事情への適応や、現地の企業文化への接合性が見いだせず、市場が黎明期だったこともあり、その大半が撤退を余儀なくされている。僕はインドネシアでそれを見ている。彼らは国際性がなく、渋谷と六本木のノリをそのまま持ってくる「お客さん」だった。

パブリックイメージも不本意ながら「IT社長」のような馬鹿げた形にされており、業界の中でも愉しくない部類の人々を基にイメージが形成されているだろう。そして、実のところ、報道で明らかにされるような不都合な実態を全く裏切らない、マズいグループが多数存在しているのだ。

さて、ここまで長々と説明してきたが、結論はシンプルだ。「相手は弱い。条件さえ整えば容易に勝てる闘技場だ」と僕は判断していたのだ。

4. VCに迎合して動画を始める

僕は自分のスタートアップを動画とニュースサイトの両面展開で始めることにした。

欧米のインターネット業界では、2016年からスマホでのビデオ利用が拡大し、2017年はその流れが継続していた。日本でも一定の遅延があるものの同様の傾向が見られた。このため日本の投資家はビデオに興味を持っていた。

僕は動画の製作をスタートアップのビジネスにするとしたら、まるで原宿の服屋のように「作ったらすぐさま誰かに売りつけないといけない」超短期決戦となるため、乗り気ではなかった。それこそ、私が働いていたメディアは、動画ビジネスでは、Facebookのような胴元だけが儲かり、製作者は「回し車の中のハツカネズミ」のようなものだと幾度となく伝えていた。

だが、状況は動画をやる方向に向かっていった。チームを失い一人でプロジェクトを開始した直後、とある投資家から忍者として動画制作の専門家が放り込まれてきた。私とペアにすると、ハイプ好きなVCが喜びそうな陣容になると僕は思った。

当時は深く考えなかったが、最初の一人が去り、この忍者が加わる過程は今考えると非常に怪しい。最初の一人とのチーム結成の際になんとかいっちょがみしようと工作を続けていた人がいたが、その人は別のもうひとりとともに乙の関連会社に転職している。忍者を派遣したファンドは乙が所属する系列とは別の通信会社のためにスタートアップを仕上げることが多いので、なんとも言えないが。

この動画制作忍者を乙とは別の勢力とのミーティングにつれていくと、露骨に嫌な顔をされることがあった。僕は忍者を無力化してチームに加えるのも良し、無力化が不可能なら、おそらく別れが来るだろうと思っていた。

なぜ、リスクの匂いのする忍者を受け入れたかというと、一つは当時の会社はエンジニアリング能力に欠けていた、ということがある。当時の僕ができることはブログエンジンの「ワードプレス」をレンタルサーバーにホスティングすることくらいだった。自分が夢想していた複雑なアグリゲーターを作るための力がなかった。このため、動画で資金を得て、次第にソフトウェア会社の方に軸足を移すというやり方で、投資家の関心と現実的なテクノロジー企業の構築をすり合わせられないかと思った。

カナダ人のエンジニアが短期的にチームに加わっていたこともあった。このエンジニアは乙ではない別の勢力の忍者だった。しかし、彼は、仕事をやめた後、休暇目的で日本に滞在している人だったので、創業当初の会社というハードな状況への準備ができていなかった。彼は手伝うと言いながら何一つやらず、謎の注文をつけてきたり、謎のテストを課してきたりした。当時は資金が欲しかったので、背後にいる投資家様に忖度するため、そういうものに100%で応えていた。

なぜ動画かと言うと、ベンチャー投資家から資金を引き出さないといけなかったからだ。当時、彼らは料理動画にご執心だったが、適切ではない創業者、チーム、目標市場、戦略を採用し、彼らとしては出せるだけのお金を出していた。業界としてはよくある出来レースで、2つの会社が競合していたが、対立する通信会社のグループにそれぞれが支配されることで、競争は収まった。

乙はこの一つの側に属しているわけだが、彼らの代理人や代理人の代理人が語っていたところでは、料理動画の創業者を「奇才」という形でハイプしたが、実際には期待ハズレだということだった。「神輿は軽いほうがいい」ということで選ばれた、パーティピーポーな傀儡君主とそのご一行では何もできやしなかったらしい。

これは僕の推測に過ぎないが、当時、この傀儡君主の代わりの役割が僕には期待されているようだった。実際、この後この種のハイプと売り抜けのサイクルに頻出する数々の投資家とは直接的、間接的に接触することになる。先ほど紹介した動画忍者もまたこの一派のもとから派遣されてきた。そして、僕がやろうとしているのがニュース製品ということで、ベンチャーキャピタル(VC)らは多くの場合、売却先に乙を想定していた可能性は否定できないだろう。

僕にも傀儡君主になることが強く期待されているようだった。彼らは僕から尊厳を奪い、あらゆることへ従属する家畜へと調教するための儀式を死ぬほど繰り返した。一つ一つ書いていくと頭に血が上り、脳出血で死んでしまうので、書くことはできないが、それらは最悪の中の最悪だった。

料理動画の一件が示唆するようにスタートアップ企業が潜在的な買収希望者が望むプロジェクトを選択しない限り、日本のVCの触手は動かないと言えるだろう。日本の独立系VCは非常に規模が小さい。ビッグプレイヤーと戦うための資金を拠出できず、許容できるリスクが限られている。このため、独立系VCの多くは、先に潜在的な買収者と話をつけておいて、出来レースで会社を売却したり、持ち分を譲渡したりしてExitすることを選びがちなようである。業界の特徴はこちらのブログに詳しく書いた。

僕は編集者時代、料理動画の騒ぎを傍から見ていて「なんてちょろいんだ」と思っていた。料理動画を量産する体制を作り、運営した現場の人々こそ素晴らしいものの、そもそも舟が向かっている方向が決定的に間違っていた。あらゆることが素人の仕事であり、改善の余地は無限にあるようだった。

その会社の経営陣やアドバイスをしているベンチャーキャピタル、エンジェル投資家、の力不足は火を見るより明らかだった。悲劇的なことに彼らがこのビジネスに大金を積み込み始めたのは、ソーシャルメディアがアルゴリズムを厳格化した頃だった。最初のうちはソーシャルメディア側は「パチンコ」の設定を上げて「お客さん」を歓迎した。お客さんが調子に乗って賭け金を引き上げたとき、ソーシャルメディアは設定を落とし、お金を徴収した。お客さんは財布の中身を吐き出して、遊技場を去るはめになった。

米国の先駆者が苦戦していることはDIGIDAYの無料記事に書いてあることだったが、彼らはDIGIDAYの昔の一本の記事だけを根拠にして、パチンコ屋に向かったみたいだった。

このような彼らのやり方を踏まえると、僕はディールの構造はシンプルだと高をくくっていた。僕が彼らに欠けている知識や技能、戦略を提供し、彼らがその代わりに僕に欠けているお金を提供すれば、互恵的な取引になる。

しかし、現実は常に僕の想像力を裏切るものである。残念なことに彼らの多くは「ベンチャーキャピタリスト権威主義」の敬虔な信者であり、自分がナポレオン・ボナパルトやチンギス・ハーンに匹敵する卓越した権力者だと勘違いしていた。僕が話していることを理解する準備ができておらず、しばしば、個室のなかで自分の権威性を強く主張するパフォーマンスを繰り返すのだった。

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(ジャック=ルイ・ダヴィッド - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=150005による)

「未成熟な彼らを導く」という手段が封鎖されたため、不本意ながら、彼らの好みそうなものに迎合するというのは考えられる選択肢だった。それは、プロジェクトの失敗率を引き上げる悪手ではあるものの、やはり、資金が欲しかった。資金があればこのプロジェクトは勝利するに間違いないと確信しているからこそ、資金を得るためなら多少のダウンサイドを抱え込んでもいいと思ったのだ。

悲劇的なことに、これらの背後に、悪夢をもたらすためのファクターがあり、暗雲が立ち込めていた。繰り返しになるが、それは主に乙である。

乙は自分たちの事業とバッティングする有料購読型ニュースアグリゲーターを許容するわけにはいかず、ベンチャー業界への影響力を行使し、グレーゾーンからときに黒い領域まで突入する様々なオペレーションを駆使して、なんとか僕のアイデアを他の方向に捻じ曲げようとしてきた。

そして、硬直的な組織と慢性的な人材不足に悩みながら、少しずつテクノロジー業界で勢力範囲を失っていた乙は、自分たちが親会社からそうされているように、理不尽な強制力に従う手駒が欲しくてたまらなかったのではなかろうか。あまりにも不幸なことに、僕はその手駒の候補になってしまったようなのだ。

このどす黒いファクターは僕のスタートアップの旅を破壊する最悪の要因となった。まだ、この時点ではまだ灰色だが、これはまたたく間に黒くなり、そして黒いものはもっと黒くなっていくのだった。

5. 不快なエンジェル投資家

さて、回想録の初回は、悪夢のようなエンジェル投資家でしめることにしよう。

その品行方正なエンジェル投資家は、終始不快なベンチャーキャピタリスト権威主義を見せつける1時間のミーティングの中で、彼も関わっている投資家グループが、私の前職のメディアの情報を基にバイラル料理動画メディアを始めたが、思うように行っていない、それは不確かな情報を撒き散らすお前らのせいだ、と糾弾してきたのだった。

彼はどうやら2年前のたった一本の記事を情報源にしていたようだ。実際にその後、Facebookのアルゴリズムが変更され、バイラルメディアに多額の広告費負担が迫られているとDIGIDAYは伝えていた。ソーシャルメディアに依存するバイラルメディアが「終わりの始まり」に到達した時、日本勢はコピー商品を市場に投下した。さすがベンチャーキャピタリストである。僕は非常に礼儀正しく、ソフトでユーモアにあふれている人物だ。その時も持ち前のユーモアや論点ずらし、そして生返事でしのいだが、彼のオフェンシブさには内心頭を抱えていた。

どうやらその人は検索があまり上手ではないようだ。検索を少しすれば、自分の話が旧石器時代の話だと気づくこともできるだろう。もしかしたら、ソーシャルメディアが生み出したフィルターバブルの典型的な被害者であるかもしれない。だとしたら、一刻も早く僕が提供する高品質のコンテンツで救出しなければいけないだろう。

その地獄の一時間、彼は「俺はお前を従わせるボス猿だ」と主張するボス猿であり続けた。このような悪夢がこの後1024回繰り返されることになることを、2017年夏の僕は知る由もなかった。

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(温泉に浸かるニホンザル。Photo by Jonathan Forage on Unsplash)

このエンジェル投資家は、とあるファンドの代表と仲良しで、それは積極的に学閥を作る特徴がある大学の卒業生同士のつながりによるものだった。そのファンドの投資案件の一つでは、その大学の卒業生が経営するベンチャー企業のバリュエーションが上る前に、エンジェル投資家に安く投資させてあげてから、次のVCラウンドに進めるということが行われている。ツーカー具合が伺い知れるだろう。そして僕もまたそのファンドの代表とは後々、会うことになった。仲良しこよしのジェットストリームアタックが発動する前に僕は彼らのことを見限ったため、ダメージを受けることはなかった。

これは補足に過ぎないが、乙のベンチャー投資部門のトップもまたこの学閥の一人なのだ。彼はなんとか弊社にその学閥の人を押し込もうと頑張ってきた。飲み会に呼ばれていくと、その大学の卒業生がズラッと待っているみたいなことが何度かありKOされかけた。また、後々出てくる「創業者持ち分5%でマザーズ上場はどう」と聞いてきた伝説的な元VCアソシエイト君もまた、この学閥の構成員である。

さらに補足に過ぎないが、僕はその学閥の対極にある早稲田大学の卒業生だが、今の所、これが役立ったことはない。「君も早稲田か、じゃあ俺の言うことに従うよな?」らへんで常に落馬している。そこで従属していたら生き残っていないだろう。

それどころか、乙やその他の企業、ファンドにそそのかされた早稲田時代の知り合いが、うちの会社を外部の会社が支配しやすいよう定款を変更するよう暗に求めてきたり、買取請求権を飲むよう暗に求めてきたり、財務や資本政策をハイジャックしようとしてきたりと、八百万の神に感謝したいくらいである。

ここで宣言しても意味ないのだが、宣言してみよう。僕はカチッとした能力主義を敷いている。ジョブディスクリプションに合致し、最も大きな成果と驚きをもたらしてくれそうな、明確な人生の目的を持っている人と仕事がしたい。そしてどの企業や投資家とも紐でつながっていない独立した人だ。

学閥は犬の餌にもならないと思っている。

次回に続く。


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