給食の記憶

Twitterで、給食の完食に対するツイートを見かけて「ああ…あったなあ」と思い出した。

給食の完食を強要されるということ

給食といえば100%出ていた牛乳。
これが私は大嫌いだ。今でもそのままでは飲めない。というかもうチャレンジすらする気にならない。そのままでなければ飲めるのだから。

あれは1、2年生の時だ。
牛乳を飲むのが嫌で、でも飲まないといけなかった。昼休みずっと教室でストローを咥えて微々たる量を少しずつ飲み込んでいた。飲み終わるまで席を立ってはいけない。こんな生徒が、意外にも私ともう1人いた。

その子も牛乳が嫌いだった。

昼休み、その子と2人で黒板に向かって牛乳をちまちま飲む毎日。今思うとあれは恵方巻の食べ方に似ていた。
私の通った小学校は、体調不良でなければ行間休みと昼休みは外に出て遊ばなければいけなかったから、本当に2人きりだった。先生もいない。

少し不思議な空間だった。
私とその子は、いつの間にかとても仲が良くなっていて、仲が良すぎたのかその後の4年間は1度も同じクラスにはなれなかったが、6年生になっても喧嘩しつつ交流していた。

仲が良くなった理由はあの牛乳による不思議空間でのことではなかったと記憶するが、多分あの子と私は似ていたのだろう。

中学でも同じクラスになることはなかった。今は交流がない。少し寂しいと感じる。あの子もあの頃のよくわからない時間を覚えてはいるだろうか。あの子と過ごした小学生の頃の記憶は、不思議とよく残っている。あの子が私にとって最も仲の良い友人だったのは、本当に1、2年生の頃だけだったけれど。
なんとなく、覚えていたらいいなと思う。

その後はトレードやら欲しい友人にあげるなどを覚えたので、(もちろんこっそり)あの不思議空間は低学年の頃しか経験していない。
中学生の頃は冷たい牛乳にもとけるココアやらを勝手に持っていって混ぜながら飲んでいた。私の分だけ、たたんだパックの内側がやたら茶色いのだ。多分先生は気付いていたと思うが何も言われなかった。美味しく全部飲みました。

それでいいんじゃないかなと思う。
食べられる人が食べる、飲める人が飲む。飲むために牛乳に何かを混ぜるのは、悪じゃない。食べられるようになるのなら、自分で工夫するのでいい。
それができない小さい頃、有無を言わせず強要されるのは苦手意識を生む可能性の方が高いだろう。なら覚えるまで静観するのでいいんじゃないか。
私はあの時、たまたま1人じゃなかった。1人だったらきっとかなり嫌な記憶になっていたと思う。

残飯の量が問題になっているのはわかる。
それを無理矢理食べさせるか、食べる工夫を覚えさせるか、その違いで今後の残飯の量を少しでも減らせたらいいな、という夜の独り言。




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