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無理は心にも毒

みなさん、お久しぶりです!
よしたろー店長です。

約半年…いや、それ以上ぶりの更新となりますが、未だにフォローして頂いているユーザーの方々、ありがとうございます。

今後もきまぐれで更新していく予定なので、たまに思い出してくれたら嬉しいです。

そんなこんなでnoteと出会ってから一年が経過しましたが、僕を取り巻く環境は大きく変化しました。

元々、noteをはじめたのも自分という人間の再確認作業を兼ねておりましたので、noteで沢山記事を書いて試行錯誤してきた結果、今の僕がいるわけです。

なので、関わりを持って頂いた方には改めて感謝の言葉を申し上げさせて下さい。

暖かい言葉、やさしいコメント、本当にありがとうございました。

今も尚、人は感謝の心を忘れては、幸せに近づいていけないと思っています。

自分の幸せを望むのであれば、まずは心を豊かにしていくことです。

心を整えることは、生きていく上で最も大切なことだと僕は考えます。

無理は身体に毒と言いますが、身体だけではなくて心にも毒を与えてしまいます。

休むことを悪だと考えている人がいるかもしれません。

休むことを頑張っていないと思う人もいるかもしれません。

人は他人の評価によって、立場が変わります。

その立場を巡って競争し合っているのが、社会という世界だったりします。

だから、みんな身体や心に負担をかけながらも走り続けます。

でも、それは…ガソリンの入っていない車で走ろうとしているのと同じ。

だと僕は思います。

車は決められた期間で車検に出して、ガソリンが切れそうな時に給油するから…走ることができます。

それはキチンとあなた自身が管理しているからこそなんですね。

では、あなた自身は誰が管理してくれるのでしょう??

会社が管理してくれるのでしょうか?
上司が逐一気にかけてくれるのでしょうか?

みんなわかっていると思いますが、自分ことは…自分で管理してあげるしかないんです。

車と違って難しいのは、客観的になれないからこそ管理するのが難しい点です。

身体の疲れというのは割と気付き易いと思いますが、心というのは…本人も知らぬ内に毒に侵されていたります。

その心のストレスというのは…休養の際に整えていくしかないのだと僕は思っています。

自分のことをケアできない人は…他人のケアなんて出来るはずがないと思います。

自分の心にゆとり、余裕があってこそ、そこから初めて他人を気遣う優しさが生まれる。

優しさは偽善ではなく、与えれる人は常日頃から心を整えることができているということ。

人はみな平等だという意味は…誰しも平等に優しく幸せな心を持つことできる。

ということなのかもしれませんね。

今日の心のお話はこの辺で。

読んで頂き、ありがとうございます。

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