映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』がダメな理由
映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』のネタバレを含みますので鑑賞前のかたはご注意ください。
2022年11月11日(金)に公開された『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』は、前作でブラックパンサーを演じた俳優のチャドウィック・ボーズマンが病気で亡くなり、主役として別の俳優を立てることはしないと事前に明らかにされていたため、どのような物語になるのか注目されていた。
映画は冒頭からティ・チャラ=ブラックパンサーの病死から始まり、ヴィブラニウムをめぐってネイモア率いるタロカンがワカンダを襲撃、ティ・チャラの妹であるシュリがブラックパンサーを引き継ぐ過程が描かれている。
映画評では大傑作と評するものが多いようだ。これまでのMCU映画と比べてユーモアの要素は抑えられているが、そのぶん登場人物たちの内面がしっかりと描かれているとか、全編を通じてチャドウィック・ボーズマンへの哀悼となっているとか、とにかく泣けるとか、映像が素晴らしいとか、ラストシーンに胸を打たれたとか。
でも私は正直あまり面白いとは思えなかった。たしかに映像は素晴らしかったし、初登場のネイモアの戦闘シーンはかっこよかった。ラモンダやオコエの演技も良かったと思う。だけど、それってどうなの?というマイナスのほうが多かった。そのことについて書こうと思う。
物語として
シュリがつなぎになってしまった
とにもかくにもこれ。これがいちばんがっかりしたところだ。ワカンダとタロカンとの抗争のなかで、いかにシュリが成長し、ブラックパンサーになるかというのが物語の主軸なのに、最後の最後、シュリはティ・チャラの息子と会う。これからもブラックパンサーは引き継がれていくという永続性を表しているのだろうが、これではシュリがつなぎでしかなくなる。
もちろん後継者は必要だし、それがいることでシュリが安心できるというのもあるだろうが、それを思うのはこのタイミングではない。ラストに感動して泣いたという感想を多く目にしたが、私はシュリがかわいそうで胸が痛んだ。
ネイモアはなぜリリを殺そうとしたのか
今回の抗争の原因となったのは、リリが作った探知機を使ってアメリカが海底に眠るヴィブラニウムを採掘しようとし、それをやめさせるためにネイモアがリリを殺そうとしたことだが、控えめに言っても浅はかすぎる。暗殺が成功したとして、それでアメリカが諦めると思ったのだろうか。わずかな時間稼ぎはできるかもしれないが、いずれまた狙ってくるのは子どもでもわかる。
リリを物語に引き込むために、ヴィブラニウム探知機をリリが作ったことにしたのはうまいと思った。だけど、リリの争奪戦からワカンダとタロカンの戦争が始まるのはコントかよとつっこむレベルだ。
タロカンは平和の国ではないのか
ワカンダとタロカンの戦争は最終的にトップの和解で終結したが、タロカンのナンバー2は納得していない様子だった。ネイモアはタロカンはもっと強くなると言ったが、なぜ強くなりたいのかがわからない。
そもそもヴィブラニウムの発掘をやめさせたかったのは、そっとしておいてほしかったからではないのか。これまで平和に暮らしていたのをジャマされたから怒ったのであれば、強くなる必要はない。もともと拡大路線だったのであればわかるが、地上人への恨みはあるとしても、地上を征服してやろうという野望はなかったはずだ。タロカンは平和を維持したいのか、勢力を拡大したいのか、そこらへんがわからない。
ラモンダのキャラがぶれている
ラモンダが守りたかったのはワカンダだったのか、それとも家族だったのか。ラモンダはシュリが連れ去られたことでオコエを罵倒しドーラミラージュの隊長をクビにしたが、その理由は大切な娘を守ってくれなかったからだ。これについて深読みする考察も目にしたが、演出的にはどう見ても母としての感情を爆発させていたし、ここは素直に母=ラモンダが怒りに任せてオコエを解任したと見るべきだろう。
物語を通して、ラモンダは優れた国王のように描かれているし、シュリのメンターとしての役割も担っている。だからこそ、オコエを解任するという行為には違和感がある。
シュリがブラックパンサーにふさわしくない
シュリは兄の死を受け止めることができず、母の言葉にも耳を傾けず、ワカンダの伝統的な儀式も非科学的だと思っている。母を殺されたことから復讐の炎を燃やし、それによりハーブを飲んでキルモンガーと再会してしまう。だけどネイモアとの戦いを通じて学び、真のブラックパンサーとして成長する。そのようなストーリーラインはあるのだけど、そこがあまり丁寧に描かれていないので、とても立派なブラックパンサーには見えないのだ。
ネイモアとの戦いでも、心身の強さで勝利したのではなく、最後は飛行機のジェット噴射でネイモアをやっつけていた。いくら科学者とはいえ、その勝ち方はないんじゃない?と思わざるをえない。
MCU映画として
MCU感がなかった
リリが登場するということで、おそらくMCUファンはアイアンマンへの言及を期待していただろう。それは今後のドラマで出てくるのかもしれないが、まさかまったく触れられないとは思わなかった。また、いくら天才とはいえ、なんの苦労もなくアーマーを作ってしまうのはどうなのだろうか。あのトニーでさえ何年もかけて改良してきたのだ。リリとシュリというふたりの天才が組んだとしても、いともかんたんにアーマーを組み上げてしまうのは、アイアンマンのファンとしては切なかった。
アイアンマンだけではなく、MCUの他作品への言及があまりに少なかった。ヴァルがCIAの長官だったのは驚いたし、これが今後『サンダーボルツ』につながるのかもしれないが、もう少し流れのなかでの何かがあってほしかった。フェーズ4の事実上のラストということだが、いったい何が終わって何が始まったのかがわからないのだ。
チャドウィック・ボーズマンの追悼作品にしたことで、MCUらしさがなくなってしまったのは残念だ。追悼の念を表現するのはいいのだけど、もう少しMCUらしさがあってもよかったのではないか。
やはり声優は変えるべきだったのでは
基本的には字幕で見るのだけど、今回は吹き替えで見て、やはり百田夏菜子さんの違和感が強かった。前作はともかく、今作は主役なのだから、他の声優に変えるべきだったのではないだろうか。今後もブラックパンサーは出るのだろうし、不安が残る。
おわりに
難しい作品だったのは理解できるし、頑張って制作したのは伝わってくるのだけど、だからこそもう少しストーリーを考えてほしかった。前作はほんとに傑作だったと思うし、今回はマイナス様子が目立ったのは残念だった。
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