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責任ある立場ながら無責任な人たち

こないだツイートしたことをもうちょっと書きたい。

新入社員のうちはしかたないと思うのだけど、それなりの役職がついてもまだ、会社のことを他人事のように批判する人をみると、どうなのかなと思う。普通はある程度の立場になれば、会社と向かい合うのではなく、会社と同じ方向を向くようになるものだろう。会社側の人間というと聞こえが悪いが、会社の一員として、会社をどうすればいいのか考えるようになる。そうなれば無責任に批判ばかりできないはずである。

ちょっと話は違うかもしれないが、たとえば自分の部屋で床にゴミが落ちていれば拾うものだ。だけど、どこかのお店に入って、同じようにゴミが落ちていても拾う人はあまりいないだろう。この違いはどちら側に立っているかによる。自分の部屋のゴミは自分が拾わなければ他の誰も拾ってくれない。自分には部屋をきれいにする責任がある。だからゴミを拾うのだ。会社のことを批判する人は、自分の部屋に置いているゴミを見て、汚い部屋だなと文句を言うのと同じだと思う。

国民としての自分も同様で、国を批判してばかりいる人は、自分が国の一部だという自覚がない。税金の使い方を決めるのが国会で、国会に行く人を決めるが国政選挙だ。

自分は野党に投票したから、政権与党を批判するのはあたりまえだ、という意見もあるかもしれない。だけど選挙というのは代表を決める仕組みであって、自分の応援する候補者が当選しなかったからといって、その候補者の言うことには従わなくてもいいというものではない。野党支持者だろうが、国が決めたことには従うというのが民主主義であろう。

たとえばなにかのサークルに所属しているとして、会費を毎月払っているとする。使い方を決めるのが代表者と執行部だが、主に練習施設の利用料やユニフォームの購入などに充てられている。新しい代表者を投票で選ぶことになって、おれが代表になったら会費をなくす、とか、みんなに1万円ずつ配る、とかいう人がいたら、え、じゃあ施設の利用料はどうするの?と思うだろう。

組織が小さいうちは自分もメンバーの一員だという自覚があるのだけど、組織が大きくなるにつれて、帰属意識が薄れてくる。これはしかたないのだけど、全員が他人事になってしまうと、組織が成り立たない。ある程度の人数は組織側に立たなければいけないのだ。

会社であれば新入社員のうちは帰属意識があまりなくてもしかたないだろう。だけど、役職がついて、ある程度の責任をともなう立場になった人であれば、会社側から考えるようになってほしい。

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