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映画レビュー『時計仕掛けのオレンジ』

基本情報

監督

スタンリー・キューブリック
『シャイニング』(1980)
『2001年宇宙の旅』(1968)

登場人物

アレックス・デラージ(役:マルコム・マクダウェル)

感想

 1971年公開の映画『A Clockwork Orange』こと『時計じかけのオレンジ』を見ました。
 露骨なまでの暴力・セックス表現(ナッドサット言葉ならウルトラヴァイオレンス)、要するに野蛮さ/人間の本能に従うような嗜虐的な悪と、アレックス出所後に家を追い出した両親や利用しようとした作家の老人などに代表される狡猾さを持った、理性部分の悪が対比される作品だったように思えました。

 主人公のアレックス含むドルーグによる暴力に容赦は全く感じられず、比較的明るいクラシック『雨に唄えば』や『威風堂々』などが添えられており極限までエンタメ化されているように見えました。本能的な破壊衝動に訴えてくるような、暴力が快楽であるかのような感覚にさえなります。

 そして出所後のアレックスを政治利用してやろうという作家の老人と、内務大臣フレデリックの二人。この二人は理性的な知識人階層ではあるものの、その理性からくる悪を象徴するような雰囲気を感じます。

 そして物語の最後、アレックスは洗脳を克服してまた元のような悪い顔つきになりました。"I’m completely cured"というセリフと共に。
 このシーン、確かに元の暴力性を取り戻したのですが、それは野蛮さからくる暴力性のみならず理性的な悪も兼ね備えた状態であるように思えました。要するに、映画の最後で今まで対比されていた理性と野蛮が同居する人間が誕生したような気がしたのです。
 それが時計じかけであり、「知識人階層と下級階層の悪が不可分で同質であることが近未来で浮彫になるぞ」というメッセージなのかなぁと思いました。おそらく社会風刺も込めていることでしょう。(当時の社会背景について知識が足りないのが残念…)

という感じで、人間の狂気に関する本質を紐解く名作だったと思います。

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