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外出力が低い

「外出力」という概念を提唱したい。

読んで字のごとく、外出する力のことだ。

というのも、私はふつうの人ならなんでもないような外出によってひどく疲れてしまい、体調を崩すことがある。母も姉もそうなので、もともと自律神経が乱れやすい体質なのだろう。

だけど、その説明ではうまく伝わらないことがある。「自律神経」という言葉の印象から、性格と結びつけて考える人が多いからだ。

私の場合、偏屈で内省的なので、「自律神経が乱れやすい」などと言おうものなら、「繊細だから騒がしいところが嫌いなのね」と思われてしまうことがよくある。

だけど、それは違う。私は根がパリピなので、ディズニーランドも飲み会も行きたい(根がパリピであることと、偏屈で内省的であることは両立しうる)。だけど、ディズニーランドや飲み会に行くと、疲れてしばらく寝込んでしまう。性格とは関係ないのだ。

また、私の場合は登山や山小屋での長時間労働には耐えられるので、「からだが弱い」「体力がない」とも違う。

なんとも説明がしにくく、もどかしい。

そこで、「外出力」という概念を思いついた。この概念が浸透すれば、私の体質も伝えやすくなるのではないだろうか?

「私、外出力が低いんだよね。外出は好きなんだけど」

「そうなんだ。私は外出力が高いほうだよ」

「私は、外出力はふつうなんだけど、インドア派だから外出あんまりしないんだ」

これ、想像しただけでもとても良い。外出力という概念の爆誕によって、今まで伝えにくかったニュアンスがまるっと伝わる。

体調や自律神経という言葉を出さないので、「外出したくてもできなくて可哀相」といった哀れみを受けることも減りそうだ。

「外出力」は、「外出が好きか嫌いか」「性格」「体力」とは関係ない、独立したひとつの能力である。

……という前提があるだけで、会話がとてもスムーズに運ぶ。

札幌で少しだけOLをしていたとき、会社帰りのゴハンに頻繁に誘ってくれるお姉さんがいた。

けれど、私は会社が終わるともうクタクタで(そもそも出社からクタクタだ)、会社帰りに外出する余力がない。なので、毎回断っていた。

ある日、その人に不思議そうに聞かれたことがある。

「サキちゃんって、夜は家で何してるの?」

「……寝てます」

「退社してからずっと?」

「夕飯食べて、お風呂に入って、それからずっと」

「寝すぎじゃない!?」

そんなこと言われてもしかたない。疲れて疲れて、体が動かないんだもの。

私はそのお姉さんがとても好きだったので、ぜひ一緒にゴハンに行きたい。けれど、それができない。もどかしい。

なによりも、断るたびに残念そうな顔をされるのが心苦しかった。断られるほうも悲しかったかもしれないけど、断る私も、悲しかった。

外出について、声を大にして言いたいことがある。

それは、外出によって過剰に疲れることと、その外出が楽しかったかどうかは関係がないということだ。

だから、もしも私があなたと会ったあとにぶっ倒れていても、それは「あなたとの会合が楽しくなかった」というわけではない。

どれだけ楽しくても疲れるし、ぶっ倒れる。

それは、外出力が低いからだ。


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