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note合宿と、私の問題点について

だいぶ前の話になってしまったけど、8月にnote合宿というものをやった。

ふと思いついてこんなツイートをしたのが発端。

すぐにるんみちが食いついてくれて、ねおさんが幹事を買って出てくれた。

あとはノリで、よく会ったりしている人に声をかけた。私と夫も入れて8人。

結論から言えば、note合宿はよかった。当初の目的だった『旅する日本語』は書けなかったのだけど、ずっと書けずに苦しんでいた悩み相談シリーズを全部書けたし、仕事の原稿も捗った。

note合宿レポートはすでに皆さんが書いてくれたので割愛。

note合宿は純粋に楽しかったし、対人関係における自分の問題点について考えるきっかけにもなった。

参加者のひとり、竹鼻さんはこんなことを書いている。

僕は発起人である吉玉サキさんや参加者であるサカエ コウ。さんとは比較的仲良くさせていただいてきたが、ねおさんや少年Bさんなどは一度飲みに行ってツイッターで絡むくらいの関係性だったので、少し驚いたのが正直な気持ちだった。
僕はその日、どうしても夜から朝にかけての参加しかできなくて、朝から合宿に参加している方々との交流が遅くなることを少し心配していた。でも、少年Bさんが共同DMで「竹鼻さんは何時くらいに来るのかな」とつぶやいてくださり、「あぁ、自分はそこに行って良いのか」と思わせてくださったことで、居場所を与えてもらえた喜びに安堵した。

これを読んだとき、「あぁ、やっちまった……!」と膝から崩れ落ちた(イメージ。本当は崩れ落ちてない)。

私は、自分の対人関係にはめちゃくちゃ敏感なくせに、他人に対してものすごく雑なところがある。決して他人を軽視しているわけではないのに、とにかく気が利かない。

上記の一文を読むまで、私は「他の参加者同士の関係性」に考えが及ばなかった。竹鼻さんがそんな不安を感じているなんて、まったく気づけなかったのだ。

私は自分のこういう鈍感さを心底憎んでいるのだけど、このときも自己嫌悪でしばらくぐったりした。

あと、Bさんやるんみちと話していて、「私とはSNSに求めるものがずいぶん違うんだなぁ」と感じた。

私は、「面白いなー」と思ったら特に何も考えずヒョイっとフォローしてしまう。そうやってフォローしても、「この人いつも怒ってるしなんか見たくないなー」と思ったら、ヒョイッとフォローを外してしまう。

通知をすべて見ているわけじゃないので、誰が自分をフォローしているのか把握していない。フォロー外されてても気づかないと思う。

TLもあまり追ってない。Twitterやnoteを開いたとき、たまたま表示されてる中に面白そうなのが出てきたら読む。スクロールして過去に遡ることがあまりない。

どちらかと言えば、SNSを「読みもの」と捉えているのだ。

一方、Bさんやるんみちは「コミュニケーションツール」としての側面を重視して使用している。

もちろん、スタンスが違うことそのものは問題ない。問題なのは、私がそれまで違いに無自覚だったことだ。

コミュニケーション重視派の人にとって、SNSでの私の振る舞いは「冷たいもの」に映らなかったろうか?

るんみちは笑いながら「私は愛が重いから」と言ったが、愛の重さに適性値なんてあるのか。

仮にあったとして、るんみちのそれが適性値で、私のそれが不当に軽いのだとしたら……?

怖くなる。

人間関係という大きなくくりで言えば、私は目の前にいる相手を軽んじているつもりはない。

けれど、話をSNSのスタンスに限定したとき、私のそれは「愛が軽い」「ドライ」と捉えられても仕方がない。

そういう使い方を、している。

私はあまり、SNSで友達を作ろうと思ったことがない。

noteを始めた時点で私は自分の交友関係に満足していて、あまり友達を欲する気持ちがなかったのだ。

けれど、noteで好き勝手書いてたらいつの間にか友達ができていた。

嬉しい誤算だ。それが目的ではなかったけれど、結果としてはとても嬉しい。

人の気持ちに雑なところや、気が利かないところは直していきたい。だけどやっぱり、SNSのスタンスは変えられないし、これからも積極的に友達を作ることはないと思う。

あくまで成り行きまかせに、「気づいたら一緒にいた」くらいがちょうどいい。

そして今一緒にいる人たちのことは、私なりに友達だと思っているから、それはちゃんと伝えていきたいなと思った。

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