見出し画像

いやどんだけ 2/26(月)

日記が一日途切れた。
昨日は全体的にだめな日だったのだ。

なぜだめだったのかと言うと、映画を見に行く予定をしていたのだ。
劇場版少女歌劇レヴュースタァライトだ。
この映画が大好きだ。何度だって映画館で浴びたいと思っていた。

ただ、昨日は家から1時間かかる映画館で21:00からだった。

日曜日の21:00から映画。

全くもって自分の望む行動ではない。
日曜日はサザエさんを見た後は速やかに明日に向けての活力を蓄える必要がある。
食事の片付けを終わらせたら本を読んで気を落ち着けたり、明日のスケジュールを立てたり、次の土曜のスケジュールを考えたりする、などなど。

日曜21:00からエキサイティングなことが起こってはいけないのだ。

だが、私は劇場版少女歌劇レヴュースタァライトが大好きなのだ。
もうあと何度映画館で見られるだろうという気持ちもある。

だから、金曜夜にネットでチケットを買った。
チケットを買ってしまえば、行くしかないだろうと。
ライブ音響上映だから2500円もする。
2500円払ってしまえば行くだろうと。

行かなかったよね。
自分には日曜21:00に映画は無理だった。

いや無理ではない。
去年の夏は、日曜21:00頃から和歌山のイオンシネマのウルティラ・ナイトで劇場版少女歌劇レヴュースタァライトを見たのだ。
車で高速に乗って1時間かけて和歌山まで行き、映画を見て、1時間かけて帰ってきて、風呂に入って寝て、翌日仕事に行ったのだ。

そう、私は劇場版少女歌劇レヴュースタァライトが大好きなのには変わりないのだが、大好きな気持ちが小さくなってきているのだ。

小さくなっているというのか。

自分の中で大切にしておける物は少ない。
限りある時間をそれに使おうと思える優先順位がある。

そう、小さくなっているというか、優先順位が下がっているのだ。

大好きで熱中していたものの優先順位が時間経過とともに自然と下がっていくことは不思議なことではないはずなんだけど、それが受け入れがたいのだ。

劇場版少女歌劇レヴュースタァライトを好きな自分。というレッテルを自分で貼っているからだろうか。
いや、自分を現すために劇場版少女歌劇レヴュースタァライト好きを名乗っているのか。

いや、そんな難しいことではないのかもしれない。
やっぱり大好きだったものへの興味が薄れていくことは寂しいことだと感じる。

オザケンもそのように歌っているから好きだったはずだ。

時は流れ傷は消えていく それがイライラともどかしく

そして静かに心は離れていくと

とはいえ、それをすんなり受け入れることはできないので、昨日はすべてのスケジュールを台無しにして怠惰に過ごしたのだ。
怠惰に過ごして日曜日は飲まないと決めていたビールも飲んだ。
どうだもうこれで行けないだろうと。

そして今後悔にまみれてこの文章を書いた。
昨日を怠惰に過ごした言い訳につかっているようにも思う。

次の熱中できるものがあって、それに心が奪われている状態のほうが受け入れやすかった。

難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?