ポロロッカ哀愁

「来た来た来た、ついにやって来ました!」
「成田から二日近くもかかっちゃって。大会前にすっかり疲れたぞ」
 小田島光一(二十一歳)、三島春彦(二十二歳)、秋彦(二十歳)。神奈川県の大学生三人組が、サーフボード持参で、エミレーツ航空を使って成田から搭乗、ヨーロッパ周りでブラジルのベレン空港へ降り立った。そして車でサン・ドミンゴス・ド・カピンへ。そこでは、この三月二十二日にアマゾン川の逆流現象・ポロロッカを利用した毎年恒例のサーフィン大会が開かれるのだ。
 二十二時三十分に成田を発ち、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港とブラジルのサンパウロ・グアルーリョス国際空港の二か所を経由してベレンに到着したのが、現地時間、夜中の午前一時十五分。所要時間三十九時間、往復でひとり三十万円近くかかる大旅行だ。
 ベレン市は、アマゾン川の南岸に位置しブラジルはパラー州の州都で、
人口百四十三万人。日系ブラジル人が三千人住み、日本の領事事務所のある商業都市だ。サーフボードは三辺の合計サイズが三百センチ以内なので無料の受託手荷物で運んだ。ここで、三人の自慢のサーフボードを紹介しよう。光一の愛機はチャンネルアイランド製のショートで四フィン。EPS(ポリスチレンフォーム)製で、長さが百七十五センチ。春彦の愛機はパイゼル製のショートで三フィン。PU(ポリウレタン)製で、長さが百七十五センチだ。弟の秋彦は身長が百八十五センチの大柄なので、彼の愛機はジェイエスインダストリー製のショートで三フィン。PU製で、長さが百八十センチだ。いずれも十万円以上する三人の自慢の愛機だ。毎晩寝る前にワックスできれいに磨き上げている。ちなみに三人のウェットスーツはクロロプレン素材の衝撃に強いダーク系のフルスーツだ。
 三人は、これまでにレストランの皿洗いや、サーフボード屋のレジやUberEatsやら、さまざまなバイトで金をためて二年をかけてようやくやってきたのだ。彼らは、湘南は鵠沼の幼馴染。八歳くらいからサーフィンをやっている。光一は父親が。春彦、秋彦の兄弟は母親がやっていた。
 三人は空港のレストランでゆっくり腹ごしらえをすませて表に出た。まだ暗い。もわーと熱風が押し寄せた。予想に違わず高温多湿地帯だ。空港前でタクシーを拾い予約してあったカピンのホテルへ向かった。車種はパジェロ。初老のおじさんが運転手だ。上は白の開襟シャツ、下は青い格子柄の半ズボンで涼しげだ。道路の両脇をオレンジに色づいたマンゴーの街路樹が続く。パジェロは夜明けの国道を時速八十キロ以上で突っ走った。
 ベレンの街から百四十キロ、内陸へ向かって車で二時間半ほど進むと小さな村が現れた。サン・ドミンゴス・ド・カピンだ。ここは人口六千人に満たない小さな村だ。村はずれに教会の尖塔が見えてきた。
 舗装されていない細い道を村の中心部へ向かってゆっくり進むと、目的のホテルが姿を現した。ホテルと言ってもこの季節だけ営業している白壁の木造二階建てで民宿みたいなものだ。ポルトガル人の別荘を譲り受けたオーナーが、少し手を入れて百年間そのまま使っている古い洋館だ。すぐ目の前を川が流れていた。アマゾン川の支流であるカピン川だ。支流と言っても幅五百メートルは優にある大きな川だ。悠然と流れていた。
 ホテルは、三人同部屋で一泊九千円だった。ダブルベッドにエキストラベッドをひとつ足してもらった。ちなみにダブルベッドには兄弟が寝る。
この古いホテルで置き引きにあった。フロントで受付している間に春彦のスーツケースが無くなったのだ。幸い財布とパスポートは別にしてあったので無事だったが、下着と着替えがなくなった。「俺のパンツ盗んでどうしよってんだ」
 大会は二日後の午後の予定だ。ホテルの目の前のカピン川でポロロッカ(川の逆流現象)が起きるのだ。毎月二回の大潮のときに発生する現象だが、三月はとくに雨期の影響で増水し、時速六十五キロの大きな逆流が発生して八百キロの内陸にまで達するという。波の高さは六メートルにもおよびサーフィンにはもってこいだ。毎年三月に行われる大会はすでに二十回続いているのですっかり定着しており、海外からも多くのサーファーが訪れる。ロング、ミッド、ショートといろいろなサーフボードがあふれて賑やかだ。長さや色もさまざま、フィンもひとつやふたつや複数のものが。最近は女性サーファーも増えて、ウェットスーツも色や柄が豊富だ。
 なぜここへ来たかというと、光一の父親が若い頃にNHKのポロロッカのドキュメンタリー番組を見たらしく、いちど挑戦したいものだとよく言っていたからだ。三人の中でも、とくに光一がそれに影響されて、親の代わりに挑戦してやると、幼いころから心に決めていた。
 三人はホテルで夕方まで寝て過ごした。陽が落ちても暑さは和らがない。三人は通りへ出て食事ができるところを探した。屋台があった。食欲を誘う鼻腔をくすぐる匂い。豆といっしょに豚の耳や足、牛肉や干し肉、ベーコン、チョリソーなどを煮込んだ「フェイジョアーダ」を買った。八十レアル。日本円で千七百円だ。紙製のスープカップからスプーンでほおばりながら通りを見物する。
 若い白人の女の子の二人連れがいた。ビキニ姿の二人に見とれて春彦がついていってしまう。「やめとけ」と光一が追いかけるが、見失った。
「おいおいまいったな、春彦め」と光一。
「にいちゃんの悪い癖だ」と秋彦。
 しばらく探していると、男の悲鳴が。狭い路地を進むと、泥だらけの春彦が行き止まりで転がっていた。突然、男が現れて、顔面にパンチを喰らって財布をとられたらしい。パスポートは手に握って死守した。窃盗は日常茶飯事で警察に通報してもこのくらいのことでは動いてくれない。「思った以上にやばいところだ」と春彦は嘆息した。
 三人は、コンビニみたいな雑貨屋で黒豚の粗挽き生ソーセージとナッツ類とスコールビール、サトウキビを原料にした蒸留酒・カシャッサ(アルコール度数は五十度)を買い込んでホテルへ戻った。額にコブを作った春彦を見てフロントにいたおばちゃんが、目をぱちくりさせながら片言の日本語で、「ごめんね、大会の時は悪い奴らも集まってくるみたいで。ふだんはいい人間しかいない静かな村なんだけどね」
 おばちゃんの死んだ旦那さんは日系ブラジル人だったらしい。おばちゃんがコーヒーを淹れてくれた。春彦は、口に含んだコーヒーがしみた。
「痛!」
 三人が仲良くベッドに横になっていると、夜中にホテルの部屋の天井裏からなにやら物音が。ガサゴソと。春彦が、サーフボードの先でつついた。すると突然、天井の板が破れてどさぁっとタイヤのような塊が落ちてきた。全身が黄色で、黒い斑紋があった。大蛇だ。三メートルはある。ヘビと目が合った。
「ぎゃああ」パニックになる三人。急いで部屋を飛び出し、階下のフロントへ駆け込んだ。「ああ、出た? ダイジョブダイジョブ。アナコンダだから毒はない。犬や猫は吞み込んじゃうけどね」
 壁の犬の写真を指差して、「メウちゃんは二年前に飲まれちゃった」。この蛇は、このホテルの守り神だという。天井裏に住んでいるそうだ。ときどき餌を求めておりてくるらしい。だから「乱暴しないでね」とフロントのおばちゃん。結局、あまりに怖かったので一階の部屋に代えてもらった。部屋にテレビはあったが、いつの時代のものかわからない日本製のブラウン管テレビで、スイッチを入れたら、映ることは映るが、ざあーっと画面に雨が降って、音も絵もざあざあで雑音だったので、見ることをあきらめた。あとは酒でも飲むしかないということになり、先ほど買った酒では足らなかったので、フロント横の冷蔵庫からブラジル特産のセハマウチビールを入手した。 つまみにトカゲの干物も買った。見た目はきついが、鶏肉みたいで味はけっこういけた。ビールを飲んで三人は寝た。飲み過ぎたみたいだ。
 次の日、起きたときにはすっかり陽が昇っていた。
「あんたたち、そろそろ起きたら」
表に「Don′t Disturb」とプレートをかけていたのに、ドアをあけて、掃除のおばさんがポルトガル語で声をかけてきた。
「おいおい、勝手に入らないで」掃除のおばさんは合い鍵でドアを開けたのだ。着替え中の春彦は思わず股間を押さえた。「フン」おばさんは一瞥してつぶやいた。春彦はポルトガル語で股間をバカにされたように感じた。
 三人は、フロント横のレストラン、といってもこじんまりしているが、そこで朝食を頼んだ。ポン・フランセースというブラジル風フランスパンと、ハム、チーズ、フルーツ、フレッシュジュース、コーヒーだった。濃いコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて飲んだ。けっこう満腹になった。
 今日は、本番に備えてサーフィンの肩慣らしに行くことにした。フロントのおばちゃんに聞いたところ、カピン川の大会の会場までは、歩いて五分ほどだそうだ。メモ用紙に案内の絵を描いてもらった。サーフボードを抱えて、三人はさっそうと宿を後にした。太陽がまぶしい。赤道直下の強烈な日差しだ。サングラスにウェットスーツ姿の三人。昔、父親たちが繰り返しDVDで見ていた「ビッグ・ウェンズデー」という映画が勝手に光一の頭に浮かんだ。
 日本で想像していた秘境の絵とはだいぶ異なった。通りはかなり観光地化されていて、サーフボードを抱えた若者たちであふれていた。
「安いよ安いよ。となり、偽物」片言の日本語が聴こえてくる。土産物や食べ物の屋台がひしめき、サーフィン会場なのを忘れそうになる。屋台では、牛の塊肉を串に刺してあぶったシュラスコや、宝石の指輪や、なぜかサンゴの置物や、お面まで売っていた。ちょんまげの侍や、日本の戦隊ヒーローやプリキュアのお面まであった。昆虫の干物もあったが、光一にはどう見てもその形状から大型のゴキブリに思えた。体長七、八センチはありそうだ。それをうまそうにかじりながら通りでショッピングしている強者もいた。大会の常連かもしれない。「なんなんだよ、ここは」
 通りはかなり賑わっていて、サーフボードが接触したのか、あちこちで喧嘩も起きていた。時代劇で見たことがあるが、江戸時代、侍の刀の鞘が当たると斬りあいになったそうで、光一はそんなことを思い出した。大切なサーフボードに傷がつくかと思うと、喧嘩する気持ちも理解できた。
 川岸にやってきた。川と言ってもアマゾン川の支流だ。ふつうの広さではない。対岸まで五百メートルは優にある。ここが支流だなんて、アマゾン川はもっと大きいそうだ。アマゾン川の本流でサーフィンをと考えていたが、地元民によると、それはたいそう危険で地元民もやらないそうだ。
 アマゾンの支流でサーフィンができるのは、ここカピン川河口と、北部のアラグァリ川河口だそうだ。ところが、アラグァリ川は上流にダムができて以来、ポロロッカの波が小さくなったということで、最近はもっぱらカピン川のほうが盛んで、そんなわけでここで大会まで開かれるようになったのだ。ポロロッカでサーフィンと言っても、今ではもう、アマゾンの秘境サーフィンというような神秘的なものではなくなった。もちろん、今日はポロロッカではないので波はないが、三人は川岸からゆっくりと川に浸かり、サーフボードを浮かべた。腹ばいになって両手で水を掻きパドリングで対岸をめざす。川の水は雨期のせいで増水しており、水は粘土色に濁っていた。川はとうとうとゆったり流れていた。百人くらいが川に浮かんで、両岸を行ったり来たりしていた。中にはボードにあおむけに寝そべって流れに乗って河口へ向かっている者もいた。瓶ビールをラッパ飲みしながら寝ている輩も見受けられた。三人はボードの上に立った。河口へ向かって流れに乗ってみる。「いい感じだな」「問題ないね」「明日の大会が楽しみだ」三人はふたたびパドリングをして対岸へ向かう。そしてターンして帰ってくる。往復に一時間をかけた。だいぶ流されたので、戻ったときには、出発地点から一キロは離れていた。
「秋彦、足を見ろ」と春彦。
「え」秋彦は、右の足先を見た。血が出ていた。
「いてて、急に痛くなってきた」
 明日の大会に合わせて救護所を岸に設営中だったが、三人はそこへ駆けこんだ。近くでテレビクルーがカメラを載せる撮影用の櫓を建てていた。
 ブラジル最大のテレビ局ヘジ・グローボ、スポーツ専門の動画配信サービスDAZNの姿があった。
 看護師の太目の金髪のおねえさんが、
「ピラニアだね」と言った。
「あちゃあ」「ピラニアがいるのか?」「アマゾンだもんなぁ」
 秋彦は、右足の人差し指の先を少しかじられていたが、幸いかすり傷程度だったので、消毒してバンドエイドを貼ってもらって、手当は完了した。
 その晩は、村をあげての前夜祭だった。
 毎年三月のこの時期は、村が一年で一番賑わう。一万人の来場があるという。ポロロッカ現象は実は毎月二回あるのだが、波の大きな三月以外の他の月はさほど観光客もいないので、村はひっそりしている。三月はこの村の一番の稼ぎどきなのだ。祭りだろうが何だろうが儲かりそうなことは何でもやる。ホテルだけでは観光客を収容しきれないので、普通の民家も急遽、民宿となる。サービスは宿泊施設によってかなりまちまちで、ひどいところもあるらしい。三人が泊まっているホテルは、アナコンダが出たくらいでまだいいほうだ。体長一センチの軍隊蟻や体長十センチの毒蜘蛛タランチュラに噛まれるなんてのはざらだ。おかげで大会前にリタイアなんてことも起こりうる。テレビクルーが集団食中毒を起こして本番の中継ができなかったこともある。食べ物には注意したい。とくに生ものはアウトだ。
 夕闇があたりを包み始めたころ、通りの中心の広場では、ステージが組まれて、いくつかの催しが始まった。ピアノやサックス、ドラムセット、ギターで構成されたボサノババンドが登場し、女性ボーカルの唄が始まった。有名な曲「イパネマの娘」だ。集まった観客は、サーファーの他にも地元の家族連れも多く見受けられる。みんなビールやらガラナやら飲み物片手に楽しんでいる。日本の盆踊り会場にも似ているかもしれない。屋台の中に粗めのかき氷屋があったが、三人は、かき氷には警戒して手をつけなかった。太っちょで腕に入れ墨をしたおじさんが、素手で氷をかいていたが、ときおり鼻水を手でこすっているのを目撃した。「絶対食あたり起こすぞ」
 広場の真ん中で騒ぎが起きた。三人が好奇心から近寄ってみると、サーファー数人と地元の警察官に二人の男が取り押さえられていた。
「あ」その二人は、昨日、春彦を路地裏で襲ったやつらだった。
「俺の財布返せ」叫ぶ春彦。しかし全く通じていないのか、とぼけている男二人。
 男たちは警察に連行されていった。広場でスリをしているところを現行犯逮捕されたのだ。三人は春彦の財布を取り戻すため、広場から三百メートルほど先の警察署へついていった。が、
「無理ね。戻ってこないよ」  
 警察官が片言の英語で話し、手を左右に振った。
 明日が大会本番だというのに、みんなリラックスしている。優勝者には賞金十万ドル、準優勝者には賞金三万ドルが出る。ここへ来ればわかるが、赤道直下の川風を浴びると賞金などはどうでもよくなり、酒を飲んでこんないい気分をずっと続けていたい、そんな心持になってしまう。夜は更けて、三人は夜中の二時過ぎにホテルへ帰りついた。へべれけだった。初めて会った外国のサーファーと言葉は通じなくとも何となく意気投合してしまい、とにかく飲んで騒いで時間を過ごした。そのまま広場で寝込んだ奴らもいた。冗談に聞こえないが、大会のあとに村の子ども人口が増えるという噂もある。
夜があけた。大会当日となった。
 お昼ごろから、川岸に出場者たちが集まりだした。ゆうべとはうってかわってみんな真剣な表情をしている。賞金を狙っているのだ。三人はうっかりしてしまった。本気の連中は昨夜は飲み過ぎたりせずにじっくり体調を整えていたのだ。飲んだくれているのはやはり素人だった。素人の三人は素人連中と意気投合して飲んだくれていたのだ。
「情けねえ」そう言ってももう遅い。二日酔いを覚まそうと、三人はホテルのおばちゃんに淹れてもらった濃いめのブラジルコーヒーを出発前にがぶ飲みした。
 出場者はおそらく千人くらいいると思われるが、午後三時近くになると、みんな川岸で静かに河口方向を見つめていた。
 ごごごごご・・・・・・河口方向から身体の芯に響くような轟音が押しよせてきた。
 轟音とともに水面が泡立ってきた。泡立つ水面をよく見ると、ぴちぴちと跳ね上がる小魚たちの大群が。銀色に輝くこれがピラニアか。
 先ほどまで空をいっぱいに覆っていた雲が切れて青空が見えてきた。強い日差しが肌をウエットスーツ越しに突き刺す。「来たぞ」興奮気味の三人。「いよいよだな」春彦は鼻息が荒い。
「にいちゃん、がんばろな」と秋彦。
 大柄な男が緊張で歯をがちがちさせている。
 小波が何段か押し寄せた。そしていよいよ高さ六メートルはあろうかと思われる大波が、一キロほど先に姿を現した。
 ぴいいーーと、両岸のスピーカーから合図の笛が鳴り響く。それに呼応するように、おおおおお・・・・・・と出場者たちのどよめきが聴こえる。サーファーたちがいっせいにボードを抱えて川に飛び込み、パドリングで特等席へ漕ぎだす。途中、ボード同士がぶつかり沈没、脱落する者であふれる。血を流す者もいる。ライフセーバーがゴムボートで駆けつける。川岸で救護班が待機する。川の真ん中の特等席へたどり着ける者は一握りの中の一握りだ。光一たち三人は、懸命にパドリングして真ん中まではほど遠いが、岸より五十メートルほど内側に居場所を確保できた。
「来るぞ」
 どばあああああ。大波が押し寄せた。波の先端に三人は乗った。パドリングで進み、ほどなく立ち上がる。
 乗った。高さ六メートル、横幅五百メートルにわたる波の先端に、サーファーの集団がきれいに乗った。真ん中を先頭に角度の浅い三角形を形づくる。上空にドローンが十機ほど並行して飛ぶ。空撮しているのだ。横一列のサーファーたちのしばらくあとから、テレビ局がチャーターした小型のプレジャーボートが数隻追いかけてくる。撮影クルーだ。船上でドローンの操縦もやっている。一番後方のプレジャーボートの先端には、バドワイザーのぴっちりしたミニワンピ姿のグラマーな金髪女性が立っていた。ドローンのカメラに作り笑顔を向けている。両岸に数百メートルごとに設置されたBOSEの大型スピーカーから音楽が流れてくる。映画「地獄の黙示録」のテーマ曲「ワルキューレの騎行」の勇ましいサウンドにのってサーファーたちが横一列に並んで見事なテクニックを見せつける。
 波に乗るテイクオフ、波の斜面を上下に動いてアップス・アンド・ダウンズ、ボード上をすり足で体重移動を行うウォーキング、波の斜面のトップでターン、仰向け状態でターンを行うレイバック、空中に飛び出すエアリアル・・・・・・波は一段、二段と続き、数百人のサーファーが波に乗る。壮観な光景だ。
 十分、二十分と波乗りは続くが、途中で脱落する者が後を絶たない。二十分を過ぎたころから波はピークを過ぎ、やがて少しずつ高さが低くなっていく。
 光一たちは、二十分間は持ちこたえたが、二十一分に秋彦が、二十二分に春彦が、そして三人の中では一番テクニックのある光一が二十四分で力つきた。脱落し、ベイルアウトした者たちは、自力で川岸へ泳ぎ着くか、あるいは順にライフセーバーのゴムボートに引き上げられていった。
 この日の記録は三十二分。大会記録の三十四分には及ばなかったが、なかなかの好成績だった。ニュージーランドのダニエル選手が優勝を勝ち取った。準優勝は三十分のヤマガタトキエ選手。なんと、昨年、全日本サーフィン選手権大会ガールズクラスで優勝した二十代女性だ。
「あちゃあ」
 光一たちは岸に設けられた表彰式会場でたまげた。波乗り時間二十分と三十分の差は、光一たちにはとんでもなく大きな差に感じられた。
「やっぱ、俺たちゃアマチュアだね」
 身体のあちこちをピラニアにかじられてバンドエイドを貼りまくった三人はそれでも充実した大会だったと満足気だった。
 この日の夜は、優勝者を囲んで懇親会が盛大に開かれた。光一たちも駆けつけるに違いない、と思われたが、前夜祭の反省から、この日は部屋でおとなしくすることにした。その代わり、ホテル二階のベランダへ出て、瓶ビール片手に広場を見下ろした。ジャズバンドの演奏や、歌や、踊りが賑やかに続いていた。真ん中のステージに向けて四方から吊ってある万国旗が夜風に吹かれてはためいていた。地元ケーブルテレビ局の中継も入っていた。
「明日帰るのがいやになったね」
「ほんと」
「このまま夜風に当たっていたい」
 夜は、昼とうってかわって、心地よい川風が吹き寄せていた。この風に当たっているとどうでもよくなってしまう。人生を狂わせる風だ。三人は木製のデッキチェアに寝そべってうとうととした。しばらくして、
「あれ、秋彦は?」
「どこ行った、あいつ」
 光一と春彦が屋上から周囲を見回す。
「あ、いた」
「なにやってんだ、あいつ」
 秋彦がサーフボードを抱えて通りを渡り川の方へ向かっていたのだ。ぼーっと夢遊病者のように歩いている。
「ちょ、ちょっと」
 光一と春彦は階段を駆けおり秋彦を追いかけた。
 川岸では多くのサーファーたちが飲みながら語らっていた。サーファーが立ち上がって川の中を指さした。ちょっとした騒ぎになった。光一と春彦がみんなが指さす方向を見ると、川岸から二十メートルほど先で秋彦がサーフボードの傍らで手を振って助けを求めていた。目が醒めたのだ。上流へ流されていく。
「助けてぇ」声がかすかに聞こえた。
 周りは騒然となったが、暗闇の中、多くが酔っぱらっているし、助けに行く者はいない。光一と春彦は水に入るが、流れが昼間より早く感じられた。ふたりが躊躇していると、横をさーっと駆け抜けて川に進んでいった者がいた。パドリングでさっさっと水を掻き、あっという間に秋彦に追いついた。そしてボードのリーシュコードをつかんで秋彦を岸へ引っ張ってきた。
「秋彦!」春彦は秋彦にだきついた。
「なにやってんだ、おまえ」
「なんか、俺を呼ぶ子どもの声が聞こえたんだ」
「カピンの霊ね」
 そこに準優勝したヤマガタトキエがいた。彼女が秋彦を救ったのだ。
「大昔にね、多くの子どもたちがポロロッカに流されたの。ポロロッカの
夜に子どもたちが呼びに来るって、ここには悲しい言い伝えがあるのよ」
そう言うと、トキエは去っていった。三人は面と向かってお礼を言う間もなかった。トキエの華奢な後ろ姿に三人は思わず深々とお辞儀した。腰を折ったまま、しばらく顔を上げられないでいる春彦。今、この瞬間に、春彦はトキエのファンになったに違いない。心がときめいている。顔を少し上げて、トキエの後ろ姿を春彦はしばらく見送っていた。
「トキエさん・・・・・・」
 三人はホテルに戻った。夜はしんしんと更けていった。
「秋彦、おまえにはもう二度と飲ませないからな」と春彦。
「ごめん。ほんとに子どもが呼んでたんだ」
 ドアがノックされた。三人がびくっとする。何事かとドアののぞき穴を春彦がのぞく。だれもいない。ゆっくりドアを開ける。ドアの前に、大きな黒いスーツケースがあった。あちこち傷だらけで凸凹している。鍵穴が壊れていた。
「あ、俺のスーツケース」と春彦。
「誰が持って来たんだ?」
「カピンの霊かな」と光一。
「じょ、冗談はやめろ」
 春彦はフロントへ電話した。
「スーツケースが戻って来たって。よかったね。きっとカピンの霊が見つけてくれたんだわ」と片言の日本語でおばちゃん。
「カ、カピン・・・・・・」
 春彦は部屋の中央で傷だらけのスーツケースの中を確認した。
「あれがない」と春彦。
「何がないの?」と光一。
「あれだけが、ない」腕組みをして怪訝な様子の春彦。
 翌日の昼すぎ。帰り支度を終えて光一たち三人がフロントへ現れた。
「お世話になりました」と三人がおばちゃんへ挨拶。
「また来るのよ」と片言の日本語でおばちゃん。涙ぐんでいる。なんだか芝居臭い。
 表の車寄せにパジェロが入ってきた。初老の運転手がフロントへ迎えにやってきた。スーツケースやサーフボードを車へ運んでくれるらしい。来た時と同じ運転手だ。
「あ」
 春彦があんぐりと口をあけた。
「どうした?」と光一。
 春彦が指をさしたその先に。
「あ、にいちゃんの半ズボン」
 秋彦も指さした。
 運転手のはいていた半ズボンがどうやら春彦のなくなった半ズボンだったらしい。赤い格子柄。とても気に入っているみたいだ。しばらく三人は呆然となったが、そんなに気に入ってくれたのなら、ということで何事もなかったようにパジェロに乗り込んだ。
 車が発車した。ベレンの空港へ向けて。マンゴーが両脇に茂る舗装された国道を軽快に走るパジェロ。摂氏三十五度。湿度八十%。今日は快晴だ。
「パジェロいいね。日本車最高!」
 そう言ったかどうか正確にはわからないが、元気な運転手の声が車内に響きわたった。三人は日本へ帰ったらまた頑張れるような気がしていた。勉強じゃなくてサーフィンをね。
 開け放った車の窓から、熱風が吹き込んできた。この熱風にもうしばらく浸っていたいと思った。
「トキエさん」と光一。
「黙れ!」と春彦。
 赤道直下をカピン川が延々と続いていた。   〈了〉

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