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少年チャンピオンのこと

私が、西武新宿線・井荻のアパートにいた70年代は、漫画は、少年チャンピオン全盛の時代で、手塚治虫の「ブラックジャック」石森章太郎の「番長惑星」鴨川ツバメの「マカロニほうれん荘」石井いさみの「ナナハンライダー」(75年)山上たつひこの「ガキでか」(74年)萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」古賀新一の「エコエコアザラク」(75年)藤子不二雄Aの「魔太郎がくる!!」(72年)水島新司「ドカベン」などが載っていてジャンプ、マガジン、サンデーを突き放して絶好調でした。
ちなみにまったく偶然ですが、のちに私が松竹で担当する「機動戦士ガンダム」を作っていた日本サンライズは、隣駅の上井草にありました。

井荻駅には、アニメの「竜の子分室」がありました。雑居ビルの2階にあって見学したことがあります。アニメーターもいいなとか思っていたのでふらふらと立ち寄ってしまいました。
当時、井荻駅前の定食屋には少年キングが置いてあって、「銀河鉄道999」(77年)が連載中でした。
ちなみに、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の秋本治は、デビューしたころ、山止たつひこのペンネームを名乗って、山上たつひこに本気で怒られて改名したとラジオで聞いた記憶があります。
70年代前半の少年ジャンプは、少年チャンピオンには部数に及ばなかったけれど、手塚賞、赤塚賞という新人登竜門があって、そこから諸星大二郎「生物都市」(74年)、星野之宣「ブルーシティ」、コンタロウ「1、2のアッホ」(75年)が登場しました。コンタロウは天才だと思っていたので、もっと活躍してほしい。

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