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機動戦士ガンダム アニメ新世紀宣言の思い出

1981年、2月21日。その日は翌日に「機動戦士ガンダム」の大イベント「アニメ新世紀宣言」を控えて、当時、松竹の宣伝部員だった私は、新宿アルタ前の見回りを他の宣伝部員といっしょに行っていました。夜の9時を回ったころ、新宿アルタ前に子供たちの列ができていました。子どもと言ってもおそらく大学生だったと思います。数人のグループで来ている人たちでした。先頭のグループがノートを作っていて、そこに到着順にグループの名前が書いてありました。きちんとしていました。

私が「終電になったらどうするの?」と聞くと、彼らは何とかする、と答えました。

終電近くになったころ、またアルタ前に行くと、さらにグループは増え、30人くらいいたように思います。

私は、新宿松竹の支配人にそのことを報告したところ、「歌舞伎町に深夜に子供たちが行くと困ったことになる。映画館に泊めるから連れてきてくれ」ということになり、宣伝部員とともにアルタ前に出かけ、みんなに映画館に泊まるように説得しました。この時代、昔の風営法の時代なので、深夜にゲームセンターは営業していました。新宿歌舞伎町は、無法地帯でした。子どもが警察に補導された話はよく聞きました。

午前0時をだいぶ回り、終電となったところで、子供たちを新宿松竹へ案内しました。彼らは、「始発までにはさっきの場所へ戻りたい」と言っていました。始発組より先に並ばないといけないと言うのです。

映画館へ子供たちを連れていくと、もうそこはみんな元気で、座っている子どもはほとんどおらず、そこらじゅうでグループ同士の交流会が行われていました。インターネットのない時代です。みんなアニメ誌の情報だけでつながっていました。みんなあっという間に知り合いになったように思います。

夜明けが近づき、午前5時前には子どもたちをアルタ前に戻しました。ノートに従ってみんな整然と並びました。

ひとりとして歌舞伎町へ出ることなく、無事にみんなアニメ新世紀宣言へ参加することになりました。

始発とともに次から次へ、電車が到着するごとに子どもたちが列を作り、午前8時くらいには新宿の地下から地上へ上がることすらできないほどとなりました。新宿三丁目の伊勢丹近くまで子どもたちが集まったと聞きました。

「アニメ新世紀宣言」はお昼くらいに始まったんでしょうが、私には早朝に始まり、一日かかったようなとても長い日に感じました。

2月の厳寒の中、寒さを忘れてものすごい熱気を感じた一日でした。

2万人集まったと聞きました。私は事前に新宿警察署に「2000人のイベント」で届けていました。「宇宙戦艦ヤマトのイベントが2000人」と聞いた覚えがあったので2000人の届けをしていました。イベント終了後、松竹の役員が新宿警察署に呼ばれたそうです。

1981年2月22日は「機動戦士ガンダム」が産声を上げた、そんな日になったと記憶しています。

http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY200910170173.html


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