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おだやかにすごすためには

前回の帰省から何も書いてなかったなー。
2日前にまた帰省し帰り道の空港にいるわけなんだけど、この4週間私は一度も母のことを電話で怒鳴らなかった。
そしたら母も人が変わったようにならなかったし、泣きもしないし大きな混乱もしなかった。

前回、それこそ取っ組み合いの言い争いをした。
そんなの人生初だ。
きっかけは、父が退院してももしかしたら家に帰れないかもしれない、という話で、それを「自分に一番に言ってくれなかった。」というのがたまらなくつらかったようで、もう寝る時間になって私が2階の部屋に上がってから泣き叫んでどうしようもなくなり、パジャマのまま外に飛び出していった。
どうせ帰ってくると思ったので探しに行かなかったら、案の定しばらくしたら帰ってきたんだけど、「畑に行ってもお父さんがいない!」とわぁわぁ泣きながら帰ってきた。

そのあとも興奮が収まらずどうにもならないので近所の民生委員さんに電話をしようとしたら、自分がどこかに連れて行かれてしまうと思いこんだ母は近くにあったペットボトルの水を私にかけて、パソコンとスマホを窓から投げ捨てようとして、それを止めようとするんだけど、あんなに痩せてしまった身体のどこにそんな力があるのか、私もかなり力を入れて対抗しなければならず、帰宅してからあちこちに痣ができていることに気づく始末。

どうにかして落ち着かせて母の寝室に行き、延々とというかグルグルとというか、とにかく自分が後回しにされた恨み言から昔話から自分が苦労した話をし続けるので、もう何を言われても反論せずにただただ聞くことにした。

だけど私ももう情けなくて悲しくて、最後にはわぁわぁ泣いて。
そうするとやっぱり母は「母」なので、50過ぎていても子どもが泣いているのがかわいそうになってきたのか、私をなだめる側にまわった。
もうなんだかわけわかんないけど、とりあえず落ち着いたからいいやと思ってそれぞれ布団に入った、ということがあったのだ。

朝になったら母はこまかいことまでは覚えていないけれど、何かやらかしたのはわかっているのか、ひたすらあやまっていた。
私はもちろん全部おぼえていて消化しきれてもないけど、それを言ったって何の解決にもならない。
だからもういいことにしたのだ。
で、前の記事のドライブで楽しい思い出に記憶を書きかえて帰途に着いた。

結局、いくら言い聞かせてもメモを取らせても、忘れてしまうことには変わりない。
だけど自分の身の回りのことはできているし、電話もLINEもできる。混乱しそうになっても「大丈夫」って言い続ければ落ち着いて、人格が変わるようなこともない。
同じことを聞かれたら同じ説明をすればよく、そうしていれば機嫌よく過ごせるのなら、やればいいと思い至った。

諦めたとか自分が何もかもかぶったとかそういうんじゃなく、母のためでもなく、自分を守るため。
これまでの人生でそんなに人に対して怒ったことがないので、それだけで疲れるし、ましてその相手が親という事実が私には重すぎる。
相手は変えられないのだから、私がやり方を変えるしかなかった。消極的手法だけど、今のところうまくいってる。

そのうち疲れて爆発するかもしれないんだけど、まあそのときはそのときで、どうにかなるでしょう。



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