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ラーメン二郎と愛校

こんにちは。
先日、慶應義塾高校の甲子園優勝に接して以下の記事を書きました。

そうしたところ、「慶應義塾の話を書いているのに、どうしてラーメン二郎について語らないのか!」というお叱りを多々賜りましたw
反省の意を込めて、ラーメン二郎について書こうと思います。

ラーメン二郎という文化装置

皆さんは、ラーメン二郎をご存知でしょうか?
語りだすと長くなりすぎて大変なので、以下のwikipediaの記事をご覧いただきたいのですが、要は長らく慶大生に愛されてきたラーメン屋さんです。

慶應の三田キャンパスの正門前に本店があり、「ラーメン二郎を食べたことのない慶大生はモグリ」と言われる程、慶應義塾大学の象徴としての存在感を持っていたラーメン店です。
ここで私は「持っていた」と過去形で書きました。
その意図は、威光が衰えた、ということではなく、もはや慶應だけのものではない、ということにあります。

私が大学生だったのは2001年~2005年。この頃、ラーメン二郎の店舗が一気に増えていっていました。
野猿街道2は、中央大学や帝京大学、東京薬科大学、明星大学など、八王子の大学のソウルフードになっているでしょうし、
めじろ台店は法政大学多摩キャンパスのソウルフード、京成大久保店は東邦大学や日本大学生産工学部のソウルフードになっていると思います。

めじろ台。当時は法政大学の多摩キャンパスの麓にあった


ドルがアメリカを越えたように、二郎は慶應を越えた。
近代化において鉄道が文化装置となったように、成熟社会においては二郎が文化装置。
それについて語ることで、共通のハビトゥスを抱くことができるのです!w

で、私が初めて二郎を食べたのは、大学1年生の終わり。
経済原論(マクロ経済学)のテスト勉強のために三田キャンパスの図書館で勉強しようと立ち寄った際でした。
よく聞く名前だから行ってみようと思ったのですが、
何も知らない私は「大」を頼んでしまいました。
その後、全く勉強が手に付かず、翌日の試験を迎えてしまったのですが、不幸中の幸いでなぜかAを取ることができましたw
その後、「二度と行くか!」と思ったのですが、3年生になってゼミの同期とほぼ毎週行くようになっていたのは内緒です。

京都の建前と本音、そして夢を語る

私は2005年に大学を卒業して、京都にあるミネルヴァ書房で働き始めました。
京都はご存知のように大学の街で、大学に付随して、大学の先生方、学生さんを対象にした飲食店も多いのが特徴です。それと同様、大学を対象とした出版社も多くあり、そのうちの一つがミネルヴァ書房でした。

私は大学も実家から通っていたので、一人暮らしをしたことがなかったことと、東日本以外の文化圏も知ってみたいと思ったこともあり、京都での暮らしが楽しみではありました。
ただ、食文化の違いにはやはり戸惑いました。
とりわけラーメンの味の違いは大きく、関東ではメジャーな存在だった家系ラーメンとラーメン二郎を食べることができないというのが非常に辛かったです。
そのため、帰省の時には極力家系ラーメンを食べるようにしていました(笑)。

ちなみに、京都のラーメン店は、一乗寺というエリアに集中しています。
京都ラーメンの聖地としては、京都駅近く、線路にかかる橋の上にある新福菜館、第一旭が有名ですが、バリエーション豊かなのはなんといっても一乗寺。



私が就職した当時は「天天有」が名店としてその名をとどろかせていました。


しかし、二郎を食べてきた身としては、どこか物足りなさを感じてしまう…。もう二郎を食べることはできないのか…そう思っていた2007年初頭、冬の札幌で大学ゼミ同期の結婚式があって参列した際、友人から「京都に二郎系ができたらしい」という情報を聞きました。
そもそもどうして東京勤務のその友人が京都のラーメン事情に詳しいのか今でも謎ですが、「二郎系」という存在を初めて知ったのは、大学時代、一緒に二郎を食べ歩いていたゼミ同期に教えてもらった、当時大崎にあった「凛」に行ったときでした(今は閉店)。

なので、二郎をリスペクトして、同じような味を再現しようとした店があることは知っていたのですが、それがついに京都にもできたのだと。
調べてみると、それがまさか名店・天天有の隣だという。
行くしかない、ということで当時大阪勤務だった学生時代のバイト仲間が京都に来た時に一緒に行くことにしましたw
「ラーメン荘 夢を語れ」です。


「夢を語れ」で食べたラーメン

正直なところ、二郎系の味が関西で受け入れられるはずがないと思っていたので、並ばずに行けるだろうと思っていたのですが、大間違い。大行列になっていました。
「そんなバカな!」と思ったのですが、今ならその理由がわかるような気がします。
皆さん、京都の食文化というと、上品なイメージがありますよね?
湯豆腐とか、懐石料理とか、京野菜を上品に味付けした料理とか…。
もちろん、それはそうなのですが、食文化にも「建前と本音」があるのだと思います。
上品な味をブランディングして売り出したい一方で、普段はジャンクなものも食べたい。その文脈で「新福菜館」に代表される味の濃いラーメンがウケていたのです。
そこに二郎系がやってきたら、それはウケるに決まっているのです。
(しかし、家系はなかなかできなかった。これについては考察が必要です)

そうこうしていると、「夢を語れ」が新店舗を出したり、一乗寺に新たな二郎系の「ラーメン池田屋」が出店したりと、関西の二郎系も戦国時代を迎えます。

関東のラーメンがこのように関西に進出してくる現象。
当時、速水健朗さんの『ラーメンと愛国』を読んでいたので、どういうことかと考えていました(書名はもちろん、『〈民主〉と〈愛国〉』へのオマージュだと思います)。

グローバリゼーションとローカリゼーションのせめぎ合い。
それは、アイデンティティと密接な関係のある文化でも起こるもの。
そうした考え方に刺激を受けて、私は二郎インスパイアが各地にできていく現象を「ジローバリゼーション」と呼んでいましたw

仙台や札幌にも二郎ができて、二郎が関東の外に進出する流れが決定的になってくる中で、いずれ京都にもできないかな、と待っていましたが、2014年に東京に異動したため、京都で直系の二郎を見ることなく、その地を去ることになりました(その後の2017年、一乗寺にラーメン二郎京都店ができました)。

私自身はラーメンも好きなのですが、スローフードやオーガニック系の料理も大好きです。
特に、40歳を過ぎてから、塩分や脂、炭水化物が少なめのメニューの方が疲れないような気がして、食事には大分気を遣うようになってきました。
ただ、それだけを食べていると、やはり物足りなくなるので、時々ジャンクに行きたくもなります。

これまた速水健朗さんの著書で、『フード左翼とフード右翼』という本がありますが、そこで言うと私は中庸を意識したいのかもしれませんw

 

ラーメン二郎と愛校

色々書いてきましたが、見た目のインパクトや味の強烈さ、呪文のようなオーダー方法など、とにかく話題性が豊富なこともあって、長く語られる存在となっているラーメン二郎。
SNSの時代にあって、リピーターが情報発信してくれることで広告宣伝費をかけずに広まっていくビジネスモデルは、非常に強力なのだと思います。
そして、様々な大学のソウルフードになっている一方で、そのルーツが三田本店にあることに誇りを感じている慶應義塾の卒業生も多いのだと思います。
しかし、そこでマウントを取ろうとしたら間違いなく嫌われます。
あなたが偉いのではなく、あなたもファンの一人でしかないのですから。
慶應を愛する気持ちとラーメン二郎を愛する気持ちが綯交ぜになるのも十分に理解できるのですが、それはそれとして、同じ味を愛する仲間として、喜びを分かち合えばよいのです。

人生は素晴らしい!!VIVAラーメン二郎!!

一番大好きな目黒店の大ブタ


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