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仕事ができない奴をクビにしたら、驚愕の結果に。


 自分自身が「仕事ができるタイプ」なのか、それとも「仕事ができないタイプ」なのかは、自分では意外にわからなかったりするものですが、客観的に業界を眺めていると、

「ああ、まあこれくらいなら標準よりはできているのではないか」

と、なんとなく思う今日この頃です。いちおう取締役だし。

 取締役とは言っても、いわゆる「失業保険がもらえないほうの取締役」ではなく、「失業保険がもらえるほうの取締役」なので、まあ従業員であることには変わりませんが。

 さて、そんな個人的なことはどうでもいいのですが、かなり面白い記事があったのでご紹介。

「仕事ができない人を全員クビにした会社で起きた驚きの結果」


記事は、新刊JPさんからですが、これはテレビでもけっこうCMやってたりしておなじみの Netflix 社で実際にあったことなのだそうです。

 仕事ができない人を解雇して、できるヤツだけにしたら業績はどうなるのか


という疑問は、なかなか興味深いものがありますが、たとえば働きアリさんなんかでは、

「何割かはいつもぜったいサボっている」

なんて観察結果もあるそうなので、ちょっと斜めから捉えると

「えー、絶対にそんなの会社としてはうまく行かないんじゃない?」

という予想になりますね。

 さて、そんな予想に反して

「仕事ができないやつをクビにしたら、業績は伸びた」


のが正解なのだとか!!!


 うわー、世知辛いなあとか、つい思ってしまいますが、よくよく考えてもう一周回って考え直したら、

これって、至極当たり前のことなのでは?


と管理職のヨシイエは思うわけで。


 感情論としての「クビ論」としてみるから「うわーきっつう!たまらんなあ」と感じたり、「ふっ、できないヤツは蹴落とせばいいのだ」とかいろいろ感じるわけで、実は誠実かつ論理的に言い換えれば、以下のような話になるだけなのですね。

<言い換え例>

「成果のいいメンバー(レギュラー)だけを集めて、一軍を作ったら、試合に勝った」

「成績のいい社員の成績を集めたら、結果はめっちゃ良かった」

「成績のいい学生が、偏差値の高い大学に入ったら、成績の悪い生徒はそこにはいなかった」


・・・・・・あたりまえ♪ あたりまえ♪ 当たり前体操。


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 ということは、クビだの仕事ができないだの、人格否定を想起させる文言や仕打ちと連動するから、話がいやな感じになるだけで、これは明確な事実なんだと思います。

 その会社のミッションやビジョンが明確で、求められている動きもはっきりしているのなら、こりゃもう1軍選抜、偏差値選抜をすれば、明白に結果もそうなるというだけです。

 そりゃあ、その会社が、社会奉仕活動的側面が強い業務内容をしているのなら、仕事ができないけれど笑顔が優しい人がいてもいいでしょうが、一寸の狂いもない部品を最速で作ることがミッションな会社には、へらへら笑っているだけの人は「不要」なのは、どうにも仕方がない。

 ましてや、それが人命に関わるようなシビアな部品だったりしたら、そこで求められる成果は、「人間性ではなく精度」だと言われてもぐうの音もでないわけで。

 まあ、そんなこんなで当たりまえのことなので、私もなおいっそう一生懸命成果のある仕事をせねばならんなあ、と感じましたとさ。まる。

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