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別府ブルーバード劇場に通い始めたきっかけ。 ~井浦新にどうしても聞いてみたかったこと~


2020年3月現在、足繁く通う別府ブルーバード劇場には、11月末に開催される映画祭も含め、本当に数多くの役者さんや、監督達が登壇している。3月14日には、実写版『セーラームーン』のタキシード仮面、『仮面ライダー響鬼』で、威吹鬼を演じられ深く記憶に刻まれている渋江譲二さんが、来場予定だ。正直、今年になってあまりのブルーバードへの登壇者の豪華さに、怖くなってしまった。本当にここだけ時空が歪んでるんじゃないかと、心配になるくらい。
自分としてもこれだけ恩恵を受けた劇場に、どうして通うようになったのか、そのきっかけをまとめておきたいと思い、以前Twitterのモーメントにまとめたものを、改稿してnoteに上げようと思った。これは、2018年の5月に別府ブルーバード劇場であった『二十六夜待ち』の舞台挨拶と、8月に湯布院映画祭で行われた、『止められるか俺たちを』の舞台挨拶と、シンポジウムのレポをまとめたものです。


井浦新

実際この名前がしっくりしたのが最近。それまで井浦さんは、自分の中では『ピンポン』に出演したARATAだった。『ピンポン』以降、久々に目にしたのは、TBSドラマの『歸國』。
演技が『ピンポン』の頃とは変わり、声を潰し歩き回る英霊の鬼気迫る役だった。その時は、マニアックな役者の印象。
そんな彼が、『アンナチュラル』で演じた中堂系を見て驚いた。今まで認識が薄く、演技に対して苦手意識さえあった役者に、自分がどうしてこんなにも感情移入をしてドラマにのめり込むのか不思議でしょうがなかった。
脚本の力なのか? それとも役者の力か? 作品を何回見ても良く分からなかった。答えが分からなかった時、井浦新のInstagramを開き、2度見、いや、3度見した。

別府ブルーバード劇場で、
『ニワトリ★スター』ティーチイン有りの舞台挨拶、午前、午後開催。

その日、仕事が休みかは分からない。夕方なら行けるだろうと思い、
車で30分程の距離なので、劇場に買いに行くことにした。しかし、井浦新人気の認識が甘々だった。劇場に着くと館主の岡村照さんがいて
照「ニワトリ?」
自「はい、18:00の分、有りますか?」
照「あーもう売り切れたわ、午前ならあるよ」
真っ白になって劇場を後にした。とりあえず午前の部を買うという頭は回らなかった。メール予約にすれば良かった!
取り敢えず、チケット取れないのもショックだったが、そんなに意識した役者じゃ無かったのに、ここまで打ちのめされている自分にショックだった。たった1作品が、人の存在感をこれ程までに変えてしまうんだという衝撃。ますます、自分がこんなにものめり込むのか知りたいと思った。

『アンナチュラル』に関して知りたかったことは、井浦新のインタビュー記事をネットで見つけ、大体本人が答えてくれていた。
中堂系が自分の中では上手く演じられてないと思ってたこと。単なるキャラが立ったマンガのような人物になったこと。自分の持ってた中堂系のイメージは、演出でダメ出しされたこと。
そのキャラ立ちした演技に持って行かれた実感はある。井浦新らしくない、井浦新の演技に夢中になったとも思う。それをどうやって作り出したのかを知りたかった。
今考えると、悲哀があり特殊能力を持った特撮ヒーロー的部分に惹かれてたんだと感じている。恋人を失い、その死の真相を知るために法医学という特殊能力を使う。


『二十六夜待ち』舞台挨拶、チケット獲得!

あきらめが悪いのは才能です!
今なら胸を張って言えるかもしれない。買いに行った日の夕方には、劇場ホームページで『ニワトリ★スター』の昼の部のチケットも完売の告知。それでも往生際悪く、気が向いたらホームページをのぞき続けていた。ある日、ホームページが更新され

『二十六夜待ち』井浦新舞台挨拶追加
4月30日24:15メール予約開始

の告知。時間ジャストにメールした。

前売り券確保のメールを貰った時、嬉しかった反面、二十六夜待ちの上映参加になったことで、がっかりしていた。『ニワトリ★スター』は監督と2人での登壇。急遽決まった『二十六夜待ち』は、上映前に15分くらい挨拶して、
「じゃ、後は映画をお楽しみ下さい」
みたいな感じで、しめるんだろうなって思っていた。
仕事は神様の采配のように休みが取れた。でも、神様の采配はそれだけで終わらなかった。開演30分前くらいに劇場に着くと見たことのない行列が出来ていた。なんかソワソワして、2週間後に同じ劇場で、高野八誠監督、須賀貴匡さん、青柳尊哉さんが登壇する『HE-LOW』の前売りを予約していたので、窓口に向かって階段を上がった。窓口に行くと、メガネをかけたスタッフがちょっと困った顔で
「今日の上映のチケットですか?」
と聞く。
「今日の前売りは持ってます。予約していたHE-LOWの前売り買いに来ました」
と答えると、前売り購入後
「今日の入場はクジで決めるので、1個引いてください」
と箱を前に出した。何も期待してなかったので無造作に引く。折りたたんだ紙を開くと「2」と書いてあった。一瞬何が起こったか分からなかったが、風が変わるときってこんな感じかなって思った。自分よりメガネをかけたスタッフと周りの何人かが、
「スゴイ、2番です!」
ってガヤガヤしてるのが不思議な気持ちだった。

1番前の席で見た『二十六夜待ち』は、もの凄い濡れ場の激しい映画で、だんだん劇場が、隣のお兄ちゃんのいけない姿を見ている隣人一同みたいな雰囲気になっていく。普段の演技は抑えめで動きが少なくトーンも低いのに、濡れ場だけ異様に生々しい。上映が終わると井浦新が恥ずかしそうに立っていた。

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「あんまり照明を当てないで……」
と、居たたまれない井浦新の横に、メガネをかけた困り顔だったスタッフが、上映後の舞台挨拶の司会をしていた。ブルーバード劇場をサポートしている、映画ライターの森田真帆さんだった。2人の軽いやり取りの後、
「僕で良ければ映画の質問に答えます」
と井浦新が言った。
質問なんて考えて無かったけど、
「なんとか演技の核心に触れたい」
と思い手を挙げる。実際、会場の9割9分は女性で、1番前の席に座った男が珍しかったのだろう。
「じゃあ、ハイ」
と指名して貰えた。聞きたいことは、演技の取り組みだが、二十六夜待ちを絡めてどう聞けばいいのか、少し迷った。濡れ場後の異様な劇場の雰囲気に負け、とりあえずこの空気を変えなければと思い、
「濡れ場の激しさに対して日常の演技の静けさの対比に驚いたのですが、そのメリハリは、監督の意図、指示があったのですか?」
あえて、濡れ場の激しさに触れれば、後が楽になるかなという思いと、井浦新の演技にどのくらい演出が影響するのか知りたかった。
演技については、女優さんとふたりで考えたこと、監督の指示は無かったこと、気持ちを作りやすくするために、撮影はほぼ順撮りで行われたこと
など、すごく丁寧にトツトツと語ってくれた。また、監督と現在の主人公の精神年齢などの裏設定的要素を確かめ合ったり、話し合ったりしたことを教えてくれた。記憶をなくして8年経っている主人公なので、精神年齢は8歳のつもりで演技をしていたとのことだった。

「ありがとうございました」
といって、マイクを森田さんに返す。その日は最前列で映画を鑑賞し、質問出来て、帰り際に握手までして、まるで夢の中のようなフワフワした気持ちで満足して帰った。ただ、どうして井浦新の演じた中堂系に夢中になったかは結局分からなかった。『アンナチュラル』は別格に思えた。
次の日、井浦新のInstagramに、劇場全体を撮った写真が上がっているのを見るまで実感が沸かなかった。写真の中の自分を見て
「あぁ、夢じゃなかったんだ」
と初めて思える程、現実感がなかった。
その後、放送中のドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』で半田を演じている井浦新を観て、余りの中堂系との演技の違い、声の違いに驚いた。ますます演技の謎が深まるばかりだった。


湯布院映画祭

今となっては、いつ、どのタイミングで、湯布院映画祭のホームページを見たのか思い出せない。とにかく、ゲストに井浦新が追加されたのを知って、そそくさと別府のトキハに前売りを買いに行った。本当は土曜日、日曜日と2日参加するつもりだった。
5月の井浦新の舞台挨拶から、何となく自分の趣味に合う映画が、ブルーバードでかかるので、監督や演者が舞台挨拶で登壇する日を見計らって、良く通ったと思う。『カメラを止めるな!』の上映をダイノジの大谷さんのトーク付きで行う日があった。劇場へ行くと珍しく、劇場スタッフに前売りを勧められた。ほぼ、前売りは自分で調べて買っていたし、全部の舞台挨拶有りの上映に参加している訳でもない。
『東京ノワール』の上映と監督の舞台挨拶があるから見に来てね」
と劇場側から初めて推された。日付を見ると、湯布院映画祭2日目。
「映画の内容調べて決めます」
と言ってその場はお茶を濁した。

結局、ブルーバード劇場に行くことに決めて、湯布院映画祭の前売り買った足で劇場に行った。湯布院映画祭は、井浦新がゲストに来る最終日だけ参加しよう。そう思って『東京ノワール』の前売りを購入。正直、その時はただ5月のあの夢みたいな気持ちをもう1回体験してみたいという思いだけあった。
25日にブルーバードで観た『東京ノワール』は、かなり楽しめた。
特に舞台挨拶に登壇した息子役の日下部一郎は、軽薄で嫌悪感を感じる若者を独特の空気感で演じていて、舞台挨拶での喋りも上手く凄い光ってた。
次の日は湯布院だし贅沢な時間の過ごし方だなと思いながら帰路についた。

次の日は、急に日曜日に変更になった副業を午前中に終え、湯布院に車で向かった。心配していた駐車場にも空きがあり会場を目指す。入り口が分からず、グルッと1回りして湯布院公民館に入った。調度、今日最初の上映が終わりシンポジウムの会場に、沢山の人が移動している所だった。
初めての湯布院映画祭だったのでシステムが分からない。受付のスタッフに聞くと、丁寧に教えてくれた。14:30の『心魔師』と、18:30の『止められるか、俺たちを!』の鑑賞予定で前売りを買っていた。その時は、どちらもシンポジウムに参加する予定でそんなに気負ってもいなかった。

『心魔師』の入場までは時間があったので、ロビーに飾られた写真や、映画のポスターを眺めながら歩く。ふと、顔を上げるとメガネを掛けた良く見知った人が立っていた。別府ブルーバード劇場のサポートをしている、森田真帆さんだった。挨拶をしようと思い近づく。
「こんにちは、いつもお世話になります」
声を掛けたら、向こうもすぐに分かってくれたようだった。森田さんもお客として鑑賞に来てるのかと思ったら、胸の辺りにスタッフ証を下げていた。
それを見て苦笑してしまった。つい、
「森田さん、スタッフだったんですか?」
と声が出た。

森田さんに
・昨日から湯布院映画祭に来ようと思ってたこと
・ブルーバードのスタッフに、東京ノワールの舞台挨拶を推され参加したこと
・今日は井浦新にもう1回逢いに来たこと
などを話した。東京ノワールの話になって熱く日下部さんが良かったことを語りながら、ふと気付いた。
「あぁ、なんか5月にブルーバードでクジを引いた時に感じが似てるな」
森田さんに話しかけながら、そう思った。
あの時は、上映を1番前の席で見れたこと、質問することが出来たことが奇跡的に感じていた。湯布院映画祭では、そんなラッキーはもうないだろうと期待も気負いも無かった。東京ノワールと、日下部一郎の印象を熱く語りながら、その時、妙な確信が生まれた。
「俺はきっと今日も井浦新に質問ができる。今度こそ彼の演技の核心に触れられる」
でも、どんな質問をしようかとかは考えなかった。とりあえず気持ちが浮つくこともなく『心魔師』の入場を待った。

ロビーのソファーでスマホをイジってたら後ろから女性の短い悲鳴が聴こえた。振り返ると、トレッキングハット(?)を被り、Tシャツ、モスグリーンのカーゴパンツ、トレッキングシューズを履いた井浦新が会場に入って来ていた。ガヤガヤするロビーを抜け、階段を上がり消えていく。
「カッコイイ、カッコイイ」
という女性の声が横から聞こえてきたが、自分は案外冷静だった。
しばらくすると、降りて来て同じ格好で会場を後にした。
これから井浦新が由布岳を登りに行くなんて、この時の俺に知る由もない。

『心魔師』の開場が近づく。初めての湯布院映画祭での映画鑑賞。並び方さえ何も分からなかった。システム的に、全ての上映、シンポジウム、その日の最後に開かれるパーティーに参加できる『全日パス』を持ったツワモノが入場し、その後を前売り組、当日券が最後に入場することになる。どうやら3列に並ぶようだ。全日パスの参加者が教えてくれた。1番右に全日組、真ん中が前売り組、左側が当日組。
全日パスは100枚限定の販売だったはず。ザッと30人は並んでいた。開演30分前にスタッフが入場の仕切りを始めながら、全日組から続々と中へ入っていく。全日組が会場入りした後、前売り組の1番手で中へ入った。
熱烈なファンやどうしても1番前で見たい人で最前席は埋まっていたが、全日組はガチの映画ファンか、映画好きなお年を召した方が多く、映画を快適に楽しめる真ん中と、最前列に人が集中。2列目はポツポツと空席が目立った。この知識が後でかなり役に立った。

『心魔師』を鑑賞終了後、空腹を感じて、シンポジウムの参加は見送り。
森田さんに逢ったことで、『止められるか、俺たちを』の上映、シンポジウムの良席確保と、井浦新への質問する想いが強くなった。会場を後にして食事をすることにした。午前中に副業のため、ロードバイクで42km走ってたのでガス欠だった。
食事をして戻ると、さっきまで余裕で座れていたソファに空きが少なくなっていた。そろそろかな、という予感があった。前売り組の列が出来るのを神経を集中させて待つ。どうせ待つんなら1番前の方で待とうと決めていた。
数人の小さい塊ができたのを確認して、ソファを離れ後ろについた。結果、前売り組の6番目で1時間くらい並んだ。並んでいる間もドンドン列が伸びていき、最後には会場の入り口から人が溢れた。湯布院映画祭の歴史上、初めてなくらいの入場待ちじゃないかと思った。人が増えるのでドンドン前に詰める。上映館前の階段手前で並んでいたが、そこも上り詰めて、劇場扉がすぐそこまで迫る。
あまり意識しなかった全日組の列が俄然気になりだす。数をかぞえるとさっきより多い。全日組が前から詰めて座ったらキツイなと考える。並びを詰めたことで女性の横になり、少し話すようになった。かなりの井浦ファンらしく、後から聞いた話だと長崎からの参戦だった。凄い行動力と感心した。
隣の女性は、『止められるか、俺たちを』が、湯布院映画祭での初めての参加上映らしく、中の席数も分からないようだった。前作品では、映画好きなお年を召した方は、最前列よりも真ん中辺りに座られること、最前列は映画祭のガチなファンでほぼ埋まること、2列目が案外狙い目だということを話した。だが、会場の前の方に座ってシンポジウムで良席確保できるのだろうか?
「はい、全日パスから入場してください」
スタッフの声で全日組が上映館に入場して行く。全日組が入り終わるのを確かめ、前売り組みが入場する。スタッフの女の子がチケットの半券を千切ってるが、多分この後戦場だろうなと思い
「お客さん多いけど頑張ってね」
と声をかけた。いざ!入場!


『止められるか、俺たちを』上映

中に入ると予想通り最前列は埋まっていた。でも2列目には空席がポコポコとある。カメラアングルの良さそうな席を確保した。問題はここに座って、シンポジウムで良席が確保できるかだ。いいアイデアは浮かばなかったが、後ろに座り直す気は無かった。舞台挨拶が始まるのを待つ。
舞台挨拶で山本浩司、井浦新、白石和彌監督の順で登壇。ステージはかなり客席との距離が近く感じる。そして、撮影し放題の太っ腹。思う存分撮影をし、上映前のひと時を楽しんだ。井浦新は
「10年前、この湯布院に来たときと同じTシャツで参りました!」
と気合い十分だった。

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『止められるか、俺たちを』鑑賞。まさに井浦新の役者としての幅を再認識する作品だった。正直、若松監督の若かりし時代や作品は知らないが、昭和の匂いは懐かしい感じがした。映画はメルヘンでいいと思う。
「事実と多少違ってもその空気を感じることができれば成功ではないか」
なんて気持ちになる。
映画を見ている間、頭の片隅にあるのはシンポジウムの席の確保のこと。
前から2列目でどうやって良席確保すればいいんだ?考えるが焦ってはいない、不思議な感じだった。
終盤に差し掛かった時、頭に稲妻が走った。

「エンドロールで会場を出ろ!」

時間を気にしながらそそくさと用意をする。タイミング的に完璧だったと思う。エンドロールが流れ始めたと同時に席を立つ。
「すいません、エンドロールで出ます」
2席だけ前を通って通路に出なければいけなかった。でも、その通路にも座って映画を見ているお客様がいた。
「すいません、すいません」
と言いながら横をすり抜けた。
会場を出ると数人がシンポジウム会場に駆け上がる。もし、エンドロールを待たずに、シンポジウムの席を確保している人がいたらどうしよう。シンポジウム参加代金を払い、会場に入場してそれが杞憂だったと悟る。1番前の席を確保できた。それも5月のブルーバードの席とほぼ同じ位置。ハッと顔をあげると、目の前に森田真帆さんがいた。
「森田さん、早いですね。エンドロール流れる前から会場出たんですか?」
驚いて聞くと
「違う、違う、スタッフとしてここの準備」
と答えマイクの準備をしていた。
「この後、森田さんが司会するんですか?」
と聞いてみたら、違うとのこと。
だが、マイクの準備をしている所を見ると、何かしら今回のシンポジウムに関わるのは確かだろう。5月のブルーバードの舞台挨拶と同じ感じがした。
説明できないが、絶対質問できる気がした。
Beppuブルーバード映画祭で、特撮映画を上映する告知があったので森田さんに尋ねてみる。どうやら丸1日、特撮に特化した上映を行うようで
「楽しみにしてます」
と声をかけ席へと戻った。

会場内の人はまだ疎ら。会場入口できっと凄い人の波が押し寄せているに違いない。段々、会場に人が入ってきた。恐らく全員は座れないだろう。
上映の時も全日パスを持った人が席がなく上映館をグルグル回っているのを見た。少しでも遅れれば、全日組さえ立ち見になってしまうくらいの盛況。
改めて、エンドロールで会場を後にした判断に自分で驚く。


『止められるか、俺たちを』 シンポジウム

監督と出演者が座る位置から最前列はかなり近い。上映会場の舞台もかなり近かったがそれ以上だ。司会をする年配の男性の方が、用意された長机の端に座る。程なくして白石和彌監督、井浦新、山本浩司、荒井晴彦の順で着席。シャッターを切る音、スマホの撮影音が響いた。

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司会の方から
「撮影はシンポジウムが始まる前にお願いします。始まったらご遠慮ください」
との声が聞こえると、更に激しく会場中撮影音が響き渡る。撮影しながら、井浦新との距離の近さに正直驚く。普通のスマホで撮影してるのに、軽くズームするだけでいい具合に撮れた。
撮影が許された時間は長くはなかった。4名が着席して暫くして、司会の方がシンポジウムを開始した。まずは司会の方が説明、質問する形式で行われる。若松監督と湯布院映画祭についてや、『止められるか、俺たちを』の時代の話、ちょっとした質問を投げかけたり…… 終始、荒井さんが怖かった。
ひと段落すると、司会の方から参加者の質問を受け付けますとの声。ただ、質問は短めにお願いしますとのことだった。すかさず手を上げたが、指名はされず。質問に答える白石監督、井浦新、山本浩司を横に、荒井さんが、うつむきがちで、飲み物をやるせなく飲みながら終始怖かった。

司会の方が1番後ろの女性を指名する。
「私は演劇をやっているんですけど、自分の殻を破れてないと言われるんです。どうやったら破れますか」
という質問だった。山本さんは
「自分の殻は破る必要があるんですか?殻に絵を描いちゃダメですか?」
と答えてクスッとなった。山本さんは
「殻を破るとしても、周りの人に頼って助けてもらって下さい。意固地になって、ひとりで何とかしようとすると、更に自分の殻に籠もってしまいます」
という大喜利のような言い得て妙な回答だった。白石監督のひと声で、上手から座布団が運ばれてくる気さえした。
井浦新が同じ質問に答える。
「ほぼ山本さんと同じ意見です…」の出だしから丁寧に演技について語る。
いくら役作りをして、上手に演じても心が入ってなければ、その役は実在しなくなる。あっちの世界へ行ってしまう。演技をしているなら、あっちがどこか自分で分かるはず。あっちの世界の実在しない役をこっちに戻し、実在する役とするには、心で演じるしかない。みたいなことを言っていた、と思う。
正直、演技経験がないので、あっちがどっちか分からず、自分が聞こうとしていたことも演技についてなので、質問が被ったかなと少し動揺していた。井浦さんの回答をハッキリ覚えてなくてすいません。
ただ、役作りや、自分の殻を破るよりも、心で演じることの大切さを丁寧に話していたことは強く印象に残った。
司会者が、次の質問者を募る前に最前列から手が挙がった。司会者が苦笑する。ラスボスクラスのゼーレの老人が、指名されてないのに立ち上がる。手強そうだ。司会者が
「質問は短く1分以内にお願いしますよ」
と念を押している。かなりの常連のオッチャンらしい。

立ち上がった滋賀県から来たオッチャンは、朗々と詠うように語る。
「湯布院映画祭で、こんだけ人が入ったのを見たことが無い。井浦さんいう人を見に集まったと聞いた。後ろのお嬢ちゃんみたいな小さい娘が、井浦さんに会いたくて来たそうや。後でサインしてあげてや」
と井浦新を持ち上げる。
その後に痛烈な映画批判が吹き出した。
若松監督を映画にするなら、内輪が作るべきやない。仮に内輪が撮るにしても脚本は荒井さんがやるべき。若松監督の映画を撮るなら全編白黒にすべき。新宿撮るならもっと旧き良き場所を選ぶべき。等々、監督以下、苦笑いするしかない。
オッチャンが捲し立てている間、正直焦った。このペースで演説されると、恐らく質問できる人は残り1人~2人かなと考える。あれだけ、今日質問できると信じていた気持ちがスッと消えた。しぼむとか、残念に思うとかじゃなくて本当に消えた。縁が無かったなって感じだった。

結構、オッチャンが捲し立てて、それに対して白石監督が困り顔ながら丁寧に答えて、ちょっと落ち着いたところを見計らって、司会者が質問者を募る。惰性で手を挙げていた。質問してやろうとか、心の準備もないまま、何となく手を挙げている状態だった。司会者と目が合う。司会者から
「じゃ、ハイ」
と指名された。
そこで初めて我に返ったが焦りは無かった。質問用のマイクを森田さんが持って来てくれた。5月の『二十六夜待ち』の時を再現するようだった。森田さんから受け取ったマイクで質問をする。質問は映画を見て固まっていた。『アンナチュラル』の中堂系、『健康で文化的な最低限度の生活』の半田、
『止められるか、俺たちを』の若松孝二監督、どれひとつとして同じ口調、同じ声のトーンの役はない。役者でこれほどまでに、声を使って役を演じ分ける人も珍しい。どういう意識をしてそうなったのか。それが知りたかった。
監督や山本さん、荒井さんには悪いなぁと思いながらも、知りたいんだからしょうがない。質問をぶつける。
「井浦新さんに質問です。最近の役者の中では珍しいと思うのですが、井浦さんは演じる役で、声の口調からトーンから変わりますが、いつ意識し始めたのでしょうか?」
今までトツトツとだが、淀みなく質問に答えていた井浦新が、マイクを斜めに持ったまま3秒沈黙した。そして、マイクに乗るか乗らないかくらいの声で
「変わって…る…かなぁ?」
と言って自分の耳を疑った。

余りの衝撃で、ここから先の井浦新の回答は詳細には覚えていない。井浦新の沈黙の長さに、白石監督が助け舟を出す。
「撮影の初日に、新くん最初のセリフ言って、『よし、これで行ける』って言ってたよ」
監督の返答に対しても、井浦新はどこか懐疑的な感じで、まだハッキリとした思いを言葉に出せない感じだった。最初、手探りで言葉を探し、思いを伝えようとしているようだった井浦新が、少しづつ役について話し始めた。この時の話しが、その前の質問『殻を破りたい』人の回答と重なる部分があったので、もしかしたら自分で勝手に補完しているかもしれない。その時はゴメンナサイ。

役作りをして現場に向かっても上手く演じられるとも言えないし、準備が役立つともいえない。(この辺がホント曖昧で、記憶に残ってない。たぶん上手く言語化できない思いをイメージとか印象とかで受け取った感じしか残ってない)とにかくその人になる為に心を絞るしかない。
若松孝二監督からも、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』撮影時に、
「おまえが、三島由紀夫になれる訳がないんだから、その当時に生きた男の心を自分なりに見せるしかないんだよ」
みたいなことを言われたそうだ。
監督から求められたものを、脚本にあるその人物を、心で演じる。これに尽きると受け取った。

インタビューで受け応えする時と同じ穏やかで、落ち着いた受け応えをしていたが、急にトーンが変わった。
「だいたい付け焼き刃の演技でどんだけ怒られたことか!」
初めて井浦新の感情がこもった、言葉を聞いた気がした。いつも考えながら、誠実に質問に答える姿しか見たことが無かったが、井浦新の素の感情がその言葉に乗っていると感じ、戦慄した。この人は現場で、何回限界まで追い込まれたのだろう。何回、自分の限界を感じ、打ちひしがれたのだろう。
普通の職場でも、仕事が上手く出来なかったり、こなせないと居たたまれなくなるし、自己否定感で前へ進めなくなる。だが、撮影現場で「出来ない」というのは、その比ではないだろう。そんなギリギリの状態で、毎回全力で心で演じた結果が、中堂系であり、半田なんだろう。自分という器を使って、違う人を演じる。だが、使うのは自分の身体だからどうやったって自分が出る。その、心を絞って出した自分の結果が演じている役になっている。
ような事を言った気がする。

その時、自分のイメージにあったのはジャズセッションだった。監督の求めるフレーズを心を絞って音(演技)にする。ただ、普通の役者だったら求められる音に対して、使用する楽器は1つだが、井浦新は何でも使う。
「クソがっ!」
と悪態をつく中堂は歪んだバップ系の旋律のテナーサックス。
温和で仕事熱心な半田は、優しく奏でるフルート。
『止められるか、俺たちを』で演じた若松監督は、スキャットっぽいトーキングトランペット。
選ぶ楽器によって、その演ずる役の声が変わるが、演奏するのは、井浦新であることに変わりない。本人は選んだ楽器の違いは差ほど感じてなく、求められたフレーズを全力で絞り出す。結局、目の前にあることに全力で取り組む以外に方法はない。役者の力も、脚本の力も、成功するひとつの要因かもしれないけど、役者の脚本の監督の演出の心を絞って、本気で取り組んだ結果が人を震わせる作品になるんだ。一生懸命、質問に答えてくれている井浦新を見て、そう思った。

井浦新が、質問に答えている最中に、静かに腰を屈めながら、森田さんが近づいてくる。ひとりを挟んで通路にしゃがみ、目配せで
「マイクいいですか?」
と尋ねられた。もう十分だった。自分の知りたかった、井浦新の演技の核心は凄く当たり前のこと。当たり前でとても大切なこと。マイクを森田さんに返しながら、別府ブルーバード劇場での『二十六夜待ち』の質問をする時に渡されたマイクをずっと持っていたような気がした。井浦新の演技の核心、
「『アンナチュラル』の中堂系の演技に魅せられた理由を知りたい」
と思って手にした見えないマイクを、今返すのかなって感じた。
マイクを返した後も井浦新は一生懸命答えてくれていた。
最後、
「演技について、こんなに見てくれて嬉しいです」
と言われ、
「もしかしたら、ブルーバードで質問したことも覚えてくれてたのかな?」
と思った。マイクがないので、地声で
「ありがとうございました」
と言って頭を下げた。

質問はその後、もうひとりで締め切られた。質問した後は、あまり覚えていない。あっという間だった。受け取った、ようやく辿り着いたって手応えは残った。




帰途

シンポジウムが終わり、皆会場を後にする。1番前の席なので、出るのは最後の方になる。会場を出て歩道に目が行った。長崎から参戦していた女性が立っていた。実は彼女は、上映中隣に座っていた。エンドロールで会場を出ると閃き、
「エンドロールで出ます」
って告げ、前を通って会場を出た。何か出し抜いたようで後ろめたくなり近づきながら
「スイマセン、エンドロールで会場出るって閃いて…」
「いいんですよ。ちゃんと質問してましたね」
入場待ちで隣になった時、
「井浦新に質問するためにシンポジウムに参加したい。上映時は、前の席に座って、会場移動してシンポジウムも良い席が取れるといいな」
とか話してた。話ながら目線を道路に向けると、井浦新が向かいのコンビニへと入っていく。その後ろを、滋賀県から来た常連のオッチャンが言ってた
『お嬢ちゃんみたいな小さい娘』が友達と一緒に追いかけて行っていた。
「行かなくていいんですか?」
と長崎から来た女性に聞く。
「いいんです。シンポジウムの会場で握手してもらいましたから」
と答えた。
「そっちこそいいんですか?」
と顔を向けて尋ねられた。コンビニのドリップコーヒーを買っているであろう井浦新を見ながら
「なんかプライベートの芸能人は近づき難くて…」
舞台挨拶やシンポジウムより、井浦新を遠くに感じた。それに、彼からはもう答えを貰った。
井浦新のこれからの演じる役や、作品から受け取れるもので十分だと思った。それに、別府のブルーバードでの舞台挨拶、湯布院映画祭のシンポジウム、井浦新を近くで見たい、質問したいと思って、遠くから来ていた人も沢山いただろう。そういう人を差し置いて、自分は質問した。自分よりもっと質問したい、前で見たいと思ってた人がいたかもしれない。そんな人を押しのけて質問したんじやないかなと、彼女と話しながら、ふと思った。

「一生に一度かもしれませんよ?」
とコンビニで買い物をする井浦新へと促すと、
「そうですね…」
と答えて少し躊躇ってるようだった。
「明日、仕事なんで帰りますね」
と言ってその場を後にした。その時、漠然とだが、今回のことは何か形に残そうと思った。少しでも自分が感じたこと、井浦新に質問したかった人、映画祭に参加したかった人に伝えられないかなって。


こんなに長くなるとは思わなかったけど。


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