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たろうさん。

ずっと昔、当時竹書房で私の担当編集だった金ポン(今や編集長)が
「須田さん、今度セットしましょうよ」
と誘ってきた。

もちろんいいよ、と答えて当日金ポンが連れてきたのが、
福地誠さんと、当時私たち競技麻雀プロが憧れの存在だった、鈴木たろう選手だった。

セットは私がぼこぼこに負けて、(金ポン、こんな強い人たち呼ぶなよ・・・)と内心思っていたのだが、
麻雀の内容はそれなりだったのか、たろうさんに名前を覚えてもらえたようだった。

それからたろうさんは日本プロ麻雀協会に入り、すぐにAリーグで一緒に戦うようになった。

私は第9期の雀王決定戦に進出し、最終戦のオーラスまで僅差で雀王の位置だった。
たろうさんは、2.1pをオーラスで詰めれば良し。

15巡目にたろうさんがリーチをして、一発で「ロン」と脇から言った瞬間に、私は天を仰いだ。

この9期で雀王を逃して以来、私は決定戦に残っていない。


それからずっと、たろうさんは協会を牽引し、協会といえば「たろうさんがいる団体」と認識されるようになった。

私はたろうさんに負けた、という感覚は当時からそれほど思っていなくて、
麻雀を見たり、考えを聞いたりするだけで、本当に勉強になることばかりだった。

余談ではあるが、拙著「東大を出たけれど」の中で、「ドラは端っこに寄せろ」というエピソードを書いているのだが、これはたろうさんに教わった戦術だった。

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たろうさんがふと私につぶやいたことを、話に入れようと思ったのだ。


多くの方がご存知のように、本日たろうさんは日本プロ麻雀協会を退会してしまった。

私たちにとっても青天の霹靂で、正直全く気持ちを整理できないでいる。

ずっとたろうさんは、考えていたのかもしれない。
Mリーガーにもなったたろうさんは、協会だけが居場所ではない。

A1を降級してしまったこともある程度のきっかけかもしれない。
今期は本当に何もできない局面が多く、あのたろうさんをもってしても、どうにもならないことがあると、麻雀の厳しさを痛感した。負けてなお、私たちは教わるものがあった。

同じA1の選手たちも、本当は複雑な心境だったはずだ。

今、こんなことになってしまうのなら。

「自分が降級した方がよかったのか」

と、思ってはいけない、思うわけがないことも思ってしまう。それくらい大きな存在だった。


たろうさんの方は、私のことなどそんなに覚えていないかもしれない。

しかし、私の方には、いや他の協会員みんなには、多くの感謝すべき思い出があるはずだ。


私が店長をやっていた店で、毎週遊んでくれたこと。

「麻雀の待ちの数字」を入力すると、その待ちの形を全部出すプログラムを作ってくれたこと。

麻雀プロ団体対抗運動会で、スライディングゴールしてくれたこと。

当時まだ協会の実力が他団体に劣ると思われていた頃に、「いや。協会の選手は強いよ」と言ってくれたこと。

「ダースーも一流だよ。スタイルは損だけど」と飲み会の席で言ってくれたこと。

本当はいつまでもたろうさんばかりに頼っていられない。協会もたろうさんの門出を祝うべきなんだ・・・と頭では思ってはいても、これまでのことがどんどん溢れてきて、いいおっさんが泣いてしまった。

同じように寂しいはずなのに、すぐにこういうコメントをできる圭くんはすごいと思う。

もうこれからずっと、たろうさんとリーグ戦をやることもないしその後飲みに行けることもないし、Mリーグを見て協会のたろうさんだって、思えることもない。

その未来を私たち誰もがわかるのに。

俺も大人になるわ。

悲しいし、寂しいし、悔しいなぁって。

思わないし、書かないようにしないとね。

いつまでも鈴木たろうさんは協会だけじゃなく、みんなの目標です。

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