見出し画像

燕雀の志01

 2018年4月1日、桜の舞う神楽坂を、3年ぶりに私は登っていた。日本プロ麻雀協会第17期のAリーグ対局会場、「ばかんす」を目指していた。
 私のことを簡単に紹介させていただく。私は協会には第1期入会、第4期よりAリーグに在籍、第5期に協会最高タイトルである雀王を獲得している。
 しかし、それから目立ったタイトルに恵まれることはなく、13期のAリーグで降級、以後3年間B1リーグを戦っていた。
 普段は雀荘のゲストをしたり、麻雀関連のコラムや漫画原作を書いたりして糊口を凌いでいる。結婚して一人娘もいるが、一般に名の知れた有名な麻雀プロのような活躍をしているわけではない。
 昨今はテレビやインターネットで対局が配信されることも多いので、麻雀プロといえば何人か顔と名前が浮かぶ方も多いだろう。しかし、自分を含め多くの競技麻雀プロという存在は、実質のところただの競技麻雀愛好家である。一般の方が内容を知ることもない、内輪だけの静かな対局を、我々はひっそりと行っているのである。
 このコラムでは、そんないわゆる中堅プロの、人知れぬ戦いを記していこうと思う。

 Aリーグ復帰の初戦、私は起家スタートだった。ドラ※⑤が暗刻になり、重ねた※白を叩いての※2※5待ち。しかし、全く放たれないまま流局。
※①②③⑤⑤⑤3488 ポン白白白 ドラ⑤
 面子はやはり固く、私はAリーグ独特の空気に喜びさえ感じていた。
 進んで東2局、北家の私は序盤に
※六六225679西西北白白 ドラ五
この形。ソーズが河に安く、※4が2枚飛び、場に2枚目の※7を上家が切る。ドラが※五だが染めに走ってみよう。
 私はどちらかと言えばフーロが多いタイプである。場況に合わせて動いて、主導権を取ることを好む。この手が
※123789西西白白 チー756 ドラ五
となって、※白での3900出アガリ。復帰後の初アガリに感触を得た。戦える。
 そこからもアガリを重ね、ダントツ目の南家で迎えたオーラスも、
※⑤⑥11223579北中中
ここから※中と※2を北家から序盤に続けてポン。
※⑤⑥11579 ポン222 ポン中中中
 中盤、親からリーチが入った一発目に、リャンカンを埋めるツモ※8。
 親は第1打が※9、次巡私の※2ポン直後に※3を切っている。※5※8は無いとは言えないが、初手から※9なら上目の可能性も薄い。
 私は※5を切り飛ばし、すぐに親から※⑦でアガった。
 初戦トップ。この日はその後2、1、3着となり、139.2p(2位)の好成績であった。

 協会のAリーグを戦うということは、上位3位以内に入れば、雀王決定戦への出場権を得られるわけである。現雀王は金太賢選手で、彼は初めて雀王決定戦に出たときから、7年かかって雀王になった。昨年は雀王になってその枠で最強戦にも出場し、見事優勝して雀王と最強位の2冠を達成している。
 Aリーグに参加している以上は、誰しもそんなメジャー選手への道が可能性としてはある。
 しかし、自分の麻雀の対価として華々しい評価や名声を求めてプロでいる者はそう多くはない。競技麻雀が好きで、我々は日々目の前の坂を歩み進めているに過ぎない。対局会場に臨む、神楽坂を登るように。

 ばかんすでの対局は、通常11時からである。私は3年前もそうしていたように、少し早めの10時半に会場を訪れた。5階に着いてエレベーターが開いて、昔のままの光景が広がった。まだ選手は誰も来ておらず、立会人だけが対局の準備をしていた。
 その瞬間――。突然涙がこみ上げたのである。全く、おかしなものだ。
 親しい人が亡くなったとき、娘が初めて自転車に乗れたとき、いい年をした大の大人の自分が泣いた記憶といえばそれくらいだ。
 それが、何かタイトル戦で優勝したわけでもない、ただAリーグの会場に戻ってきたというだけで、感極まってしまったのである。
 Aリーグを降級したときも、B1で惜しくも昇級できなかったときも、ようやく3年目にしてB1を勝ち上がって昇級を決めたときも、そこまで心を揺さぶられるような感覚はなかった。自分の打った麻雀の結果に対し、そう感傷的になるような性分ではない。それなのに、3年前の戦場に、かつて10年間いた場所に帰ってこれたことに、懐かしさを堪え切れなくなってしまったのである。
 選手たちが揃い、知る仲と他愛もない会話をした。誰かが「おかえり」と言った。「ただいま――」私は、3年越しの言葉をようやく告げて、またここで大好きな競技麻雀が打てる喜びを噛みしめたのである。

ここから先は

1字
全26話を、まとめて1000円で読めるようにしています。漫画「東大を出たけれどovertime」の元ネタもいくつかあります。

麻雀業界専門誌「麻雀界」にて連載中コラム 「燕雀の志」バックナンバーです。 「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉がありますが、 小さ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?