5/18

 今週はしばらく雨続きで、嫌だ。困る。部屋干しで家は臭いし、まるで蜂蜜でも塗りたくったのかと思えるほど湿気が肌にべたついてきて暑くもないのに汗が出る。しかもその上、身体がだるくてやる気も出ないし何なら頭痛もオマケについてくる。不快感の欲張りセット。やってられない。
 仕事中1時間おきにずつーる(その日の気圧図と、ユーザーが今の体調を記録して、みんなが気圧に影響を受けているかどうかが見られるもの)を見て、「おいおい本当はみんなもっと体調が悪いだろ、本気出せよ」と思ったりした。
 こういう時、動物は無理をしないで、動き回ることもせずにじっとやり過ごすし、きっと定住生活を始める前の人間だって同じことをしていただろうと、ぼんやり大昔の世界に思いを馳せる。なんか、人間って進化して文明を発展させてきたことで、不幸にばかりなってやしないか。これなら動物のままで(いや人間も動物なんだけどさ)良かったんじゃないか。とか無意味に主語の大きな苦しみについてまで考えるようになってしまう。低気圧のせいで。
 けれども、こうした不幸への陶酔には注意が必要で、不幸というものは厄介なことに、幸福な瞬間よりも目につきやすい。記憶に残りやすい。だから一度、不幸な気持ちになると、これまでの自分の歴史とか感情とか全ての記憶が苦しみに塗りつぶされてしまうような感覚になることはままある。でも正確には「これまでずっと苦しかったよな」ではなく、一時的に苦しい瞬間ばかりを見返して、より深い苦しみに沈んでいこうとしているのだ。
 これに対して、人生そんな苦しいことばっかりじゃないよ。生きてりゃハッピー。みたいなことも能天気に言えるけど、それはまああくまで私がこれまで幸せに生きていきたからそんな楽観的に物事を考えられるだけであって、もちろんずっとずっと苦しい思いをし続けてきた人たちもいるわけで。

 うーん、なんかいつもだったら、人生生きてりゃどうにでもなるんじゃね?みたいな気持ちで終わるはずが、結局複雑な気持ちになって終わってしまった。別に私は私で幸せに生きてきたのだから、そこを卑下する必要はさらさらないのにね。そんなことしたって何の意味もない。これも低気圧のせいだろうな。

 今日晩ご飯食べに入ったサイゼリヤでラム肉のステーキ頼んだら、ステーキを持ってきてくれたパートのおばちゃんが「これレモンと辛いソースかけると美味しいわよ」と教えてくれたので、調味料置き場(粉チーズとか唐辛子フレークとかが置いてあるとこ)で探したところ、辛いソースは見つけられたもののレモンが見つけられずに困っていたら、後ろからさっきのおばちゃんが「レモンはこっちだよ」と言ってドリンクバーからアイスティー用のレモンのやつを持ってきてくれて、それを食べ物に使うとは考えたこともなかったので、なるほどと妙に感心した。肝心の味も割と良かった。辛いソースにはリンゴ酢かなんかが入っていて、フルーティーな酸味がラム独特の脂の匂いをそれなりに消して爽やかにしてくれるので、最後までくどくならずに食べることができた。肉食ってるって感じは残るし。ただ少し塩味が薄い気がするので、そこはステーキについてくる塩とかスパイスをつけて調整するって感じです。
 サイゼリヤって1,500円もあれば贅沢できるし、こうやって新たな知恵を授けてくれる人もいるので、最高の場所だと思いました。

終わり。 低気圧とはいつか決着つける。覚えとけよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?