上村悦子

フリーライター。介護、子ども、女性の問題などを取材し女性誌などに寄稿。著書に『まるちゃ…

上村悦子

フリーライター。介護、子ども、女性の問題などを取材し女性誌などに寄稿。著書に『まるちゃんの老いよボチボチかかってこい!』(クリエイツかもがわ)、『あなたが介護で後悔する35のこと』(講談社)、『家族が選んだ平穏死』など。

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  • しょうわな日々

    これまでの苦笑い人生を振り返り、たくましく生きる力や指針をもらった日々のあれやこれやを綴ります。

最近の記事

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 3月とはいえ、まだ肌寒い風が吹く日、京都東山の「五社の滝神社」に向かった。  東福寺の東側に、民家に埋もれるようにある小さな神社だ。今はパワースポットともいわれているようだが、興味本位でいくような場所ではないらしい。伏見稲荷のお滝行場の一つで、観光とは一線を画す場所だ。  古い石鳥居をくぐると、その先には小さな石鳥居や石灯篭が重なるように並んでいる。境内下に流れる川の音をたどるように、危うげな狭い石階段を降りていくと、姿をあらわすのが五社の滝である。  足元は古い岩場に

    • 母のらっきょう漬け

       「ポツンと一軒家」というテレビ番組がある。 番組で紹介されるのは、ディレクターらしき人が人里離れた山の奥に入り、さらに奥に続く細い一本道を車で走って走って、それでも道に迷いながら、ようやく辿り着くような山奥の一軒家だ。 そこまではいかないものの、母方の実家はそんな場所にあった。私の実家も、岡山県南西部にある田舎町だが、そこからさらに北部に向かってバスで40分。今、人気のお笑いコンビ「千鳥」のノブさんの実家もこの近辺らしいが、さらに奥へ。バスから降りて山道に入り、40分余り歩

      • 大阪のおばちゃん

         なぜか時々微笑ましく思い出してしまうのが、以前、北海道新聞で約2年連載した「大阪おばちゃんが行く」というコラムエッセイだ。これは大阪のおばちゃんの暮らしの機微を延べ100パターンほど描いたもの。  よく言われる、ど厚かましくて派手好きな強烈的大阪のおばちゃんではなく、親しみやすくて人情に厚く、合理的でおしゃべりな上に世話好きで、愛想よしの反骨精神旺盛なおばちゃんたちを登場させた。  私自身が初めて「おばちゃん」と呼ばれたのは、8歳年上の姉に長女が生まれて、しゃべり出した時

        • 忘れられない看板

           旅に出で見知らぬ小さな町を歩くとき、いろいろな看板を見る楽しみがある。 アートフルな案内板もあれば、ゆるキャラのほっこりタイプや、おしゃれな横文字、案内の文章を長々と書いたものもあって、「クスッ」とひとり笑いするのも楽しい。また、京都など歴史ある老舗が並ぶ軒先に大きな木製の数珠がかかっていて、「あー、数珠屋さんなんや!」と商品そのものの形を見せる実物看板を探すのも面白いものだ。  海外での店探しでも、重宝するのが看板だ。クロワッサンの看板が目印のパン屋さん、白い泡がこぼれ

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        • しょうわな日々
          8本

        記事

          父の食器棚

           父が逝ってもう30年あまり、母が逝って20数年になる。  父も母もずいぶん遠い昔の存在になりつつある今、自分自身が高齢者となって、ことあるごとに思い出すのが幼い頃の父と母の姿である。  時折蘇るのは、大きな材木を軽々と片手で持ち、半ズボンの仕事着姿で笑っている若い父の姿だ。「お父さんも若かったなあ……」と。  建具店を営んでいた我が家は、店と住まいの間に作業所があって、いつも木材を切る機械の音や金槌を打つ音などが、BGMのように住まいの方に聞こえていた。 父や7~8人の職人

          父の食器棚

          「書く」仕事

           その日、私は新大阪駅の人ごみの中で立ち尽くしてしまった。  下の娘が幼稚園に入園したのを機に、またコピーライターの仕事に復帰しようと、あれこれ模索し、新聞の求人で見つけた会社を初めて訪問する時のことだ。  それまでも出産前まで勤務していたデザイン会社から仕事の依頼があれば、子育ての傍ら少しずつこなしてはいたのだが、その日はフリーランスとして意気揚々と再スタートする晴れ晴れしい日だった。たとえ数時間でもビジネス社会に復帰するのだと、ファッションもほんの少しだがオフィスレディ

          「書く」仕事

          島めぐり

           夏の日差しを感じ始めると海の匂いが恋しくなる。 海水浴と美味しいものを求めて、これまでいくつの島を訪れたことだろう。  岡山県南西部生まれの私は、幼い頃から夏になると両親に連れられ、北木島や白石島、鞆の浦の仙酔島などの島に海水浴や船釣りに出かけた。  大阪で結婚して2人の娘が生まれてからも、淡路島や小豆島はもちろんのこと、鳥羽の答志島や瀬戸内の鹿久居島、男鹿島、生口島等など、小さな島を訪れては穏やかな時間の流れと人の温かさに癒され、緩やかな海とその土地ならではの料理やお酒を

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          まな板の上の鯉

           ある日、知り合いから届け物があった。クール便ということもあり、もしかしてのい思いがあったが、案の定「魚」だった。  もうずいぶん前の話だが、結婚当初、もっとも苦手だったのが魚の調理である。というより恐くて仕方がなかった。  あの魚の目がいけない。こちらは視線を無理にでもそらすのだが、魚のほうは凝視しているようで、つい見ててしまうのだ。それも生きている魚ならともかく、死んでしまって動かない目玉というのは、何も見ていないはずなのに妙な力強さがある。少しでも包丁を入れると、死ん

          まな板の上の鯉

          母から娘へ。「こうしてほしい 」介護ノート  『母のトリセツ』

          どこの家庭でも突然始まるといわれる介護。 もし自分に介護が必要になった時、 言いかえれば、自分を自分で管理できなくなった時、 2人の娘たちはどう接してくれるのだろう……。 娘なら母の短所までよ〜く知っているだろうけれど、 このワタクシ、きっと取扱い要注意人物。一筋縄ではいかないはず。 そういう時、娘たちが困らないように、 「母はこう思うのよ」 「できたら、こうやってほしいねん」という思いを、 伝えておきたい。 そして、これまで多くの介護関係者に取材して得た情報もプラスして。

          母から娘へ。「こうしてほしい 」介護ノート  『母のトリセツ』