『日本から捨てられた土地で生まれて』と私と重課金組との距離

自分のことのような気持ちで読んだ。
何より共感したのは、地方と都会をまたいで似たルートを辿った者同士の微妙な悔しさ、寂しさと居場所の無さ。

『日本から捨てられた土地で生まれて』
https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

おそらく同じ北日本の違う地域で、この方は高校まで2時間以上、私は乗り換えによるけど約1時間半くらい。
色んな面でその30分ちょっとのぶんだけ、私の方が近かった。そして東大には行ったけど、商社の意味は知らなかった。商社の意味がちゃんとわかったのは卒業してからだったと思う。

その30分のぶんをイメージする。
コンビニは私が高校の頃に近くにできた。
小さいながら町に本屋とレンタル店はあった。インターネットはまだ無いも同然だった。
その地域でその当時では珍しく両親とも四大卒だった。
塾に行かなかった分か、参考書は買ってもらえたし、大学に行くのに奨学金を借りなくても済んだ。(これは30分ではなく1時間以上違う。)
そして東大に行った最大のきっかけは、高一の担任が「志望校、東大でいいだろう」と言ったのを、そのままにしておいたからで、家族や親族からそういう重圧はなかった。難関大の合格者を見てきた教員のいる高校に行けたということだと思う。

そうすると、都会や重課金組との距離も浮かんでくる。
高校まで公立、家の方針として全ての進学先は基本的に国公立のみで、中学受験はしてみたかったけれど家族が反対した。
Z会の通信添削は受けたけれど、学習塾には通わなかった。実は高校の同級生で通っていた人はいたが、最近までその事実も高校から遠く無い所に塾があったこともロクに知らなかった。
入学してみたら、本当に官僚や弁護士を目指している人、そのために入学後すぐにスクールを始めている人、何よりいわゆる中高一貫校出身者が多くてびっくりした。天才もいるけれど、思ったより全然いない。
多くの東大の同級生たちは高校のイベントは2年生で終わりで、授業も一般の高校よりずっと早く進み、高校3年は受験に専念していたことも知った。

だからこの人にせめて欲しい参考書全部さえあったら、そして進路指導の仕方も違っていたら、確かに東大にも行けたんじゃ無いかと思う。私より30分田舎の友達もいたから、余計に想像がつく。
私は漢字は一度見ただけでは覚えられないが、活字中毒だったので学校で習う前に見たことのある漢字や語彙が多かった。
そんなこんなで田舎の公立小中学校だと浮いていたので、その光景や実感はすごくわかる。「X Xちゃんは今日の朝のこと『今朝』っていうんだね。違うね〜。」みたいなからかいを日常的に受けるので、本当にめんどくさかった。早くそこから出たかったのは事実だ。

ただ、私の場合は小学生の頃から塾漬けにされていたら、逆に潰れていたのでは無いかと思う。
同時に、東大がお金持ち学校化する以前の、地方から来る学生は私のような感じだったんじゃ無いか、とも。今もそういうタイプと仲良くなりやすい。
東大の教育も、東大に行くための教育も良いものだとは決して思わないけれど、せめてこのブログの人のような層が日本のどこにいても適切なサポートが受けられる教育システムであったら、それだけで日本はいくらか変わるはず。
少なくともこの元増田さんは、地方のリアルも都会のリアルもわかる人、両方に一応知り合いがいるという、今や減り続けているタイプの貴重な人材だ。

冒頭で悔しさ、寂しさと居場所の無さと書いたけれど、こういう境界を超えていく人を宇宙人のような目で見て「嘘松認定」なんて、ほんと寂しい人たち、世間だよ。

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