カミュ『ペスト』ー神が死んだ時代のコロナを日本人が生きるために

カミュの『ペスト』読了。
なんだか拍子抜けしてしまった。
神が死に切っていない頃の清潔な古典的文体が、一つのなんでもない南の乾いた市の有機的な悲喜交々が、今私が見ているものから私を逸らして穏やかにさせた。
勝手に、疫病による阿鼻叫喚の地獄絵図だけを想像していたからだろうか。
今私が見ているのは、当時の彼らも21世紀初頭の先進国も見たらひっくり返るような後進的な機能不全、発狂しているとしか言いようがない事態なので。
かつて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』とまで言わしめた国が、自国のリソースを不適切に使用して未曾有の事態に陥ろうとしている。

ちなみに、申し訳ないけれど、フランス文学をまともに読んだことがない。フランス語で読んだらきっと違う『ペスト』が待っている。それでも作品の構造として著者が示したものからも、彼我の距離を感じた。

2020年、もはや神はかなり死んでいる、一部の世界を除いて。19世紀末、ニーチェが「神は死んだ」という言葉を持ってニヒリズム的状況を指摘してから1世紀以上。どれほど宗教的熱狂が残っていても、世界の中の分量の小ささは1、2世紀前とは比べようにならない。
それでも新しい神を信じてきた世界は、政府や社会を、尊厳を持って運行しているように見える。新しい神は民主主義だったり、資本主義や共産主義だったりしてきたけれど、それを盲信しつつもそれで社会の屋台骨を意識的に維持してきた社会は、今まだ強い。ドイツ、シンガポール、中国、台湾、韓国。
そうでない社会は先進国の仮名があってもなくても、秩序のない後進国に変わりない。

『ペスト』の中のキリスト者たちや同世代の欧州人のように、一神教と二元論の中で、今だったら下手するとどうでもいいような葛藤が美しくもあった時代がある。
善悪をその場の立場に委ねずに、屹立した何かに相談できるのは、ある意味、頼もしい。
その意味では立場主義は酷く限定された小さな相対主義で、かつその相対的な立場構造の中では絶対的。その時に善悪や生き残るための相談できる何かが自分の中にも外にも残っていないと、自分の感覚について比べたり、見直したり、なんとなく並べたりできるいろんな生き方の友達がいないと、救いようがなくなることが分かる。

世界が何であるかを知ろうとし、科学的態度、論理的思考を根拠としつつ、お散歩に行ったりサボったりする時に拾ったり繋がったりするものも大事にする。
好きなことをしてスッキリした気持ちで、五感が働いているままで、自分が生きる社会の構造やルールを知り、何がおかしくて何が大丈夫なのかを知る。
そんな社会に、私は生きていようと思ったけど、私はそのものすごい隅っこにいたんだった。

その国では神は死んでいたか元からいなくて、大半の人はその中空を中空とも思わずに過ごして、死ねる。社会から取り除かれなかったハラスメントの連鎖と妙な相対主義もしくは冷笑主義、それぞれの立場の中での狭い私見、要はホームやファミレスにお葬式みたいな人の群れがぞろぞろしている。
幼稚園から小学生の頃、それがよくわからない何かとして感じられて、気持ち悪かったのを、最近思い出した。その気持ち悪さはずっと変わらず、20世紀に入って増大して、今や世界の人の知るところ。
私はそこに生きることに、その社会の隅っこに生きることに耐えられるほど強くなかったので、別の社会の境界線上へ逃げ出した。

PCR検査抑制、和牛券、アベノマスク二枚、緊急事態宣言の体をなさない緊急事態宣言、百貨店を自粛休業して官僚に怒られた百貨店、明日の食い扶持と住処がないのに助けてもらえない恐怖に怯える人々。休業補償がないのでマスクをして感染の恐怖に耐えながら出勤する人々。
それは機能不全に陥った政府と、狂ったのに正常なふりをしている人々。『ペスト』に出てくる一部の人々のように、堂々と狂ったり閉鎖された市内から脱出しようとする方がまだいい人生だ。
しかも緊急事態宣言下、次の国政選挙がいつ無事に行われ、投票で政権交代ができるか全くわからない。

お散歩に行く、日向ぼっこする、仕事をサボる、ひょっとしたらこのままコロナで死ぬかもしれないから昔の友達に連絡してみる。
生き残るためのまずの方法は意外にも、そういうことだと思う。社会が科学的態度すら失っている時に、なんとかするには。自分のための、自分の中や外にいてほしい隣人を取り戻すためには。コロナが来ても『ペスト』の中の人々のように人間らしく生きる。
私はそうやってして10年ほど月収が0から10万円ほどでも生き延びたから。まだ人間らしく生きているから。

これは政権交代を諦めて慎まやかに生きる方法を考えているわけでは全くない。ハンコを押すためにマスクをして満員電車に乗っているサラリーマンがそこから降りたら、そこからが革命だ。元から狂っていた上に、もう、そのまま乗っていたらそれなりの確率で不幸なまま死ぬんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?