個人年表 - 浪人時代まで

「生まれてから今まであったことを軽くまとめようと思うんだようね〜」と嫁に言うと、「mixi の日記を逆上って見るくらい恥ずかしくない?」とバッサリ切られた。しかし、改めて考えると昔の自分の投稿に対して恥ずかしいという気持ちにはならないため、私はそういう羞恥心が鈍感なのかもしれない。


まあというわけで個人ポートフォリオに載せる用の個人年表を軽く書こうと思う。誰得というわけでもなく、そういやこんなことあったなーという見返し用として。


保育園まで

1991年3月生まれ。ゆりやんレトリィバァと同じ学年。

保育園に渡されるのが嫌で、行きの車の中でずっと泣いていたことを覚えている。ポンキッキーズが大好きでずっと見ていたいと思っていたが、テレビの視聴時間を制限されていた関係か、あまり見せてもらえなかった気がする。


小学校

思い出すのは小学校4年生のころで、クラスから虐められていたこと。3, 4ヶ月くらいだったのかな、「汚い」とか「病気が移るから近寄らないで」とか言われるような典型的な虐めだった。良心のある子の教師への通報によりことは治まった。悲しかったはずだが不思議と当時の感情はよく覚えていない。

小学校6年生ころ、学年全体のキャンプが雨天により「学校に泊まろう」という企画に変わって体育館で雑魚寝したのだけど、枕にカメムシが留まってしまい一晩中あの強烈な異臭を嗅がされながら寝れなかったことを痛烈に覚えている。


中学校

1年生のとき、父の持っていたお古のノートPCが家に設置された。当時ヒカルの碁が流行っていて私もドハマリし、その流れでオンラインで囲碁が打てるサービスに行き着いてネットの沼にハマっていった。たしか囲碁キッズだったと記憶している。
また同級生の間でキノの旅・灼眼のシャナを始めとする文庫本ブームが加熱していて、例にもれず私もハマっていった。キノの旅を書いている時雨沢恵一氏の本はそれ以後も好きで、アリソン、リリアとトレイズ、メグとセロンなど各シリーズを揃えた。

ここらへんで父が会社を創立して介護保険施設を始めた。


2年のとき、ノートPCを一人で占領して誰にも譲らなかったことが功を奏したのか、私専用のノートPCが支給された。私はすぐ Winny などのP2Pファイル共有ソフトに手を出した。案の定ウィルスに感染してOSが壊れてしまい、クリーンインストールを何度もしたことを覚えている。
次にハマったのがネットゲームで、私はマビノギというMMORPGをプレイしていた。当時、我が家のネット回線はISDNで秒間10kBくらいの速度だったので、ネットゲームのインストーラーをダウンロードするのに 1,2日くらいかけてPCを付けっぱにしていた。そしてインストール後のパッチファイルダウンロードがあると気付いたときは衝撃的すぎて、いまだに覚えている。


3年のとき、たしかこのときくらいだったと思うけど、ひぐらしなく頃に、涼宮ハルヒの憂鬱、らきすたの視聴をきっかけにアニメにハマりだした。高校は何も考えず、田舎の進学校に進んだ。


高校

1〜2年生のころ、アコギを背負って高校に通学するというなんともアオハルなのか黒歴史なのか分からない高校時代を過ごす。ギターはBUMP OF CHICKENのスノースマイルを弾けるくらいまでしか成長しなかった。

そのくせ、当時は「将来はミュージシャンになる」と言っていた。担任の先生に「好きなものは趣味にしておけ。嫌いになるぞ」と諭されたことを覚えている。今となっては本当に好きなことだったら仕事にしたほうが良いと思うが、一方でミュージシャンは嫌なことから逃げるための口実だったと思うので進路を修正してくれた恩師に感謝している。


2年生に上がるころ、将来の進路を決めることができずに文系か理系か悩んでいた。なんとなくゲームを作る仕事を目指そうかと考えていたが、父から「社会福祉士は良いぞ」という自分の会社と縁ある職業を進められ、そのまま文系に行った。半年後に喫煙していたところを警察に補導されて停学したことがあり、そのときに2週間ほどの時間があったので改めて将来のことを考え、やっぱり理学療法士がいいかもと言うことで理転することにした。私の高校はクラス替えの概念がなかったため、クラスやカリキュラムは文系のものを受けつつ、夜は自習型の塾に通って理系科目を独学するという感じになった。

世界史の授業でソクラテスの「善く生きる」と「無知の知」という考え方を知り、当時中二病真っ盛りだった私は酷く感銘を受け、図書館でソクラテスの弁明やデカルトの方法序説を借りて読んだりした。結果、全然分からずに10ページも読んていない気がする。考え方自体はそれ以後も引きづられ、「人生とは」や「愛とは」など、それっぽいワードについて思いを巡らせる青春時代を過ごした。甘酸っぱい。


3年のときには友人の招待もあって生徒会に所属して短期の活動をしたり、夏の三者面談では「このままだと3浪コースです」とバッサリ言われたりとした。案の定第一志望の鹿児島大学は落ちて浪人することとなる。
当時ニコニコ動画が最盛期であり、高校2年生くらいからか忘れたけど私も自称ニコ厨で時間を水に流していた。初音ミク、ゲーム実況などを中心に見ていた。


浪人

遊んだ。もう本当に、両親に顔向けできないくらい遊んだ。お酒や麻雀、ゲームセンターもこの頃に覚えた。ゲーム実況動画を撮り、ニコニコ動画にアップロードなどもしていた。

勉強は11月の中旬くらいから焦りだし、それからはちゃんと勉強しだした。結果、第一志望の鹿児島大学に合格した。



長くなったので今日はここまで。明日以降で大学からの話も書いていこうと思う。

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