ムジャヒディン

-混沌の隙間に秩序がある-

古いファイルを整理していたら、26年前に書いた文章が出て来た。

クエッタという世界の果てみたいな街の国連難民高等弁務官事務所で働いていた時のことです。Associate Protection Officer というタイトルの新米で着任したら、すぐに現地では、Head of Legal Section というタイトルになってることに気がつきました。嵌められたのです。よくあることです。その日から四半世紀に渡る苦闘が始まるとはよもや知らず、パキスタン人、アフガン人、イラン人の三人の部下を与えられて、国連で初めての仕事を始めました。

当時、オフィスにコンピュータはなく、みんなソロバンとタイプライターを使っていた時代でした。というのはだいたい本当で、コンピュータはオフィス一つに付き1台くらいあったと思う。だいたい経理をやる人が使っていた。

ソロバンはなかったが、電卓は一人一台持っていた。そして、タイピストという花形職業がまだ健在でした。

まあ、そんなことは今から思えば、大した問題じゃない。一番重要なことは、

インターネットがなかった!


ということだと思う。フィールド・オフィスで入力した経理データや統計データをフロッピーディスクよりはるかにでかいディスクに保存して、それを本部に郵送していたのだ!

eメールって概念は誰の頭にもなかった。手紙が郵便で送られる、そういうのどかな時代がほんの26年前です。

そして、当たり前なのだが、スマホ依存の現代人にとって、さらに衝撃は、

携帯電話もなかった!


ということでしょう。じゃあ、お互いにどうやって連絡取り合ってたのか?糸電話の有効利用も当然検討したが、HF radio つまり、ウォーキートーキーという無線機を使うのです。

各自、それをズボンのベルトに差し込んで生活していました。就業時間が終わっても決まった時間にセキュリティ・オフィサーからコール・チェックが入るので常に携帯が義務付けられてます。もし、応答しなければ、異常事態発生ということで、捜索隊が派遣されたりして、面倒なことになります。

というわけで、僕は手書きで書いた作文のようなものをコピーして、時々、親とか友人に郵便で送っていました。それが『クエッタ・ニュース』というものです。

それからずーっと後のある時、全部タイプしてどこかに保存したはずなんですが、今、行方不明です。たまたま一つだけ出て来たので、アップすることにしました。

* * *

『The Quetta News』 No. 7, 31 May 1993 より

-混沌の隙間に秩序がある-

  クエッタにおける運転で、最も重要なことは『威嚇』である。
  威嚇なしでは前に進めない。冗談ではない。「アッ!危ない!」と思ったら、もう負けである。「アッ!危ない!」と思わせたら、前に進める。

  ド-ンとセンタ-ライン(そんなものどこにも無いんだけど、あるとして)をオ-バ-して対抗車線側に目一杯自分の車を露出させ、こっちに向かって疾走してくる対抗車に、こちらの覚悟と決意のほどを知らしめる。

  相手は、もちろんクラクション鳴らしまくり、フラッシュたきまくりの多忙しである。それでも敵もさるもの、なかなかスピ-ドを落したり、道を譲ったりなんてそぶりは決して見せない。

  というのは、度胸があるからではなく、そんなことしたら、彼はどんどん後の車に追い抜かれるだけだからだ。そして、僕にとっては、対抗する相手が変わるだけの話である。そう、彼はきっちり窮地に追い込まれる。後の車には追い抜かれたくない、しかし、前から来る車ともぶつかりたくない。どうだ、危ないだろ、えっ?えっ?

  彼に残された選択肢は、一つだけである。すなわち、僕とぶつかる瞬間までぎりぎりに我慢して、「ぶつかる!」という瞬間に少し道を譲るのである。そうして、後から抜かれることも、僕とぶつかることも避けることができる。僕は、センタ-ライン(あるとして)の真上あたりをそのまま疾走していくことができる。もちろん、かなり、ギリギリに接近してすれ違うはめになることもある。どのくらいギリギリかというと、すれ違った瞬間、ガゴンという音がして、ぶつかったかなと思ったら、ミラ-が無くなっていたということがある。

  なぜ、こんなことをしなければならないか。それは簡単である。僕がしなければ、相手がするからである。窮地に追い込まれてどぎまぎしながら運転するよりは、追い込んだ方がずっと楽で、しかも安全!なのである。状況を支配した方が、いつも選択肢が豊富で安全なのは、自然社会の一般原則である。

  しかし、そもそも、たかが車の運転でどうしてこんな陣取りゲ-ムのようなことをしなければいけないのか。それは交通ル-ルというものがないからである。ほんとに何にもないのだ。僕は最初のころ、いろんな人にここの道路交通法をおおざっぱでいいから教えてくれと頼んだ。しかし、みんな笑って、「そんなものない」とか「あるとしたらそれを破ることだ」なんて答えるだけで、誰もまじめに僕の質問を受け取らなかった。

  で、僕は「常識」にしたがって運転することにした。結果は、悲惨であった。マナ-の良い運転は良い餌食であったのだ。威嚇されまくり、窮地に追い込まれ、その度に危険を脱出するのに忙しく、とても普通の精神状態で出勤もできず、僕は運転する度に怒りまくっていた。こいつら、みんな気違いか!と。

  ムチャクチャなのだ。推定人口100万以上という都市に信号が二つしかない、という事実だけでも恐ろしくないか?しかも、5000年前インダス文明で使われていたのとまったく同じ形態のロバ車(博物館のパンフレットがそう言っていた)が道路の半分を占領しているのだ。このロバというのは異様にのろい動物で、しかもそれが牽く二輪車は明らかに手製、木製のガタガタの車でヨタヨタと蛇行して真直ぐ進まない。もちろん、急発進も急旋回も急停車も出来ない。

  そして、リキシャ。これがまたうっとおしい。やたらとこの数が多くて、うじゃうじゃと昆虫のように道をうずめつくしているのだ。これは三輪車で、オ-トバイに幌をかぶせたようなもので、タクシ-として営業している。この運転手ども(リキシャワ-ラ-と呼ぶ)が、クエッタ道路上で最もたちが悪いという点ではすべての人の意見が一致する。

  彼らは、停止した状態からでも真横にひょいと進めるという三輪車の特性をフルに悪用して、隙間を見つければ、まったく前後のことを考えずに突っ込んでくるのだ。そんな所に入ってきたらにっちもさっちも行かないじゃないかという所に必ず入ってくる。

  そして、回りの交通全てが前にも後にも進めなくなり、馬はいななき、ラクダは地団駄を踏み、羊の群れは右往左往し、ロバ車の運転手は拍子木のようなものでインダス文明の遺産をガンガン叩きまくって自己主張し、自動車もバスもダンプもクラクションを鳴らしまくり、満員のバスの窓からも屋根からも乗客はわめくわ、叫ぶわ、それでも自転車はこれでもかとほとんど最後の隙間に車体を詰め込もうとする、というように毎度大騒ぎをするのである。外国人から見れば、お前ら、まったくバカじゃないか、と言いたくなる。ル-ルを作れい!

  とどめの一発は通行人である。彼らは必ずこの痴呆的渋滞に参加したがるのだ。言うまでもなく、この野次馬の集団は事態をいっそう悪化させる。観客各自が勝手に思いついた意見をそれぞれ別の乗り手に指示するものだから、もう混沌としか言いようがない。---ああ、お前がそっちに動いたら、あっちが動けないだろう、あああ、そんなとこに入りこむわけ、あんた?---というような感じで、もうほとんど運転を放棄したくなる。実際、街中を絶対に自分で運転せず、必ずパキスタン人に運転させるというアメリカ人もいる。彼はクエッタに到着して最初の2週間に3回事故を起こした。

  しかし、5分から10分もすると不思議なことが必ず、起るのだ。世界もこれで終わりかと思われた、この悲観的状況が、するするともつれた糸がほぐれるように解消していくのである。そして、また、何事も無かったように、ロバ車はよたよたと世間に迷惑をかけながら、一路邁進し、羊の群れはトットットッと横に脹らんだり、縦に伸びたりしながら、草を求めて移動し、リキシャは相変わらずミズスマシのようにクルクルと無秩序に動き回ってあらゆるドライバ-を激怒させ、バスはやんややんやと陽気に騒ぐ乗客を屋根の上に乗せて驀進し、ラクダは終始、無関心であったかのような表情のまま歩き去る。

  何なんだ、これは?確かに完璧な混沌である。ル-ルは無い。しかし、動いている。自然の混沌の中には秩序が発見される、らしいけど、これもその一つかねえ。原始状態に近い混沌。これがホッブスの言う戦争状態ですか。ロ-ルズのいう、無知のベ-ルに包まれた状態って、これのこと?というように古典を読みなおすと、大学の先生は怒るかもしれないけど、おもしろいかも。

  外国人は全てこの気違い沙汰に怒りまくり、呆れ返るのだけど、やはり一様に、どうして事故がこんなに少ないのかと不思議がる。これは僕にとってもまったく不思議でどうにも解せない。このクエッタ交通の混沌が話題になる度に、「ル-ルが無い方が安全なのか?」という結論に達してしまう。

  でたらめ、無秩序、無謀で、世界的に有名な、ニュ-ヨ-クや大阪やロ-マの交通事情を知っている外国人も多いけど、そういう都市と比較してもダントツにクエッタがひどいという点では誰も異論はないにもかかわらず、クエッタの事故は少なすぎる。ほとんど無い。

  この謎を解釈する一つの方法は、我々外国人がル-ルという視点からのみ見るから、混沌しか見えないだけで、実はクエッタ人にとっては、ちゃんと秩序が見えているのかもしれないということだ。そう言えば『威嚇』も秩序だったのかもしれない。

  まあ、そういうわけで、毎朝、僕は秩序発見の旅に出るわけでもあります。

  ところで、クエッタ道路事情にも例外が一つだけある。それはムジャーヒディンを満載したトラックである。これだけは話にならない。黒い炎が疾駆する、という感じである。

  周りの風景が一瞬暗く氷り着くような殺気を降り巻きながら、一切のものを無視して猛烈なスピ-ドでどこへやら駆け抜けていく。同車線であろうが、対抗車線であろうが、一般の交通は一瞬絶句して停止するしかない。唖然として殺気が通り過ぎるのを見送る。

  トラックの荷台にはマシンガンが林のように立っている。黒い炎に包まれたムジャーヒディン達がそれを支えて、疾風にびくともせずじっと座っている。殺気というのはほんとに感じるものなのですよ。彼らは、このまぬけなクエッタの日常とは隔絶した世界に住んでいるのでしょう。ともかく、おそらく、クエッタにおける交通ル-ル第1号がこれだ。

『ムジャーヒディンがやってきたら停止せよ』。


* * *

注:ムジャーヒディーンは、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒドの複数形。一般的には、イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す。
  アフガニスタンで1978年にソ連侵攻によって、共産政権が成立すると、各地で組織された反政府ゲリラが蜂起した。彼らは自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラームを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。文中のムジャーヒディーンは彼らのことである。

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