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欲しいのは賞賛ではなく『信頼』ー信じて頼ること

誰にでも何かひとつやふたつ、自信を持って出来ること、言えることがあると思う。

ラーメンが好きで100杯以上食べたから、君にもおススメしてあげられるよ、とか

ギターに関しては誰よりも練習してきたから、何でも弾けますよ、とか

自分がすごく労力をかけて、努力してきたことだったり、もとから得意でよく人に褒められてきたから、生まれつき多分上手いんだろうな、とか

そうゆう色んな類のこと。

私もいくつかはある。
40年近くも生きていたら、それなりに自分ってどういう人間なんだろうなってことを模索した時間もあるわけだし

他人や社会との関わりの中で、客観的に自分を視るということも何度もやってきているから。

生き物には生まれつきの性質、というのもままあると思うから、

自分は計算が得意です、色彩感覚があります、音感があります、神霊が視えます、未来が視えます
匂いに敏感です、記憶力があります、分析が得意です..etc

とか、もう百万通り色んな特徴があって
いちいち人には説明し難いけど実は、ってこともあると思う。

100ある根拠の全てを人に説明して納得してもらおうとしても、1伝えられるかわからないって場合もあるから

わざわざ判ってもらおうとしないことだってあるだろう。

私の好きな小説に書いてあったことを引用するなら

『おまえが自分の内にすばらしい宝物を持っていて、そのことを他の人に話したとしても、めったに信じてもらえないものなのだよ』
/アルケミスト- パウロ・コエーリョ

この言葉がしっくりくる。

だからいざ、これは伝えねば、という必要な人、時、場合に遭遇した時は

言うより行動で見せた方が早い、ということもある。(それが見せてわかりやすいことならば)

ウィルスの研究をずっとして来たこの書物の著者なら、この言い分は納得だな、とか

めちゃくちゃ本を読んだから、この1冊の矛盾点を説明できる、とか

その人の言動や歴史が、説得力を持つこともある。

いざ、人の為に、何か役に立つ為に、そうしたくて、自分を信じて頼って欲しくて、

説明しがたい、自分の特技(技術や知識など)を披露しアピールした時

『あなたは一体何を自慢したいの?』

って言葉が返ってきたら

そんな反応がもしも返ってきたら
もう二度と、自分のことをその人に話すのはやめよう、無駄だ、と思うようになるし

心を閉ざして、深く関わるの(力をかすことも、理解を期待することも)やめようと思うだろう。

素直でない、ひねくれた心の状態にある人というのはよく在って
それはきっと何かの劣等感、自己否定、(本当は何も劣っていないにも関わらず!)卑屈、ほか、色んな要因が作用してそうなっているんだろう。

日本社会、世界、競争しろと教えこまれた社会では特に、陥りやすい。

素直に、みたらいい。

ありがとう、あなたはそれが得意なんだね
よく知らないけど、努力をしたのか、もともとできるのかわからないけど、じゃあ力になってもらおう、

そんな気持ちで受け取ったらいいだけ。

現代には、賞賛を待っている心が蔓延し過ぎていて、なおかつ、他人の宝物を賞賛したくない、賞賛できない心が蔓延しすぎていて

本当は宝物を共有し合えることを解らないでいる。
人間は不完全な生き物だが、沢山の力を持っている。

誰も、自慢してない。
そんなふうに視える心が、どこか卑屈なだけで。
欲しいのは信頼じゃないだろうか、
信頼ってそんなに難しいことじゃない

その人に100%委ねて依存する、とかそうゆうイメージじゃなくて

その人の個性の素晴らしさを、ただ信頼しましょうよと、いうこと。
何にも持ってない人はいない、
命を持って生まれてきてるのに。

自分を信頼する、ってよく言われてること、大事だね。けっこう難しいことなんですね。

もちろん、他人のステキなところを沢山賞賛しましょう。それはその人を幸福にします。

今日はこの辺でおしまい。


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