C・プリースト「奇術師」

 クリストファー・プリーストはイギリスのSF・ファンタジーを手がけるベテラン作家です。個人的な印象として、氏の作品はタイトルが短い。本作の「奇術師」はもとより「伝授者」、「逆転世界」、「魔法」、「双生児」などなどタイトルが短い。さらに本が分厚い。図書館などで氏の本がならんでいるのをみるとどの本も分厚いのです。個人的な意見として、「タイトルが短い」+「本が分厚い」=「内容がお堅いやつだろうからとっつき辛い」の方程式がなりたつため、この手の本はあまり手に取る気にはなりません。ならば、なぜ今回この本を手に取ったのかというと、以前、感想文を書いた「絶望ノート」の本文にこの本がでてきたから興味がわいたのです。わたしはしばしばこの手法で本やCDを選びます。自分が気に入った本を書いた作者が気に入った本であるならば、自分もその本を好きになれそうな気がするではありませんか。かの名言である「友達の友達は友達」に通ずるものがありそうです。

 実際にこの本の感想を書く段になると、少しためらいがあります。私は読んだ本をすべて感想文に書くわけではありません。感想文を書くのは、直近に読んだ本であり、感想文に書きたいと思った本だけです。率直につまらないと感じてしまったり、途中で読むのをやめてしまった本は書きません。実際にいくつかの本は感想文に書かずにおいてあります。この「奇術師」に関していえば、内容を私が理解できていない感が強いため、評価が難しいのです。厳しく言えば今までの作品にも同じことはいえるのでしょうが、今回は自己満足すらできていないのです。

 本文は大まかに4人の人物視点と2つの時代で書かれたパートにわかれています。アンドルー・ウェストリー(現代)、アルフレッド・ボーデン(19世紀末)、ケイト・エンジャ(現代)、ルパート・エンジャ(19世紀末)、これらの人物の動向が一人称形式で語られていたり、その人物の日記に書かれた記述という形で語られていたり、巧みに場面転換がなされており、タイトルの「奇術師」にならってか、読むものを幻惑させるような書き方がなされています。いわゆる叙述トリックというものでしょうか。ことの発端は当時、新米の奇術師であったアルフレッドが、同じく新米の奇術師であり、糊口をしのぐために降霊術と称して一種の詐欺行為をしていたルパートと出会ったところから始まります。アルフレッドは正義感からルパートの降霊術がインチキだと暴きますが、その後、思い直し、降霊術自体はインチキだったが降霊術によってその人物を失った家族がなぐさめられることは事実であることを認め、ルパートに謝罪します。しかし、ルパートはそれをはねつけ、二人の確執は始まります。その確執は現代にも及んでおり、その子孫であるアンドルーとケイトが100年の隔たりを経て出会うのでした……。

 最初のうちは19世紀の奇術師たちの世界の幻想的な一面と実務的で世知辛い一面が味わえてよかったです。中盤のルパート・エンジャパートから、だんだん謎が明かされてきて「ああ、そうだったのか!」という部分も出てくるのですが、序盤の幻想小説っぽい感じからなんだかSF小説っぽくなってきます。そして、最後!! 最後の数ページで「まさか!! そういうことなのか!!?」となって最後の1ページで「……どういうこと?」となりました。要はオチがよくわかりませんでした。なにかを読み違えていたのか。それとも途中からSF小説を読むギヤにはいっちゃってたから、幻想小説的なオチについていけなかったからなのか。なんだかもやもやが残ってしまった作品でした。おそらく自己責任なのでしょうが。本作を読んだ方がいらっしゃいましたらぜひオチの解釈をお聞かせ願えましたら幸いです。

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