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俺と師匠の情熱seitai life 『罪と罰』

2020年。激動の時代が始まった。

僕が初めてドストエフスキーを読んだのは17歳。少年院の中だった。

何故こんな書きたくないことを思ったのかというと、今日観た23時のTVのニュースがきっかけだ。

今日は2020年4月10日。

とある東京都内の居酒屋だろうか。初老の居酒屋経営のオジサンがインタビューに答えていた。感情が押さえきれなくなり涙を拭いながら話す。「誰も悪くないんだよな…。自分だけじゃない。みんな大変だけど辛い。それが辛くてね。」オジサンの後ろのカウンターに並んだ目一杯の一升瓶。常連さんのキープなんだろう。21時頃からこの店は忙しくなるようだ。

通常の日常が非日常になっていく毎日。どう捉えてどう動く?留まる?ジワジワと沢山の人が積み上げてきたものが崩れ落ちていくのを自分と重ねてスローモーションで観ている感じか…。

僕は2年間、東京の師匠に出会い整体の修行を終えた所だった。まだまだ足りない。教えてもらいたいことは山ほどあるのだが現状では今は教わったことを着実にこなし、できる限り昇華していくのみ。

2年前のままだったら僕の今のお店は今月には潰れていただろう。ピンチはチャンスと言うけれど、同じ境遇や環境の人でもあまりに違いすぎる。僕はただ運が良かっただけだ。自分を変えるタイミングと行動と運命の流れからケースアウトしたんだろう。ただのギリギリセーフかもしれない。3ヶ月にはまだどうなるかはわからない。ただ今は先行く不安に耳を澄ませたり、塞いでみたり。

今思うのは初めてドストエフスキーを読み終った後の理解できない違和感や衝動をとても感じる。勝者が敗者に変わる古代からの出来レースを傍観してる様な毎日だ。

ただ1つ希望があるのは罪と罰を読み終えた後、僕は自分の居場所がブラックなダークサイドではなく、少しでも白に近いグレーを目指して生きることに変えたんだ。

変わらないものもあるが変わり続けるものもある。この世界の闇の先にある光は見えていても掴むのには今回は少々困難かもしれない。

生憎、残念ながら頑丈なカラダと情熱を燃やす薪の量は人1倍多いようだ。命ある限り全うする。

やっと夢叶う直前かもしれないのに諦めるわけに僕はいかない。まだまだ足掻くしかない…。




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