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【第9話】カルチャーショック備忘録

 大三島(おおみしま)に引っ越して12日が経った。皆さんに伝えたいことは山ほどあったのだが、ネットやスマホはおろか、固定電話さえ通じない通信ゼロ週間だったのである。我が家にはテレビがないので、直接訪問以外の手段において外界との接触は文字通り皆無だった。何が一番辛いかって、「ググれない」ことほど辛いことはない。だって今までの生活じゃ考えつかないような、初めてぶち当たる難問ばかりだったんだもん。ネズミのおしっこの消毒方法、イノシシへの対処法、壁穴の埋め方。知らんがなそんなの。そもそもプロバイダの申込みだって、ネットが使えないんだから調べられない。普段いかに自分らがネットに依存していたかを思い知らされた。

 今はようやくすべて整いましたけどね、おかげですっかりネットデトックスですよ。天気予報も見られなかったけど、Twitterならぬホンモノの鳥たちがピーチク天気を教えてくれる。気がする。

 この約2週間、カルチャーショックに次ぐカルチャーショックだったのだが、いずれこんなことも日常と化してしまうんだろう。…というわけで、現時点で「脳みそがシェイクされた」事柄をいくつか挙げておきたい。毎日の気持ちが光陰矢の如く過去になっていく。本日ここに記すパッションも、あっという間に記念碑的な遺物へと化すことだろう。

①空き家の蘇生作業はメンタル修行だった

 最初の1週間はとにかく掃除、掃除、掃除! 夫が「地域おこし協力隊」なので役場が住まいを提供してくれたのだが、ハウスクリーニングなんてサービスはないので、当然自分らで掃除することになる。これが今までの掃除の概念をひっくり返すほどに大変だったんですよ。奥さん!

■斜め上をいく汚れ方

 我らが竹藪ハウスは、期間はそう長くないものの「空き家」の部類に入っていたと思う。人が住んでいない家は荒むというが、まさにその通りだった。加えて前の住人は、だらしなさが原因で大家さんから追い出されるほどルーズな人だったらしく、彼らの辞書に「掃除」という言葉は存在しなかったみたいだ。柱や押入れ等のありとあらゆるところに、ゴキブリやネズミの糞尿が盛大に巻き散らかされていた。室内犬も飼っていたそうだから、そいつのも入ってるかもしれない。図鑑でしか見たことのなかったゴキブリの卵も散見。引き戸の取っ手やカーテンレールなどに等間隔で丁寧に産み付けてある、職人すぎるぞお前ら。押入れの奥からは、トカゲの半白骨ミイラも出てきた。

 食糧提供主である前住人が存在したときは、生き物たちのキャッキャうふふ天国だったんだろうが、住人去りし後に訪れた飢餓時代……。害虫害獣とはいえ、彼らの栄枯盛衰を思うとちょっぴり切なくなり、脳裏に平家物語が流れる。ベン、ベベン。

 おーし、おーし、何でも来やがれ!

 と生物耐性を盛り上げていたら、ニンゲンも負けてなかった。上の写真は縁側の物入れなんだが――、家の床を燭台にしてロウソク燃やしちゃってるよ。おそらく縁側で花火でもやっていて、風が強かったんだろう。だったら風の届かない家の中でロウソク灯せば……って、アホか?! 無邪気すぎるにも程があります。ちなみに納屋の柱には、嵐の大野智くんの名前が掘ってあった。年頃の娘さんでもいたんだろうか。黄色だと思っていたキッチンの壁も、拭いたらあら真っ白。ヘビースモーカーだったのはお母さんかもと直感でそう思った。

 脳が妄想している最中も、肉体はフル稼働。とにかく上からほこりを落とす→家用洗剤を含ませた雑巾で拭く→床を履く→掃除機→洗剤で拭く を繰り返す。恐ろしく細かい塵(乾燥した糞尿、何かの死骸を含む)が舞うので、マスクは必須。それでも2日ぐらい下痢をしたから、本当は防塵マスクぐらいしてもよかったのかもしれない。

(荷物が届かないため3日間同じ服) 

 収納意欲をそぎ落とされるような押入れも、なんとか復活させた。こびりついたネズミ(?)の糞は、洗剤でふやかしてからこそぎ取り、除菌スプレーで消毒。虫の侵入口である穴や、目地の隙間はチューブ式のシリコンで埋めまくった。「シリコンシーライト」というホットドック屋さんのケチャップみたいなチューブを「コーキングガン」という押し出し機にセットするのだ。その状態が上の写真。どっちもホームセンターで200~300円ぐらいで買える。シリコンは白、グレー、アイボリー、透明などがあるので、周りの色に合わせて数本用意するといいだろう。この作業が結構面白いのだが、片手でやりすぎると筋肉痛になるので要注意。

 夫は引っ越し2日後から役場へ出勤だったので、以降は自分一人でもくもくと作業してた。1日9時間ずっと掃除とか。山奥の妖怪掃除オババの出来上がりだ。今思えば、荷物が後から届くスケジュールは、不幸中の幸いだったかもしれない。こんな家に初日から家具とか入っちゃったら、それまで汚染されちゃうよ。

 掃除中は頭がヒマなので、自分の心境の変化に敏感になった。最初感じていた汚れへの「恐怖」は「怒り」へと変わり、そのうち大事にされていなかった家への「同情」へと移行。3日を過ぎることには、私が大事にしてあげるからねという使命感にも似た「愛情」が芽生えたことに気づき、少し驚いた。こんなに掃除に全力を注いだのは生まれて初めて。もう二度と御免だけど、家との出会いにおいてこのような通過儀礼はあってもいいんじゃないかと少し思ったりした。

 あと、ひとつ痛感したことは、こういう作業は一人じゃ精神的にもたないってことだ。まだ原型がしっかりした我が家ですらこんなに負荷を感じるんだから、古民家再生などは想像つかない。最近の流行では仲間が集まってイベント感覚でゴリゴリ作業するそうだけど、本当に理に適っていると思う。励まし合う同志が必要なのだ。こないだ知り合った20台半ばの地域おこし君は一人で古民家を直すみたいだったけど、どうなるのかなぁ。また会ったら進捗を聞いてみよう。

 

■お宝発掘! 先人が残したもの

 そこかしこをひっくり返す中で判明したのだが、ウチの子ったら(…あ、家のことですけど)色んなお宝を抱えていたのである。前住人の置き土産とも言うべきか。

・神棚(きれいにして祀ろう)

・七輪(これはうれしい)

・お遍路棒(さすが四国!)

・回転行灯(…使うかな?)

・太平洋戦争DVD 全10巻(とりあえず見るか)

 そしてこんなものが。

 書初めに使うような和紙に、背筋が伸びるような楷書でしたためられている。第二次世界大戦で亡くなった方の通知…なんだろうか。終戦の1年前、22歳。ご本人のものかと思ったが、違う名前でいくつかでてきたので、こういうものを書く役割の人だったのかもしれない。鉛筆で丁寧に升目の下書きが施されていた。

 他には昭和1ケタ台の賞状がいくつか。授与された人の名前はすべて同じなので、ご本人かその家族が保管していたのだろう。電気会社の事務職だったみたい。皆勤賞とかもらってるから真面目だったのかもなぁ。

 賞状はともかくとして、この戦死者について記された書は、いったい誰が何のために書いたのだろう。

 書を包んでいた新聞も当時のものだ。発見直後の我々は、「神保町に売り飛ばしたらカネになるのか」という話題でもちきりだったが、1枚1枚開いていくうちに点と点とつなげてみたい衝動がこみあげてきた。特に私は。誰かが残しておきたいと願ったから、ここまで残っているんじゃないか。最終的には手放すとしても、せめてその前に、これらのものが何だったのかを知りたい。

 幸いにして、島には図書館がある。調べながら、島の人に聞きながら、のんびり紐解いていくつもりだ。カルチャーショック、続きはまた次回に。


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※冒頭の写真は、港の脇にある「菅つり具店」。この島には菅(かん)さんという苗字がとても多い。役場の職員さんも菅さん率高し。

                             (続く)

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