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自立型自習に必要な「読んで理解する基礎的な力」④ - 教育のための科学研究所のRSTから学んだこと【Aflevering.159】

 新井紀子氏の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』『AIに負けない子どもを育てる』の両著書を読み、私が学んだことを記録しています。これまでは主に私自身の学習方法について振り返ったり、高校現場で感じてきたことを元に記録してきましたが、今回は現在の日本語教室で感じることや実践していることを記録しておきたいと思います。

海外での日本語教育から見えるもの

 現在の私の仕事は、オランダで日本語教室をしながら、オンラインでも世界各地の様々な年齢の子どもたちの日本語学習のサポートをしています。また、日本にいる小学生から高校生までの子どもたちの日常の学習や受験勉強のサポートも行っております。

 今回私が拝読させていただいたこれらの著書では、「基礎的・汎用的読解力」の重要性について述べられており、私もその重要性を強く感じています。
 日本語とは違う言語の学校に通う場合、日本語を学ぶ時間は限られており、海外での日本語学習はとても難しいです。
 日本語教室で学ぶ子どもたちに、日本の国語と同じものを求めることが酷だと思った私は、「日本語で書かれた文章を自力で理解できる力」を身につけてもらうことを優先して取り組もうと思い、日々サポートをしております。
 もちろんその学習過程で他の技能を疎かにするわけではありません。「読み・書き・聞く・話す」をバランスよく取り組みます。しかし、「書く」レベルを「読む」レベルと同じところまで求めてしまうと子どもには大きなプレッシャーがかかってしまいます。そのため、「書く」ことに関しては本人の意欲に合わせて求めていくようにしています。

学習者に求めるのは「日本語の力」だけではない

 私の授業では、自立した学習者の育成を常に目指しています。ただ日本語の力が付けばそれで良いというわけではありません。
 子どもたちが大人になっていく過程やその後の人生において、自ら日本語で学びたいと思った時に学べるよう、せめて書かれている日本語を理解できる素地を養うことに重点を置いています。

 また、日本語に触れようという気持ちを持ってもらうために、子どもたちが興味を持ったところからそれぞれの世界を広げられるようにしています。
子ども自身の興味を大切にしつつ、自分で読む力を持つことによって、自分の好きな時に学びに向かうことができます。

 これまで子どもたちに関わってきた経験から、「自ら学ぼうとする意志」を持ってもらえるようサポートするのが最も重要だと考えるようになりました。
 周囲の大人の視点から「これは必要だ」と考え、本人がなぜそれが重要か分からないまま、あれこれ先回りして与え続けることは、その子の思考力にも影響を与えます。つまり、その子が与えられることに慣れてしまい、自ら何かの意思表示をする機会をその子から奪いかねないのです。

 私が最も重要だと思っているのは「環境設定」をすることです。最終的にやるのかどうかは本人次第ですが、決して放置するわけではありません。
 子どもたちと常に対話を行いながら何が大切かを伝え続けます。それは押し付けでも強制でもありませんが、最終的にやるかやらないかの判断するのは子どもたちに委ねています。
 そうすることで、子どもは自らの意思で学んでいると感じることができ、自分の行動に責任が持てるようになるのです。大人にできることは環境設定までで、そこから子どもたちの意思決定にまで踏み込むことはしません。

 「子どもの成長」を植物の種に例えると、日の当たる場所に置いたり、成長に必要な土や水などは用意しますが、その子の「学習に対する意思の芽」が出るまではひたすら待ち続けるしかありません。これに関しては、忍耐力が必要になりますが、自分の子育ても日本語教室での授業も同じです。

海外での日本語学習に必要な「共に学ぶ仲間」

 年齢が大きくなるにつれて、子どもがもし何かを知りたいと思った時に書いている文章の意味が分からないとなってしまうと、日本語の自信もなくなってしまう上に、せっかくの興味や関心の芽を摘んでしまうことになってしまいます。海外での日本語学習においては、この「基礎的・汎用的読解力」はより重要になってくると思います。

 子どもたちが幼い頃は、文字が読めなくてもできる遊びで満足しています。しかし、学校で違う言語の読み書きが始まると、子どもが日本語の文字もやってみようという気持ちになります。最初はやってみようと思った時に、その気持ちを持ち続けられるかどうかが重要になってきます。

 そのためには、共に学ぶ仲間が必要です。2言語での学習は、子どもたちにとってかなり厳しい環境だと思います。時には、子どもが「日本語の勉強は大変だ」と感じることもありますが、一緒に学ぶ仲間がいれば乗り切ることができます。なぜなら、子どもたちは日本語を学ぶこと自体は難しいと思っていたとしても、先生や仲間と共有する空間自体は嫌いになっていないからです。そこに自分の居場所があるのです。

 日本語の勉強自体が厳しいことを求めているからこそ、日本語教室の中では子どもたちはなるべく自分らしさを出せるような環境設定に配慮しています。日本語で学ぶ時は厳しく学び、遊ぶ時はしっかり遊んで楽しみみんなで大笑いする、どちらも日本語を継続的に学ぶ環境としては必要です。

子どもの成長に必要な「家庭学習」

 子どもの健やかな成長には、家庭教育が必要不可欠です。これは、日本語の学習に限ったことではありませんが、海外での日本語学習においては特に重要だと感じます。
 だからといってドリル学習などのような無味乾燥なことをするのではありません。家庭での日本語での会話や絵本の読み聞かせ、映画やアニメを一緒に観てみたり日本語を使ったごっこ遊びやカードゲームなど、生きた日本語を使いながら実生活の中で語彙や表現力を育てていくことが必要です。子どもが安心して日本語でできる好きなことをたくさんさせていただければと思います。私はおもちゃでもゲーム(内容による)でも漫画やアニメでも、それらは日本語学習のモチベーションを維持する大切な要素だと考えています。日本語教室での学習は、学校ほどの学習時間は取れないのでその一部として機能せざるを得ません。

 私は今、家庭教育とどのようにして日本語教育を進めていけるかを模索しているところです。保護者がプレッシャーを感じることなく、子どもの日本語の環境設定をどのように一緒に継続していくことができるのかが、私が今最も関心を持っていることです。

 以上、海外での日本語学習環境について私なりに学んできたことを中心にまとめてみました。次回は、教室やオンラインで日本語学習のサポートをして感じたことを少し具体的にしてまとめていきたいと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報、2018)
新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済、2019)

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