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時代が変わっても変わらない普遍的な「人間の幸せ」とは?〜カミュ『ペスト』を読んで【265】

 自分の興味と文学分析の練習を兼ねて、カミュの『ペスト』を読みました。伝染病が流行し、封鎖された街に暮らす人々はこの作品ではどのように描かれているのか、私たちがここ数年で経験したことと、約70年前に書かれたこの作品を読んで比較してみたいと思いました。そして、作品を読んでいく中で本質的な「人間の幸せ」とは何かについて考えることができました。

 作品の内容に関して少し触れているところがあるので、まっさらな状態で作品をお読みになりたい人はご注意ください。

アルベール・カミュの『ペスト』とは?

 この作品は、1947年に刊行された小説です。アルジェリアのオラン市で発生したペストによって街が封鎖され、ペストの恐怖の中で生きる人々の心模様や、個々のペストとの向き合い方が描かれています。

 ある日急に当たり前の日常を奪われ、非日常の中に置かれた人々が、新型コロナウイルスとは比較にならない殺傷能力を持つウイルスの恐怖の中で「人間の本質に迫る」という、とても考えるべきテーマが含まれている作品でした。

 元々は、第二次世界大戦のナチスドイツ占領下でのヨーロッパで起こったことを暗に表したものだとされています。しかし、近年の私たちが経験した閉塞感や危機感は、そのペストが蔓延した街の過酷な環境そのものです。この作品から学べることは一体どんなことなのでしょうか。

書かれていたのは「ペストの悲惨さ」ではなく、「人間の美しさ」だった

 作品を読み終えた後、いろんな方が書かれたこの作品に対する批評を読みましたが、みんなが共通するこの作品からのメッセージは、どんな苦しい環境の中でも、人間を超越するものに頼ることなく、目の前のことと向き合い、「誠実さと人間の優しさを忘れずにいること」だということでした。

 つまり、どんな困難の中でも人間を愛し、人とのつながりを大切にするということです。
 私たちがつながるために必要なのは、人々が苦しむ状況を共にするという「共苦」から始まり、それが人々を思いやる「共感」になっていくという壮大なテーマで書かれています。

行政が後手になることは珍しいことではないと思います。大きな規模の組織であればいろいろと考えて決定しなければならないこともありますし、そもそもこの作品のように自分の保身のことだけを考える人たちもいると思います。

 しかしこの問題に対しても、「誰かのせいにする」もしくは「誰かが動いてくれるのを期待して自分は何もしない」のではなく、目の前のことと誠実に向き合い、自分たちにできることをただこなしていくことが何よりも大切なんだと言うことを学ぶことができました。

人間に潜む「悪」とは?

 この作品には、人間の美しさが描かれている中で、人間が持つエゴイズムについてもいろんな方面から描かれています。

「自分が全てを知っているという危険な思い込み」によって、自分の考えとは異なる他人を攻撃したり、自分が最も優れているという考えを持つことに対する危険性にも触れられています。これは、第二次世界大戦後であるが故に強く主張したいことだったのかもしれません。

 また、無知のままでいること、不幸であることに慣れてしまうことへの危惧も示されており、時代を超えて人間が考えるべきテーマが詰まっていると思いました。

人間を超越するものに頼るよりも、目の前のことと向き合う

 作品の中では、宗教の役割について考えさせられる場面があります。感染症が蔓延する悲惨な状況の中で、作品に登場する主要な人物が、神の存在について議論している場面があります。この物語の記録者とされる医者のリウーは、神を否定するかしないかなどの話ではなく、自分の目の前のことと向き合うことの重要性を述べています。

 作中では、何の罪もない少年が病魔にやられ、苦しみながら無惨に死を迎えるシーンがあります。ここは読者の心が締め付けられます。
 これを機に、神父は考えを少し変えて、有志の保健隊に入り人々を救うための活動を始めます。彼は宗教を決して否定したわけではなく、信仰心を持ちつつも自分の目の前のやるべきことに取り組もうと決意したと解釈することができます。

 今の私たちには信仰の自由があります。信仰することで人々には心の平穏が訪れ、皆が幸せに生きていけます。
 しかし、それを他人に強制したり、目には見えない人間を超越したものに頼りきってしまうことの危険性について、ここでは述べられていたのではないでしょうか。

火力発電所にあるという神棚

 少し話がそれますが、私には日本の電力会社で働いている友人がいます。彼は当時、火力発電所の管理業務にあたっていました。

 安全に関する全ての項目を遵守し、点検やメンテナンスも欠かさない業務をしています。そして、彼が教えてくれたことなのですが、発電所には神棚があるそうです。
 それは、万全の準備をした上で、最後は自分たちの安全への願いを届けるんだそうです。私はその話に感動したのを今でも覚えています。これもまさに誠実さを表していると感じました。

人物に注目する面白さ

 『ペスト』はそれぞれのキャラクターの役割を考えて読むと面白いです。ストーリーの中で、元の考えを改めて新しい行動に出る人物がいたり、自分の中にある恐怖に飲み込まれてしまう人物など、いろんな人間模様を見ることができます。

 この作品の魅力は、ペストの中でどんなことが起こったのかではなく、急に与えられた不条理に対する人間の生き方です。

パンデミックは今後も起こるとされている現代

 私たちがこの数年で経験した非日常はもう終わりなのでしょうか?佐藤学さんの著書によると今後も新種のウイルスによるパンデミックはいつ起こるか分からないとしています。

 それは、人間の環境破壊によってこれまで森の奥にいた動物たちとの新たな接触があったり、南極の氷が溶けることによってこれまでは大気に放たれていなかった病原菌が、私たちの生活空間にまで及ぶこと可能性について書かれていました。

 そのため私たちはこれからもこういったパンデミックはいつ起こるかわからないと考え行動すべきであるということです。

人間vsペストから見えたこと

 最後の解説によると、この作品では戦争によって人が人を殺すのではなく、ウイルスによって人類が死に追いやられる不条理やその恐怖が描かれています。
 そこには、人が人を殺すような醜さではなく、人間がその恐怖の中で、避けられない死とどのように向き合い、幸せに生きるために戦う心の美しさを描かれています。

 人間では到底コントロールができないようなものの前では、人間は同じなんだということにも気付かされました。
 自分の周りだけに視野が狭まっていると、小さな対立構造が色々見えてくるものです。しかし、広い視野から見ればみんな同じ人間、あるいはみんな地球に暮らす生き物なんだと考えることもできるのではないでしょうか。

 作品の中では、人間が持つエゴイズムによって不平等を起こすこともあります。しかし、それと同時に人間の中にある優しさにも触れることができ、絶望的な状況であっても自分たちのなすべきことと向き合う人間のドラマが描かれていました。
 とはいっても、そうやって自分のやるべきことと向き合っている人たちも、いつ終わるか分からない非日常に閉じ込められていると、やがて疲弊し精神的に限界を迎えつつある状況が書かれていました。そこにはむしろ人間の脆さがリアルに表現されていると感じました。

何かを変えるならまずは自分から

 いろんな方と話していると、何か困っていることや日常生活で問題がある時に、大きく分けて2種類の人に分かれると思っています。それは、自分なりにできることをと考えて愚直に行動する人と、誰か他のもののせいにして自分は何もしないという人です。

 他のいろんな書籍でも目にしますが、周りのせいにしているだけでは何も解決せず、本人の自己肯定感や効力感も高まりません。そのため、人生に対する満足度が低く、精神的な幸福度も下がってしまいます。

 まだこの作品を授業に取り入れたことはありませんが、今後授業で扱う時は生徒たちの普遍的な人間に求められる生き方について討論したいと思います。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

・アルベール・カミュ、宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫、1969)
・佐藤学『第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育』(岩波ブックレット、2021)
・NHK「名著77カミュ『ペスト』:100分de名著」(2023.02.10閲覧)

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