未熟さの自覚は心地良い。
昨日今日と、とある勉強会に参加してきた。
そこには12人の方が参加していた。
勉強会の内容はもちろん濃かったが、私にとって印象的だったのは参加者の方との交流だった。
同じ内容を学びに来る人達でも、背景が全く違う。
職業も違うし価値観も違う。経てきた経験も違う。
そういう人達と話すと、自分の未熟さを痛感した。
話しているうちに、だんだんと凹んでくる。
グサグサとナイフで心を刺される。
その感覚がなんだか心地良かった。
普通だったら傷つくから嫌なことかもしれない。
多くの人は避けたいと考えるだろう。
でも、その時の私にとっては、未熟さを痛感することが喜びに感じた。
もちろん、すごく悔しい。
悔しくてしょうがなかった。
でも私にとっては、悔しさではない側面の方が大きかった。
「未熟だ」という新たな視点が見えた、という気づき。
これが大きかった。
未熟だということを実感できるのは、すごく幸せなことだ。
未熟ということは、まだ伸びしろがあるということ。
その伸びしろに気づくことができた。
伸びしろに気づけば、そこを伸ばすための努力をすることができる。
こんなにも楽しいことがあるのだろうか。
だから、私にとっては嬉しいこと。
ワクワクすること。
未熟さの実感は心地良い。
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