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【植物が出てくる本】『とわの庭』小川糸

先日(もう2カ月ほど前ですが)、長い時間電車に乗る機会がありました。「読書チャンスだ!」と、noteをさかのぼって、読書会の記事をアップされている、くばさんのこの記事↓が気になっていたことを思い出しました。

kindle版を購入して一気読み。寂しさや辛さ、切なさや、温かい気持ちなど、色々な感情がごちゃ混ぜになりました。

『とわの庭』小川糸(2020年:新潮社)

目が見えない少女「とわ」は、母親との2人暮らし。母親の愛情に包まれ、おだやかな生活を送っていましたが、ある日母親は忽然と姿を消してしまいます。
一人残されたとわの生活は急転。母親を待ち続け、生きるための壮絶な日々が続きますが…

前半、とわは母親の、過剰とも思えるような愛情を受けて日々を送っています。
しかし、とわがどうやら学校に行っていなかったり、母親が仕事に行っている間はおむつをあてられていたり、何となく不自然な点があります。
母親ととわが共依存関係にあるような、病的な母子関係のようにも感じられます。

目の見えないとわにも季節の巡りが分かるようにと、母親は庭に沈丁花や金木犀など香りのする木を植え、「とわの庭」と名付けました。
とわはその香りをかいでいると、木と話しているような気持ちになります。友達がいないとわにとって、母親以外の唯一の話し相手が、庭の木々だったのです。

ある日、突然母親は家から姿を消し、とわは一人家に残されます。
とわは母親が帰ってくると信じ待ち続けますが、いつまでたっても母親は現れず…家の中はゴミであふれ、食べ物が底をつき、目の見えないとわは、文字通り手探りで食べられるものを探し、とうとう消しゴムまでを口にし…

物語前半と後半のギャップが大きすぎて、読んでいてショックを受ける展開でした。

ひもじさのあまり、食べ物のことばかりを考えている日々の中で、とわが木々と会話をする場面があります。

…とわの庭の木々たちだ。彼らが、わたしに話しかけてくれるようになったのだ。香りという魔法の言葉で。……その木が、わたしに、わたしは決してひとりぼっちではないのだと教え、肩を叩いて励ましてくれた。

『とわの庭』より

このような極限状態にあったからこそ、木々がとわに話しかけてきたのだろうか。むしろそんな時にこそ、人間の感覚は鋭くなっているのかもしれません…。

その後とわは、一人ぼっちの生活から脱することができます。そして母親以外の様々な人々との出会いや支えによって、とわの新しい人生が始まります。
母親との生活の真相も明らかになり、自分の半生を客観的に見つめることができたとわは、周囲の人や、パートナーとなる盲導犬と交流しながら、自分の足で人生を歩むべく踏み出していきます。

とわはかつて住んでいた家に戻り、ボランティアの人々に、木々に点字の樹名板を付けてもらいます。

わたしはようやく、沈丁花に会い、その葉っぱや枝に触れることができた。そっと、沈丁花に顔を近づけあいさつする。「会いたかった」

『とわの庭』より

母親に翻弄されたとわの人生ですが、植物はとわと世界をつなぎ、とわに心の安らぎをもたらしてくれる存在でした。そしてそれを教えてくれたのも母親だったというのが皮肉です。

この物語を、どうとらえればよいのかな…? どのような感想を書こうかな…? と少し悩みましたが、終盤に、以下のような文章が出てきます。

わたしの世界は、星座のように点と点で結ばれている。わたしの人生は、見えない夜空に、少しずつ慣れ親しんだ星座を増やすことだ。

『とわの庭』より

どのような過酷な状況に置かれても、自分にとってのきらめく星を一つずつ集めることで、自分の星座を形作ることができる。
星を失って星座が壊れたら、また新しい星を見つけて星座を作っていけばいい。
とわにとっては、その星の一つが植物だったのかもしれません。

星はそばにいてくれる人であったり、好きな何かであったり、植物や動物だったり、本当にささいなことの集まりだったりするのかもしれないと思いました。
1つの事実で、もうダメだ、おしまいだと絶望する必要はない、わたしたちはいつでも、身の回りにある星を見つけることができるのだと、この本が教えてくれているような気がしました。

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