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「雑草という名の草はない」という言葉の意味を考えてみた

連続テレビ小説「らんまん」の放送が始まってから、約2カ月が経過しました。
すっかり「らんまん」にハマってしまった私は、勝手に感想を書いてnoteに投稿する日々を送っています。
朝ドラを見ていない方には申し訳ない…と思いつつ、ダッシュボードを見てみたところ、「らんまん」関連の投稿(本の紹介以外)では、以下の記事がPVトップとなっていました。

投稿した時期にも影響されるとは思いますが、4月に投稿したものを含めても、圧倒的にこちらの記事が見られているのは、やはり「雑草という名の草はない」という言葉がタイトルに含まれていることが原因ではないか? と思いました。

「雑草という名の草はない」は牧野富太郎の言葉として有名ですが、昭和天皇の言葉と紹介されることもあります。昭和天皇が牧野富太郎の言葉を引用したとも考えられているようです。出典については、近年、牧野富太郎が雑誌の取材で語った言葉であることが分かったそうです。
そもそも、この言葉はどういう意味なのか、自分なりに考えてみることにしました。

1.確かに「雑草」という名の草はない

「雑草」という名前の草はない…。それは例えば「冷蔵庫」という名前の草はない、というのと同じく、事実ですよね(変な例えしか思いつかず、すみません)。

2.「雑草」という概念はある?

「雑草」は英語のweedの訳語として使われ始めたようです(こちらの記事を参照しました)。しかし、種子植物とかキク科といった分類のように、雑草という分類があって、この植物は雑草である、と定義されているわけではないですよね。上記に引用した田中淳夫さんの記事にもある通り、人間から見て「役に立たない」という主観的な見方によって、生まれた言葉だと言えそうです。

3.「雑草」でまとめないでほしい?

しかし、農業や園芸などの世界では、除草作業が必要であり、「雑草」という言葉が使われることはあります。では、なぜ「雑草」と呼ばれたくないのでしょうか?
おそらく、一つ一つの草にちゃんと名前があるのに、名前を呼ばずに「雑草」とひとまとめにすることに問題があるのでしょう。スマホのCMの「『若い』でまとめないでください」というセリフと同じような意味かもしれません。

4.「雑」って言わないでほしい?

ここで一つの疑問が…。「山野草という名の草はない」とは言われませんよね。漠然とした概念という意味では、同じような気がしますが、「山野草と呼ぶなんて失礼だ! 草には名前があるんだ」と怒っている人は見たことがありません。
これは、言葉のイメージの問題ではないでしょうか。「雑」を広辞苑で引くと、「③有用ではないもの。よけいなもの。分類しにくいもの。」の用例として「雑草」が挙げられています。「雑」という漢字のイメージの悪さが、この言葉の印象をさらに悪くしていると考えられます。

5.「有用ではない」「役に立たない」なんて失礼?

「有用ではない草」という意味の言葉で呼ぶのが失礼だとすると、草はみんな役に立つのでしょうか。そもそも「役に立つ」とはどういう意味なのでしょうか。
薬になる、食べられる等々、人間にとって役に立つという意味であれば、役に立たない草もあるでしょう。ただ、自然界ではそれぞれの動植物がつながりあって一つの生態系を形作っており、種の多様性を保つことが、持続可能な世界を実現するための必須条件であるという考え方から見れば、どの種も自然界の中に必要な存在であり、役に立たない草なんてないということになると思います。
それも人間の世界からの見方であり、草たちは、誰かの役に立ちたいとは考えていないでしょう。偶然この世界に現れ、淡々とその生命を全うしている…彼らにとって、そのことに特に意味はないかもしれないけれど、だからといって必要か、必要でないかということに、人間が口を出すことはできないですよね。

6.一人ひとりをちゃんと見てほしい?

あらためて、「雑草」と人が口にするときの気持ちについて考えてみました。
「この草何?」「知らない、雑草でしょ」
…と、特にその草に関心がないとき、人は植物を雑草と呼ぶのではないでしょうか。
「派遣さん、この書類シュレッダーしといて!」
「…(派遣さんじゃないよ、なつめぐって名前があるんだよ)」
というシチュエーションと同じかもしれません(↑たとえ話※フィクションです)。
(※補足です…↑実話ではありませんが、私がバイト、パート、日雇い派遣などで働いた際の経験がもとになっています。昔のことなので、今はこういうことはあまりないのかもしれません…本題からそれて失礼しました)

雑草と呼んでいるときは「草その1」にしか見えなかった植物が、名前を知ると、とたんに興味深く思えてきたり、生態や分類などに関心が湧いたりする、ということはあると思います。
多分、牧野富太郎や昭和天皇が言う「雑草という名の草はない」の意味は、これではないかな…? と私は思います。
もっと草に関心を持ってほしい、小さな草の一つ一つの生き方に思いをはせてほしい、という願いが込められた言葉なのではないでしょうか。

何だか当たり前のようなことを、クドクドと書いてしまいましたが、自分なりに、この言葉が腑に落ちたように思えました。
自分の周りの雑草が友達に変わっていく、そのきっかけづくりの一つとして、これからも「らんまん」を楽しみながら、草のことを少しずつでも勉強していきたいと思います。

(ポピットさんの、みんフォトの画像をお借りしました)

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