音楽文の終わりとインターネット・ワンダーランド

ホットケーキがパンケーキと呼ばれるようになったり、フリスビーがフライングディスクと呼ばれるようになったり、ロスタイムがアディショナルタイムと呼ばれるようになったり、パーカーがフーディーと呼ばれるようになったり、生きていると対象はおなじでもそれを指す言葉は変わっていく場合があるということがわかってくる。

いままで存在していたものにべつの新しい名前をつける。そこにはいろいろな理由や意図があるのだろうし、それを名づけているひとがどこかにいるんだよなと思うのだけど、rockin'onが音楽に関する文章を募集する企画を『音楽文』と名づけたときはけっこう驚いた。……音楽文?
もちろん『音楽文』がどんな文章を指すための言葉なのかはすぐにわかる、一発でわかる。そこに違和感や馴染まなさを感じたのは事実だけど、この短さが出版社の嗅覚なのかなと感心してしまったのもたしかだった。力技っぽいけどシンプルで、たった三文字なのになんだかオリジナリティすらある。

その『音楽文』というのは、募られた音楽に関する文章がウェブサイトにつぎつぎと掲載されていくという企画で、音楽を聴いてなにかを考えることや文章を書くことが好きな僕は、これですよ、と思って2018年の暮れからぽつぽつと投稿をつづけた。
べつに文章をインターネットに放り投げるのであればここみたいなブログでもいいわけなのだけど、出版社が運営する『音楽文』は公開可否審査があったり、掲載されたらもちろん修正ができなかったり、月ごとに賞を選ぶ制度があったりと、ちょっとした緊張感や評価される機会があるのがよかった。

投稿、審査、掲載、選考というサイクルにはじぶんだけでない他者が介在していて、そもそも掲載されるのかもわからない。だからやりたい放題とはいかず、ひとに読まれる可能性があるということを意識して文章を書くようになる。それは自分にとってはとてもよいことだったんじゃないかなと思う。

だいたい月にいちど好きなバンドにまつわる4,000字くらいの文章を書いて投稿するのはとてもたのしかったし、僕とおなじ市井のひとたちが記す私的な視点による音楽の文章を読むのもとてもたのしかった。
動画や音源のリンクが貼れず、文章のみで音楽に関する想いを記す『音楽文』にはさまざまなミュージシャンについて綴られた文章がおなじレイアウトでならんでいて、それはなんだか投稿者全員でひそかにひとつの文集を編んでいるような気配がある。
レビューも批評も感想も研究もファンレターもまぜこぜに、でもそこにはそれぞれ大きな愛情と熱意がこめられていて、雑多だけど気持ちのこもった文集に僕の文章もまぜてもらえたらと、投稿する日々はつづいていた。
 

『音楽文』に投稿をするようになって、うれしかったことはたくさんある。素敵な感想をいただけたこと、すごい文章やすごい投稿者に出会えたこと、文章のテーマにしたバンドの方に読んでもらえたこと、そして月間賞を三度いただけたこと。
賞をもらえたことはほんとうにうれしかった。細かく云うと"音楽に関する文章"を書いて"rockin'on"から"お金をもらえた"ことがほんとうにうれしかった。
だから僕は正直なところこの企画にてずっと賞を目指していて、もちろんほとんどは選考から漏れてしまうのだけれど、でも落選が確定する毎月の発表の日に感じた悔しさはなにもしていないときには感じられないものだったので、それはそれでいい悔しさだったんじゃないかなと思っている。

……こんな書き方をするとおまえは対象にしたミュージシャンに読んでもらうより、賞をもらうことの方がうれしいのか? という風になってしまうのだけれど、はいそれはその通りですという感じであり、なぜかというと僕は『音楽文』を企画したrockin'onというロックミュージックを扱う出版社のことがまず好きだからなのだった。

『ROCKIN'ON JAPAN』や『rockin'on』といった雑誌を購読し『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』や『COUNTDOWN JAPAN』といったロックフェスに毎年遊びにいっていた僕は、雑誌に掲載されイベントに出演していたロックバンドを好きになるのとおなじくらいに、それらを出版し企画したrockin'onという出版社のことも好きになっていた。
ミュージシャンが音楽をつくるということとおなじくらい、その音楽を伝えるということに惹かれていく。
そもそも、ロックという音楽自体をこの出版社から勝手に学ばせてもらったみたいなところがあるから、そのrockin'onが発する音楽の言葉を読みつづけてきた僕が書いた音楽の文章に対して、評価と対価のようなものをいただけたのは、とてもうれしいことだった。
 

音楽を文章で表現するということ、それは文字通り目には見えないものを目に見える形に落とし込むという行為で、音楽と文章の間をとりもって翻訳のような変換を試みるのはとてもおもしろくもあり、でもすごく難しくもあり、そもそもその翻訳に正解なんていうものがあるのかどうかもわからない。
音楽と文章が好きな僕は、そんな無謀な行いみたいなところに惹かれて音楽に関する文章を書きつづけてみたのだけど、書けば書くほどにその言葉は対象とした音楽ではなく、既存の表現に引っ張られることに気づいて愕然とする。目指していた音楽の翻訳ではなく、聞いたことがあるような目にしたことがあるような音楽の言葉のサンプリングになってしまっていたからだ。

『音楽文』に投稿する文章を書くためにスターバックスにてポメラに向かい打鍵している最中、僕はたびたび村上春樹の小説のなかのある一節を思い出す。

「大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」とぼくは小さな声に出して言ってみた。それはぼくがいつも教室で子供たちに向かって言い聞かせていることだ。

村上春樹『スプートニクの恋人』

それはとても難しいことなのだけれど、でもそれができないと意味がないんじゃないかと勝手にじぶんでじぶんを追い詰めながらキーボードを叩きつづけた。じぶんで理解ができて、じぶんで納得ができる言葉をつかみ取って文字に起こす。

そうやって書いて書いて、日々掲載されていくたくさんの文章を読んで読んで思い知ったことがもうひとつある。それは感想や意見や想いを伝えるにはどうしたって技術が必要なんじゃないかということだった。
音楽を聴いて、考えたり思ったりして、書き記したいことや音楽の言葉を探すことも大事なのだけど、同時に想いを言葉でピン止めするための作文には、発想とはべつのただのテクニックが求められる。
僕はその技術を駆使してむかうべきゴールは"読みやすさ"だと思っていて、そこを目指すようになった。もちろん、到底たどり着けないはずなのだけど、目標はそこに設定した。

どうしてそう思うのかを伝えるための順序立て、読み手を迷わせない導線の整備、意や論旨に合致する言葉選び、蛇足や無駄のそぎ落とし、じぶん読んでじぶんの文章につっこみどろがないか、そしてそもそも文章が壊れていないかなどなど。
こういうのって高校生のときに習った起承転結な小論文の書き方じゃあるまいしという感じはするのだけど、結局そういうのはある面ではただしかったんだなと思う。
好きでずっと読んでいた小説に於いてはちょっと堅苦しくて邪魔になるそんな気をつけるべきポイントたちが、音楽の、延いてはなにかの魅力をひとに伝えようとするための文章では大事なことであるようだった。
もちろん、これらの自作チェックポイントを達成できたかどうかはけっこうあやしいのだけど、とりあえずすごく意識はした。大丈夫かな? ちゃんと読めるかな? と、最後の工程である推敲の最中はそんなことばかり考える。
 

そうして、2018年の冬から2021年の夏にかけて投稿をつづけ、22編でのべ92,000字になる文章が掲載された。書いたなぁとも思うし、ぜんぜん書けなかったなとも思う。なるべくそのときどきに沿った話題で書いてみたかったから、タイミングの都合で書けなかったバンドもたくさんあった。それでもともあれ、形にできた文章たちのお品書きというか目次がこちら(追ってリンク貼ります!)。

 01.『LUNKHEADのライブをぴかぴかの渋谷ストリームホールで観る
   ⇒LUNKHEAD

 02.『GRAPEVINEが16枚目のアルバムを出してくれる
   ⇒GRAPEVINE

  03.『ひねくれることにまっすぐなまま
   ⇒ストレイテナー

 04.『すべてのありふれた光について
   ⇒GRAPEVINE

 05.『かっこつけていてかっこいいということ
   ⇒THE YELLOW MONKEY

 06.『シューゲイザーをめぐる冒険
   ⇒My Bloody Valentine
 
 07.『ヒゲとメガネのあやしくてすてきなおじさん
   ⇒J Mascis

 08.『そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆けた君よ
   ⇒GLAY

 09.『ランクヘッドの話がしたい
   ⇒LUNKHEAD

 10.『天体観測観測
   ⇒BUMP OF CHICKEN

 11.『ナードマグネットに賭けてみたいみたいなところがある
   ⇒ナードマグネット

 12.『ハッピーエンドだけどエンドじゃない
   ⇒LUNKHEAD

 13.『夢の飼い主の話
   ⇒BUMP OF CHICKEN

 14.『ヒプノシスマイクの話がしたい
   ⇒ヒプノシスマイク

 15.『東京ドームはべつに広くは感じなかった。
   ⇒BUMP OF CHICKEN

 16.『母とQueen
   ⇒Queen

 17.『和田唱の話がしたい
   ⇒和田唱

 18.『軌跡の果てに
   ⇒GLAY

 19.『「話がしたいよ」について話がしたいよ
   ⇒BUMP OF CHICKEN

※音楽文の投稿を通じて知り合った小林宙子さんとの共作です。
 前述の"すごい投稿者"のおひとりで、この文章は小林さんの方で
 掲載いただいているのでそちらのリンクを貼らせていただきます。

 20.『彼女がかわりに歌ってくれた
   ⇒初音ミク

 21.『ロックバンドがまた始まるために。
   ⇒GRAPEVINE

 22.『ラルクをめぐる冒険
   ⇒L'Arc-en-Ciel

ふりかえると、書くの、たのしかったなと思う。書いていると、つまり考えていたことを改めて文字にすると、そのバンドへの理解がより深まるような錯覚を覚えたり、不思議なのだけどキーボードを打鍵している指から予想外の言葉がでてきたりして驚くことがあったり、とてもおもしろかった。
あと、対rockin'on対策として刊行誌のムードをなぞり各楽器や曲の構造の話は控えめに、歌詞をひも解いてみるということを多めにしてみたのだけど、割り切ってはじめたこの歌詞の引用も途中からたのしくてくせになってくるようになった(引用はアクセントになるしね)。そして、やっぱり対象への理解が深まるような気がするし。
 

そんな『音楽文』は2021年の夏に急に企画の終わりがアナウンスされ、2022年の3月末をもってサービスは終了してしまった。
いつまでつづくかわからない企画だとは思っていたけれど、終わりを迎えるとやっぱり喪失感がある。もちろん文章なんか勝手にいつでも書いていいし、インターネットに公開なんて個人でもできるのに、あるひとつの好きだった場所がなくなってしまうのは思いのほか寂しいことだった。

というわけで、なかば個人のブログのようにあつかっていた『音楽文』がなくなってしまったので、そこに投稿した文章をインターネットの世界に残したくてこのnoteをはじめました。いままで『音楽文』に書いた文章を再掲していくのと、あと新しく文章も書いて載せてみたいなと思っています。

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