ランクヘッドの話がしたい - ランクヘッドというバンドをひとりのリスナーがどう聴きどう見てきたのかということについての話がしたい

ランクヘッドのボーカル、小高芳太朗さんがブログにて"ライブのチケットの売れ行きが芳しくなさすぎて、このままだといままでのような活動の継続が危うい"と公開されたのを受け、なにかをしたくなり近所のジョナサンで夜明けまで書いたランクヘッドへのファンレターです。
音楽文掲載日:2019/6/21


アルバイト先の本屋の有線放送で、はじめてその声を聴いた。

切なくて、逼迫していて、尖っていて、でも何かを訴えるような力強い歌声だと思った。僕は思わず別の(有線を司る)フロアの社員さんに内線をかけて「いまかかってる有線、なんてバンドですか?」と訊く。ちょっと妙だけど有線放送で気になった音楽があった場合、その社員さんに訊けば詳細を教えてくれるという謎の仕組みがあった。
いま有線でかかっているのはランクヘッドというバンドの「白い声」という曲であるとのこと。そうか、これが音楽雑誌でちらほら名前を見かけていたメジャーデビューしたてのあのバンドか。

そこから数日間、決まった時間にかかるその曲を天井に埋め込まれたスピーカーから聴き続けて、気がつけばバイトの帰りにタワーレコードでその発売されたばかりのシングルを買っていた。これがいまから15年まえの話、2004年の冬のことだったと思う。
その後、インディーズから出ていた2枚のCD『影と煙草と僕と青』『千川通りは夕風だった』も集める。このバンドのことがすぐに好きになったからだ。

 
ランクヘッドのどういうところに惹かれたのかというと、それは醒めているように見せかけてその実は熱くて、尖っているように見せかけてその実は優しくて、すかしているように見せかけてその実は泥臭いところ……の、そのふだんは上手に隠しているであろう「その実は」からの部分がわりとこぼれて漏れてしまっているように感じられるところ。そこに、その弱さが垣間見えるようなところに強く惹かれたんだと思う。

本当は誰かに伝えたくて
叫びたくて わかってほしくて
そういう気持ちを隠すことが
強さだとずっと思っていたんだ

  「白い声」

嫌われたくないから僕は
心にもない事を言うけれど
たまに本音が出たら
どうも君らしくない
なんて言われてさ
僕はつくづく自分が嫌いになるんだ

  「ハイライト」

弱さを見せないのが
そんなに強い事だろうか
笑われないようにする事が
そんなに偉い事だろうか

  「果てしなく白に近づきたい青」

小高芳太朗の紡ぐこれらの歌詞に、自分を投影してしまっていたところもあったのかもしれない。ひたすらに前向きなわけでもとことん後ろ向きなわけでもなく、かといって平熱だったり等身大だったりと評するにはどうにも矛盾を抱えてひねくれている。そんな気分が、とてもしっくりと合ってしまった。

 
はじめてランクヘッドのライブを観たのは出会ってほどなくしてからの2004年の5月、SHIBUYA-AXでの「JAPAN CIRCUIT」というイベントだった。人気のバンドを後ろに控えての一番手、まだ知名度も低かったからかフロアが大いに沸いたという訳ではなかったけれど、僕はたしかにあの30分のあいだに音源から感じていた以上の熱をもらったし、ああ、やっぱり熱いひとたちだったんだな、なんて思ったことを憶えている。
この日から15年、毎年このバンドのライブを観つづけることになって、変わったなと思うところもたくさんあるのだけれど、でも、小高芳太朗の白いシャツと黒いスキニーという出で立ちでサンバーストのジャズマスターをかき鳴らしながら細い体を絞り出すように歌う様はちっとも変わらないのだった。

その後、ランクヘッドはメジャーデビューしたてのロックバンドとしての模範的な道筋をなぞるように、リリースとライブを重ねていく。リスナーとしての僕はだいたい発売日にCDを買い、ライブにも頻繁に足を運ぶ。
好きなバンドはほかにもたくさんいたけれど、こんなにじぶんに“合う”と感じたバンドは他にいなかったように思う。“合う”なんて、好きであることの説明になってない気がするけれど、でもなんだかそうとしか云えない気がする。
かっこいいバンドはたくさんいる。それはもうたくさんいる。ランクヘッドよりかっこいいと思うバンドも(ちょっと云い辛いけど)もちろんいる。だけど、ランクヘッドのひねくれているのかまっすぐなのかちょっとわからない温度感がじぶんにはぴったりだった。あるいは、ぴったりだと思いたかった。
ここをさらに掘り下げてしまうと身も蓋もなくなるのだけど、たぶん、ギターボーカルで作詞作曲を担当している小高芳太朗に僕はつよく憧れてしまっていたのだと思う。弱音も弱気も抱えこんだままそれらを包み隠さずに否定せずに、最後に少しでも前を向こうとして時にもがき苦しみながらも大声で歌う小高芳太朗に、憧れてしまっていたし、またいまも憧れ続けてしまっているのだと思う。

 
歌詞についてふれたので、そのサウンドにもふれてみたい。
“ギターロック”というある音楽のジャンルを指す言葉がある。広く伝わる用語ではないのでその定義は曖昧な気がするけれど、個人的このジャンルの特性について考えてみると、BPM160~180くらいの速さのエイトビートの上であんまり歪んでいないエレキギターのコードをかき鳴らすのが基調。構成はドラムとベースとエレキギター(2本あるとよりそれっぽい)が主役で、それ以外の音(ピアノ、シンセ、ストリングス、ブラス等々)はあくまでわき役。ついでに歌詞はあまり楽しかったり甘かったりしない類の自問自答で叙情的な悩み多きの青春寄り。ざっくりざっくり説明しようとしてみると僕の場合はこうなるだろうか。
キーワードは「疾走感」や「青さ」で、特に2000年代中盤あたりは下北沢のライブハウスを中心にこのジャンルは隆盛を誇っていたし、いま現在もこの国のロックのひとつの流れとして脈々と息づいているように思う。

そしてランクヘッドの音楽性、それはもう思うさまギターロックで、正統的にお手本的にど真ん中にこれでもかとギターロックである(前述の自作の条件も完璧に満たしている!)。心地よい疾走感に二本のエレキギターがユニークにからんで青い歌をうたう。
曲調は決してすごく多彩であるわけではなく、他のジャンルのエッセンスを積極的に取り入れるというようなことはないのだけれど、その分いわゆるギターロックの純度が高いというか、既存の枠組みのなかで変化よりは深化を図っているかのようにディスコグラフィを重ねていく中、年々ひたすらにその音楽性を研ぎ澄ましていっているという印象を受ける。

そのなかでこのバンドの特徴はというと、合田悟のベースがちょっと極端なまでに動きまくるところや、山下壮のリードギターがこの手のジャンルでは珍しくハードロックに傾倒しており派手な速弾きが聴けるところ。加えて前任の石川龍、そして後任の桜井雄一のドラムが手数が少ない方ではなく力強いのに繊細でもあってタムや金物での表現が豊かなので、その演奏は全体的に音の上がり下がりが多くて騒々しく、それらの音が印象に残りやすいところ、だろうか。
そしてボーカル、小高芳太朗はどんなボーカリストか? このひとはまず声が大きくて叫ぶように歌うタイプなのだけど、そこにかっこつける要素というか、つくったようなちょっと演技的な歌い方を混ぜて、その両方がいい案配にミックスされている歌をうたうひとだと思う。
随所にポエトリーリーディングを挟んだりするところがその証左で、本能的で直情的なところと、演技的で見得を切るところ、このふたつが合わさらないとランクヘッドの歌にはならない。それらがあるからこそ、このバンドの曲が持つ切なさも優しさも怒りも喜びも表現することができるのだと思う。
あとは、私見だしファンとしての贔屓目になってしまうかもしれないのだけど、このバンドはドラムもベースもギターも基本的にかなり上手いのでライブでも安心して聴けるところ、なんかを特徴として挙げたい。

それと、ちょっと音楽性の話からは逸れるけれど多作なところもこのバンドの特徴と云えるだろうか。現在までにアルバムが12枚、ミニアルバムが3枚、再録盤が2枚に、あと小高芳太朗のソロアルバムが2枚と毎年なにかしらのリリースがあり点数が多い。
先ほど音楽性に幅がある方ではないという旨のことを書いてしまったけれど、そのディスコグラフィを追うと4人で演奏するギターロックという枠組みの中でのいくつかの試行錯誤がみてとれる。3枚目の『LUNKHEAD』や4枚目の『FORCE』では主にシングル曲、「カナリア ボックス」や「夏の匂い」や「桜日和」などにてまばゆいようなポップさを打ち出そうとしているし、対してその揺り戻しか開き直りか、特にメンバーが脱退してからの7枚目『[vivo]』以降のサウンドは「シンドローム」を皮切りにロックバンドとしての腹が決まったかのように、どの曲もより激しさや鋭さの熱を帯びるようになった。
そう、熱がすごいというか、このバンドからはアルバム1枚1枚がいつも全力の勝負作みたいな気迫を感じる。ここ数年はことさら今回はこんなテーマに挑戦を、みたいな脇目のふり方をする余裕はないといった具合の全力投球感がある。
そして今年の新譜『plusequal』はこのバンドが有する激しい部分も優しい部分もより振り切れているし、手持ちのカードはすべて使い切ったみたいな集大成感もあって、12枚目のアルバムにしてなお自己ベストを更新しているような研ぎ澄まされた作品になっていると思う。
あと、近年のライブでは混乱するほど上記のディスコグラフィからまんべんなく会場ごとに異なる曲が演奏されて、なおかつこのバンドは音源とライブの差があまりないので、演奏力やバンドの基礎体力のようなものが高いことが伺えるんじゃないかなと思っている。

 
ランクヘッドのライブは、出会ってからの15年でいろいろな会場で観た。だから、いろいろなところ連れ出してもらった。
1枚目のアルバム『地図』のレコ発での渋谷クラブクアトロ、昔住んでいた部屋から近かったからツアーに入るとうれしかった横浜クラブリザード、東京での公演が仕事の都合でどうしても観られなかったから青春18きっぷで向かった名古屋クラブクアトロ、SHIBUYA-AXでも新木場スタジオコーストでもリキッドルーム恵比寿でも何回も観たし、彼らのインディーズ時代のホームだった下北沢ガレージでも観られてうれしかったし、ロックフェスで観たときもうれしかった。この“うれしい”というのは完全にファンとしての捉え方になる。だから、大きな会場でのライブはやっぱりうれしかった。だからC.C.Lemonホールも日比谷野外音楽堂の公演も、発表された時からすごくうれしかった。
音楽を聴く側として、ライブを観る立場として会場の大きさは関係ないんじゃないかというのは冷静に考えるとそうなんだけど、ファンとしてはバンドが大きな会場で演るのはやっぱりうれしいものだった。バンドが売れ、多くの人に知られていく予感があることは、うれしいんだと思う。

 
だけど、バンドの活動は決して順風満帆なものではなかったのかもしれない。
意に沿わないベスト盤のリリースがあった、メンバーの脱退があった、インディーズへの活動の場の移行があった、そして、近年CDのセールスやライブの動員が伸び悩んでいることを小高芳太朗はたびたび口にしてきた。ひとりのファンである僕はそれをインタビューやブログで目にしたりライブのMCで直接聞いたりしてきた。
これは苦く苦しい話題ではあるのだけど、あるのだけど、でもそういったバンドの苦境を吐露してぶっちゃけて時に助けを求めてしまうのはほんとうに小高芳太朗だな、という変な信頼や安心みたいな腑に落ちるものが僕のなかに浮かんでしまうのものまた事実だったりする。
なぜかと云うと、このランクヘッドのボーカルは歌やライブのMCにて“苦しいときは俺たちを頼ってくれ、俺たちも頼るから”というメッセージをたびたび発してきていて、それを僕はずっと聞いてきていたからだ。
だから、活動が思うようにいかないことを愚痴のようにSOSのようにこぼしても(こういうミュージシャン、みたことない気がする)、そのもがいたり泥臭かったりする様は、今まで発してきた歌詞や言葉のその通りで、なんだろう? 言動は一貫している。つまり筋が通っているなと思ってしまったのだ。

つまづきながら もがきながら
時には後ろを振り向いたり
休んでみたり 頼ってみたり
誰かに寄りかかってみたり

  「三月」

だから、1人で強くなんかならないでくれよ
頼ってくれよ 頼らせてくれよ

「僕らは生きる」

こんな歌詞の引用の仕方は恣意的で、都合のいい解釈に過ぎないのかもしれない。でも、やっぱりこのバンドは、小高芳太朗は斜に構えているみたいでいても、まっすぐなんだよなって、安心している場合じゃないんだけど、なんだかちょっとだけ安心してしまうのだ。

 
ランクヘッドというバンドについて思っていることを書いた。
バンドは今年で結成20周年を迎えて、僕が出会ってからは15年が経つ。それに対しておめでとうというよりは、勝手にありがとうという思いでいるのだけど、いまあらためて感じるのは、すこし気持ちわるい物云いになってしまうのだけど、ランクヘッドの音楽はずっと近いところにいてくれたなということ。これまでいいところにいてくれたし、引き続きこれからもいてほしいと切に思う。ランクヘッドの音楽に。

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