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オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドームの余韻

オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドームが終わった。公演内容は書いていいのか分からないしオリコンさんが爆速で記事を書いてくださったのでこれを貼り付けて終わりとする。

じゃあなんでこの記事を書くのか

記憶はどうしても忘れるもの。その時しか感じなかった気持ちがなくなってしまうのは勿体無いから少しでも記事にしておこうと思う。

ラジオを聴き始めたきっかけ

そもそもラジオを聴き始めたきっかけはなんだったんだろうか?確か初めて聞いたのは小学生高学年あたりだ。BUMP OF CHICKENにハマり、BayFMのPONTSUKA‼️をインターネットで聴き始めラジオの世界に入り込んだ。SCHOOL OF LOCK! → Hedgehog Diariesと音楽系のラジオをずっと聞いていた。
その時はスマホなんてないからラジカセ持って街を歩いて電波が届く場所を探して聞いていたりした。
この時はまだ綺麗なラジオしか知らなかった。

ある出来事

高校時代は部活だけに没頭して時間が少なくなりラジオとも疎遠になった。
附属高校だったため大学受験もすぐ終わり好きだったテニスを続けていた。

しかし、忘れられないだろう。

7月ごろ母親に癌が見つかり余命宣告を受けた。本当に現実なのかと思った。「ステージ4?助かるんだよね?長くても年内?」鼓動が早くなりよく分からなくなった。そして母親は年内なんて関係なく8月の終わりに隠れてしまった。まだ父親も兄もおり、現実感がないので悲しくなかった。それよりもしっかり勉強してこれからも頑張り続けようと思った。振り返っても本当に現実感が無く悲しく無かった。ただただよく分からなかった。そこからは大学生活も始まり一人暮らしを始めた。引っ越した日に手伝ってくれた父親が実家に帰った時は1人で泣いた。嗚咽混じりでずっと泣いていたのを覚えている。大学生活は新しい経験ばかりで楽しい日々だった。

しかし、ある出来事が訪れる。

父親が自宅で突然隠れてしまった。
バイト終わり携帯を見ると兄からの着信履歴
もう訳が分からなくなった。そこからは本当に忙しかった。悲しくなる時間なんてなかったし実感もなかった。そこからは、どうせ長生きしても意味ないと思いバイクに乗った。理由は簡単。1人が気楽だった。成人してからはタバコ・酒を飲むようになり長生きする価値はないとずっと思い続けていた。

たりないふたり

ある日、バイクに乗って音楽を聴いていたらこの曲に出会った。

雷に打たれたような衝撃だった(打たれたことないけど)
バイクを路肩に止めてこの曲を調べた。これが私のCreepyNutsとの出会いだった。歌詞に共感しディグっていたら、たりないふたりとオールナイトニッポンを知った。そこからCreepyNutsのラジオリスナーとなりバイクに乗りながらラジオを聴くようになった。私だけかもしれないがファンになったら、その人たちの好きなものを知りたくなる。そう、そこから私はannkw・fumou954にハマっていく。大学生の暇な時間を使い他のラジオも聴くようになり菅田将暉・バナナマン・ハライチ・星野源・佐久間宣行・マヂカルラブリーを聴くようになっていた。

ナナメの夕暮れ

いろいろディグった先に行き着いたのはこの本

こんなに意見の合う人がいるのかと衝撃を受けたのを覚えている。そんな恥ずかしいこと言うなよと言われるかもしれないが、この本に出会ったことで読書好きになったし長生きしたいと思うようになった。それぐらい私の中で大きな変化だった。そこから社会人大学・カバーニャ要塞と読み進めた。いまでも凹んだ時・辛くなった時はこれらの本を読み返す。

ちょうどこの時期だろう、様々なパーソナリティに影響され、サービスを作れる人間になりたくなりエンジニアを目指しはじめた。それと同時に休学も1年間した。休学中は本当に読書・ラジオ・インターンをしていた。お守りだった。
周りと外れるレールに立つ恐怖心を支えてくれたのはラジオだった。その時からだろう、趣味で深夜ラジオと言い始めた。

明日のたりないふたり

本当に良かった。
コロナもありオンラインライブだったが1人でずっと泣いていた。いまでも思い出すたびに泣きそうになる。

この頃だろう、「好き」という言葉を恥ずかしく思わなくなった。(ダセェな)

ちなみにライブビューイングもあると知った時は急いでみなとみらいを予約した。
なぜなら、見届けたかった。皆と未来を

大阪にて第一次チケット先行

そこから就職をすると一気にラジオを聴けなくなった。オードリーのラジオも毎回は聞けなくなり罪悪感もあった。
マヂラブはずっと聴いていたけど、、、
だっていい意味で何も考えずに聴けるんだもん。

ある日突然、発表された東京ドーム公演。
嬉しくなった。武道館の時はまだラジオと出会ってなかったので必ず行きたいと思った。
実は偶然SNSで知り合った方が偶然ラジオリスナーで意気投合した。生まれ育ち・年齢も全く違うのに同じラジオを聴いているだけであっという間に距離が縮まった。まるで同じ部室で話していたと思うほど。もともと大阪に行ったことがなかったので、その人に会いにいくために大阪旅行を考えた。そして旅行日を決めた後に東京ドーム公演の最速先行日とぶつかった。
本当に驚きで深夜ラジオが大好きな内気な自分が驚くような行動をしたのだが大阪で東京ドーム行きますTシャツをきて観光した

街行く人に「東京ドームで会いましょう!」と言われた時は恥ずかしくもありつつテンションが上がって握手もした。あんなに深夜ラジオを聴いている人がいると思ったら

なんだか、、、とても怖くなりました。(作文)

また、その時一緒にいた別の方にもラジオをもうプッシュしやんわり断られたが笑
その方はラジオを聴き始めてくださり、実は一緒に東京ドームに参戦しました。本当にありがとうございます。この日はたくさんお酒を飲み素晴らしい1日を過ごすことができた。

ずっと外れたチケット・リセール


あまりに外れすぎて本当に落ち込みました。
本当にこの期間はしんどかった、、、
しかし、どうしても東京ドームに行きたいと言う気持ちが強く毎日仕事以外の時間はすべてリセールに張り付きました。
そのおかげかリセールチケットを獲得できその日、ずっと笑顔でした
(リセールを出してくださった方本当にありがとうございました)
多分チケットをご用意できませんでしたの画面を50回以上みたと思います。エンジニアをしていることもあり、ある程度インターネットに詳しかったのでこの時だけはエンジニアになって良かったと思いました。

ライブ当日

ずっと緊張していた。
東京ドームに着いたら人の数が溢れかえっており、全員、下ネタラジオリスナーかと思ったらなんだか「やだわ」(冗談)
それ以上にみなさんこの日を待ち遠しになっていると思い会場に着いただけでなんだか泣きそうになり正直、おともだちが流れるだけでちょっと涙出てました。

公演内容は割愛しますが、本当に良かった。
ここまで様々なことがあり、感情を出すことが苦手になっていた私ですがこのライブで泣いたり、笑ったりすることができて、
「よかった。まだちゃんと心は死んでない。」と思った。今までのラジオを思い返しながら、本当にラジオがあって良かった。このために生きてきて良かったと感動した。実は公演中は体に力が入っており終わった後はずっとふわふわしたような、脱力した状態になっており、予定では公演内容を語り合う会を実施しようとしていたが余韻が大きすぎて帰宅させていただきました。(またこんど)
本当に良かった。

落合くんのタオル持っている人が少なかった気がする。
やっぱ落合くんかっこいいわ

これから

深夜ラジオはいつも同じ場所で続いている。
そんな心のお守りになるものを作りたいと強く思った。エンジニアとして形は違えど私もクリエイターになりたい。

それぞれの「好き」が溢れた不思議な空間でした。もう少しだけこの余韻に浸り続けたいと思います。
ありがとう

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