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”思いつき”定義集㊱「み」

◆注:この項目「み」は修正しました。

【ミソジニー&ミサンドリー】それぞれ女性嫌悪と男性嫌悪。レイプや虐待など何らかの事由による生理的反応である場合を除き、無差別の”性癖”である限りにおいて質が悪い。アプリオリに「○○人だから嫌い」と言う偏見と同様。なかでも問題は嫌悪の感情がフラストレーション解消の道具となっている場合。広義のヘイトクライム(憎悪犯罪)に及ぶ危険を伴う。ある対象への憎悪と攻撃こそ正義(の実現)とみなす人が世界にあまた存在することを念頭にすべき時代である。
◆注:部分的であれ既に言及した記憶があるので、その点ご容赦下さい。

【民族】定義困難な概念の典型(厳密に言えば定義不能)。語源(natio)の謂われはともかく、ヨーロッパの諸言語――ネイション(英)、ナツィオン(独)、ナシオン(仏)、ナーツィア(露)など、語の共通性は伺われるが――の間にも含意にズレがある。「民族」により近いのはナツィオンよりフォルクか。ナシオンには共和制の歴史が沁み込んだ「国民」。などなど。
 なお、英語のネイションも日本語では民族・国民・国家の使い分けが必要である。日本語では明治期に「国民」と訳されその後「民族」になった経緯がある。the United Nations(連合国;国連)のように国家を明示する場合もある。
 いずれにしても、歴史的文化的に構築され一定の変容を経験し続ける共同体。それを想像的とするか実体的とするかは意見の分かれるところ。
 例えばだが、文化の核をなす言語が同じでも伝統芸能や作法など民族的な境界線は存在する(曖昧だが)。同じ宗教でも異なる共同体を構成するのは特異なことでもないし、逆も同様である。そのように実態にもとづいて考えていくと、少なくとも辞書的な定義づけは困難に陥るのは確実。
◆推し文献:なだいなだ『民族という名の宗教』(岩波新書、1992年)。谷川稔『国民国家とナショナリズム』(山川世界史リブレット、1999年)。小坂井敏晶『民族という虚構』(東大出版会、2002年)。栩木玲子/法政大学国際文化学部編『境界を生きる思想家たち』(法政大学出版局、2016年)。高額だが役に立つのが、松原正毅・NIRA編『世界民族問題辞典』(平凡社、1995年;新訂増補版、2002年)。


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