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”思いつき”定義集⑲「た」ー①

【大衆】マス。群衆。これほど権力に与しながら権力が恐れるものはない。マスコミしかり。
 ――大衆とは「自分が〈みんなと同じ〉だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である」(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)はあまりにも有名。トートロジー(同義反復)ではあるが、怖いのは個性と名前の喪失――とくに番号で焼印を刻まれること。そして思考停止。
◆注:「多数派の意見こそ正しいので、それが自分の意見」と言われたことがある。それへの論理的反駁は意外と難しい。
◆推し文献:斎藤貴男『安心のファシズム――支配されたがる人びと』(岩波新書、2004年)。

【怠惰/堕落】生物の本性(本能)の一部。怠惰への情熱こそが人を鼓舞することもある。生活の利便性を高めてくれる発明の多くは怠惰へと導く物理の集積。それゆえにこそ人は怠惰を戒めるかも。また、堕ちたくないと縋りつくがゆえに堕落への憧憬が生み出される。怠惰と堕落のニュアンスには大いに落差があるが、ともに人間の逆説的性癖である点で共通する。
 坂口安吾『堕落論』が想起されるかもしれないが、それは戦後の“起点”に属する“やけくそ”に近い。むしろ、行為それ自体を拒否し続ける、メルヴィル『代書人バートルビー』(図書刊行会、1988年)こそは究極的な人間の表象ではないか、という気がしないでもない。

【他者】すでに言及してきた通り自己の鏡であり存在証明である。肝心なのは関係性。他者との遭遇のあり方に偶然を排除することはできないが「神の差配(神意)」などと深刻ぶるには及ばない。必ず選択肢はある。少なくとも余儀なくされる関係性を排除できる社会が必要。ためにも選択という能動性は保つべき。もっともそれにも他者は求められるかもしれないが。
◆推し文献:(〈他者〉と向き合うという意味での)小説集として、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(早川epi文庫、2010年)、大城立裕『普天間よ』(新潮社、2011年)。エッセイとして、温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年)、リービ英雄『バイリンガル・エキサイトメント』(岩波書店、2019年)。


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